第47話 涙が止まりませんでした

「嫌! こっち来ないで!」


 可能な限り、犬井から距離をとる。本当は教室から出たいが、彼が連れてきた3人の男子生徒が出口を塞いでいる為、それは無理だ。この状況が楽しいのか、犬井は笑みを浮かべながらゆっくりと私との距離を詰めてきている。


「そう嫌わないでくれよ? 杏ちゃん」

 

 じりじりと近づく犬井に遂に逃げ場がなくなる。こうなったら大きな声で助けを求めるしかない。


「誰か、助けて!!」


「ちっ! 往生際の悪い」


 私の行動が自身にとって都合の悪いものだと悟ったのか、犬井はすぐさま私の口を塞いだ。


「んー!」


 塞がれたせいで大きな声が出せない。犬井は再びニヤニヤと笑う。


「いい加減あきらめろよ。もう生徒はほとんど帰ったし、見張りもいる。お前を助ける奴はいない」


「んー! んー!」


 必死に叫んでも、もう声は響かない。しかし抵抗を辞めない私に嫌気がさしたのか、犬井は連れの男子生徒を呼ぶ。


「おいお前、抑えてろ。ちゃんと口塞げよ」


「わかりましたよ。おらっ! 大人しくしろ!」


 羽交い締めにされ、口を塞がれた私のシャツを犬井が君の悪い笑顔を浮かべながら掴んだ。


「それでは、俺に恥をかかせた馬鹿な女のお仕置きタイムといきますか」


 犬井がシャツを強引に開く。ぶちぶちとボタンが千切れ、シャツの内側が露になる。


「んー!」


 悔しい、怖い。いろんな感情が混ざり合って涙が出る。


 ——嫌だ……助けて……。


 最後にもう1度、もう1度だけ助けを呼びたい。来ないことはわかってる。でも、こいつらに汚される前に貴方の名前を呼びたい。最後まで心は貴方を想ってたんだよって。


 名一杯の力を振り絞って、拘束された体を暴れさせる。すると、不意を突かれたのか、私を拘束していた男子生徒が「うわ!」と声を上げた瞬間、口を押さえていた手の力が緩んだのを見逃さなかった。


「豊! 助けて!!」


 焦った男子生徒に再び口を塞がれる。犬井は私が助けを求めた人物の名が気になったようだ。


「ゆたか? 誰だそれ? ……まぁいいや」


 一瞬疑問を持った犬井だが、すぐに彼の興味は目の前で身動きのとれない私に戻る。彼の手が、はだけたシャツの内側に触れる直前。せめて、出来る限りの情報は遮断したくて目を瞑った――。



 そう言ったのは出口付近で見張りをしている男子生徒。もしかしたら誰か来てくれたのかもしれないと、希望の光が差した私は口を塞がれながらも必死に助けを求める。


「んー! んー!」


 しかし、かなり強く抑えられているせいか声が届いている気配はない。


「今取り込み中なんだわ。だからあっち行ってくんない?」


 見張っていた2人の男子生徒に詰め寄られても、その人はその場を動こうとしないようだ。扉の裏側にいるせいで誰かはわからない。

 最後の希望に縋りつく私が懸命に声を出し、暴れていると突如、見張りの1人が呻き声を上げた。


「ぐあっ!」


 突如男性生徒は宙に浮き、彼が向いていた方向と逆向きに飛ぶ。

 隣で仲間が吹っ飛ばされた、もう1人の男子生徒は声を荒らげた。


「てめぇ! なにすんだ!」


 殴りかかった男子生徒は、揉み合いながらも強烈な一発を顎に受けたようでその場に倒れ込む。見張り2人を倒し、教室に入ってきた人物の姿に私は言葉を失った。


 ――目の前にいたのは豊だった。


 どうして……? どうして豊がここにいるの?


「……なんだお前?」


 犬井が豊を睨みつけながら詰め寄る。でも、豊は犬井を眼中に捕えず、瞬きすらしない瞳を見開いて私をじっと見つめていた。


「杏……?」


 静かに私の名前を呼ぶ豊に、口を抑えられながらも精一杯の返事をする。


「んー! んー!」

 

「……待ってろ。今、助けるから」


 豊が私の元へ向かおうとすると、犬井に肩を掴まれ、呼び止められた。


「おい、誰だか知らないけど邪魔しないでくれる? それとも何? 混ざりたいの?」


「……お前か?」


「は? 何言ってんの?」


「杏をこんな目に合わせたのはお前かって聞いてるんだよ!」


 今まで聞いたことも無い豊の怒りが満ちた声と同時に犬井の顔面に拳がめり込んだ。

 

 「あがっ!」


 吹っ飛んだ犬井は受け身をとらずに倒れ、そのまま起き上がってはこなかった。

 それを見ていた私を拘束していた最後の1人が私を突き飛ばし、憤慨した様子で豊に殴りかかる。


「てめぇ、いい加減にしろや!」


 振りかぶった男子生徒の拳は、そのまま豊の左頬を捉えた。「ぐっ」と声をあげた豊は体勢を崩しつつも、耐えていたが、そこに追い討ちをかけるように2発目、3発目と食らってしまい、片膝をついて蹲ってしまう。

 そんな彼を私は乱れた服も直さず、悲鳴混じりの声で呼ぶ。


「豊!」


 彼は格闘技経験者でなければ、殴り合いの喧嘩もしたことないはず。敵の攻撃をひらりとかわす経験値などあるわけもない。他の3人を倒せたのは不意をつけからであって、相手に戦闘態勢をとられてしまえば今のように殴られてしまう。


 ――辞めて……もう、豊を傷つけないで!


 咄嗟にその場に転がっていた自分の荷物を力いっぱい男子生徒の頭に投げると、男子生徒はこちらを振り向いた。


「いってぇな。……がっ!?」


 男子生徒が私に気を取られた瞬間、その隙を逃さず豊が彼の顎に拳をぶつけた。

 脳が揺れたのか、男子生徒はそのまま体を大の字にして倒れる。

 最後の1人が倒れ、私は豊の元へ駆け寄った。

 

「豊! 酷い怪我! すぐ手当てするからね!」


 殴られた時に切ったのか、口や額から流れている血がシャツの一部が赤く染めていた。急いでポケットからハンカチを取り出し、傷口の周りの血を拭う。

 しかし、すぐに私の手は止まってしまった。

 

「……!?」


 豊は私を強く抱き締めていた。


「杏……怪我無いか?」

 

 肩で息をする豊がそう言うと、今日で1番大粒の涙を溢れた私も、彼の背中に手を回す。


「……うん。豊が助けに来てくれたから、大丈夫だよ……」


 それを聞いて安心したのか、豊は優しく微笑む。


「なら……良かった」


 言葉と同時に豊の抱き締める強さが、更に強くなる。


「……本当に良かった」


 溢れ出る涙が更に勢いを増す。やがて、涙だけではなく今まで我慢していた想いが漏れ出す。


「……うぅ、うぅぅ」


「おい、杏? もう泣かなくていいんだぞ?」


「うぅぅ……豊のばかぁ! ばかゆたかぁ!」


 廊下まで響く泣き声にも、貴方は動じない。


「そうだな、馬鹿だな」


「馬鹿だよぉ! もっと優しくしてよぉ!」


 1度溢れた想いは決壊したダムのように、もう止まらない。


「もっと一緒にいてよ! もっと構ってよ! もっと甘えさせてよ!」


 ずっと我慢してたのに。


「もっと私を見てよ!」


 嫌わてもしょうがないって思っていたのに。


「もっと『杏』って呼んで笑ってよ!」


 本当につまらなかったんだから。


「ずっと私の側にいてよぉ!」


 豊の胸で暫くわんわんと泣き続ける。すると、私の泣き声を聞きつけたのか、1人の教師が怒号を発しながら教室に入ってきた。


「おい! これはどういうことだ! 説明しなさい!」


 ――私達が教師に事情を説明すると、教師は「そうか」と言って、それ以上豊を問い詰めることはしなかった。その後は教師が倒れていた犬井達の対応をしている間、私達は事情聴取の前に豊の傷の手当てをする為、保健室へと向かう。

 しかし、保健室の教師は出張で不在だった為、私が豊の手当てをすることになった。 

 いまだ止まぬに嗚咽を漏らしながら……。


「うぅ……ひっく」


 だいぶ治ってはきたものの、まだ涙で前がよく見えないまま豊の傷口を消毒する。


「いてっ! 杏、もっと優しく……」


 豊が私を呼んでくれるだけで、嬉しくて溢れる涙の量が増す。


「う、うぅぅぅ」


「……!? おい杏、どうしたんだよ?」


「……うわぁぁん!」


「悪かった! 悪かったから!」


「ぢがうよぉ、ばがゆだがぁ!」


 貴方は怒るかな? 今私が泣いている理由のほとんどは怖かったからじゃないよ。貴方が傷を負ってまで、私を助けてくれたこと、こうして2人きりの空間で一緒にいられるのが嬉しいんだよ。


 ――今だったら……我儘言っても聞いてくれるかな?


「ぎょう、ゆだがのいえいぐぅ。いっじょにがえるぅ……」


 涙か鼻水かもわからないほど、ぐしゃぐしゃで酷い顔を隠さない私に豊は優しく微笑んだ。


「……ははは、わかったよ。夕飯はどうする?」


「だべる〜」


 その後、犬井を含めた4人の生徒は退学。私を守る為とはいえ、豊がとった行動は最善ではなかったと判断され、一定期間の停学処分となり、彼は高校1年の文化祭には参加できなかった。


 これが疎遠になっていた私と豊が、またこうして仲良くなれたきっかけ。


 あの事件で豊や極一部以外の男性が怖くなってしまったけど、同時に貴方との大切な思い出でもあるんだよ――。

 


 

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