第20話 なにかが溶けていきました
借り物競争が終わり、次の種目は選抜リレー。
クラスの中で選ばれた走者が各自待機場所につき、合図の空砲と共に1番手の選手が一斉に駆け出した。
周囲は今日1番の声援で、自分のクラスの走者を応援する。
そんな白熱した雰囲気に吞まれたのか、鼓動が早くなった私は夢中になって見ていると、後ろから声をかけられた。
「悪い! ずいぶん時間がかかっちまった!」
振り返ると、とある用事を済ませてきた源さんが息を切らしながら、私を呼ぶ。
「特に問題はなかったかい? 白花ちゃん」
「うん! さっきね、豊と一緒に借り物競争ってやつに参加したの!」
「かっ借り物競争? 一体何を貸したんだ?」
「『家族』! あのねあのね! 豊が私を『家族』って言ってくれたの!」
「家族!? それで豊が白花ちゃんを連れて行ったのか?」
私の言葉に源さんは驚きを隠せないようだ。
「うん! 最初は源さんを探していたけど、ちょうど居なかったから……」
「そ、そうか……豊がそんな事言うなんてな……」
「やっぱり……迷惑かな?」
絞り出すようにでた私の言葉に源さんは、すぐさま目線を私に戻して少しあたふたする。
「いやいや、迷惑なんかじゃないぞ!? でも、そうだなぁ……血は繋がってないが、確かに白花ちゃんはもう俺達の家族みたいなもんだなぁ」
源さんの言葉に、胸の真ん中で何かが「じゅわ」っと溶けていくような感覚を感じ、気持ちが軽くなっていく。
この感覚をもう1度味わいたくて、卑しいとわかっていながらこの言葉を口にする。
「本当?」
「もちろんさ! 白花ちゃんが来てから、豊も楽しそうだしなぁ……色々お手伝いもしてくれて助かるし、何よりも家の中が明るくなったよ」
また胸の中で、何かが溶けていく。
これを感じるたびに、ある事を思い出す。
それは豊が私を見つけてくれたあの日、初めてあの家に入った時の気持ち。
ぽかぽかした暖かな何かが包んでくれたあの感覚。
見ず知らずの私を助けてくれた豊と源さん。手のかかる私を、嫌な顔1つせずにいつも笑顔で面倒を見てくれた杏。
そんな3人と、一緒にご飯を食べたり、テレビを見て笑い合うあの空間が大好き。
でも、あの家で私は居ても居なくてもどちらでもいい存在。
そんなことを考えているのは私だけで、いつも対等に接してくれている3人はそんなこと考えていないと信じたい。これは私の思い過ごしで勝手な妄想なのだと。
しかし、1度芽生えたこの気持ちは自分だけで整理ができなかった。
私は……3人に必要とされる、家族になりたかった。
血は繋がっていなくても「白花は家族同然だ」という言葉をかけてもらいたくて、日々のお礼もかねて、私ができることはなんでも率先してやるようになったけど、その程度ではこの願いが叶う訳ないし、こんな下心でやっていても虚しいだけ。
だから今日、豊と源さんの口から「家族」と言ってもらえた時は本当に嬉しかった。
この幸福感は自分の内側だけでは抑えきれず、笑顔という表情に変換される。
「ありがと! 源さん!」
源さんは頷き、私の頭を撫でながら優しい笑顔を見せた。
「……白花ちゃん、気にしなくて良いんだよ」
「え?」
まるで私の心を見透かしたような言葉を口にする源さんに戸惑いを隠せない。
「面倒見てもらってるからとか、他にどんなことで悩んでるのか。俺には全部わからねぇが、気にせず笑って過ごしてくれたら俺は1番嬉しいなぁ」
また胸でなにか溶けていく……。
自分が何故、こんなにも「家族」という言葉に執着しているのかはわからない。
もしかしたら、私の失った記憶が関係しているのだろうか……。
「おっ白花ちゃん! 次の走るの豊かだぞ!」
「え!?」
急いで視線をグラウンドへ移す。バトンを持って走っている走者を目で追いかけると、その走者はバトンを待つ腕を前に出した。
走者が前に出した腕の先には、
「ゆーたーかー!! 頑張れぇー!」
私の声が届いたのか、豊は一瞬こちらを見ては、すぐ目線をバトンの方へ戻す。
そして豊にバトンが渡った瞬間、クラスメイト達の熱が更に上がる。
「時庭! いけー!」
「頑張れー! 時庭くーん!」
声援に後押しされるかのように、豊はどんどんスピードを上げていく。
豊のクラスの順位は……5クラス中4番目、かなり厳しい順位だけど、1位との差はあまり大きくない。
すぐに目の前の走者を抜いて順位を3位に上げ、更にスピードを上げた豊は2位の走者との差をどんどん縮めていき、そのまま横から追い越していく。
しかし、豊の勢いはまだ止まらない。
追い越すべき走者はあと1人。その走者との距離も縮めるが、ゴールまではあと少し。
先程まであんなに熱狂していたクラスメイトの歓声が静かになる。
この前覚えた言葉である息を呑むとはこの事なのだろう。
すぐ背後まで近づいてくる豊の気配を感じるのか、先頭の走者は力を振り絞って逃げようとするが、それでも豊との距離は広まるどころか更に縮まっている。
そしてゴールまで残り20メートル程、遂に豊が先頭と並ぶ……いや、並ぶ事なくそのままゴールに1番近い走者となった。
その瞬間、静まっていた歓声はまるでエネルギーを溜めていたものが、一斉に放出したかのようにどっと沸きあがる。
「豊! すごーい!」
クラスメイト達につられるように私も歓声を上げ、興奮のあまりその場をぴょんぴょんと飛び跳ねる。
大歓声の中、豊はまだ誰も超えていないゴールテープを通過した。
「やったぁ! 源さん、豊と杏のクラスが1位だよ!」
「そうだなぁ、こりゃあ今日はご馳走を作らないとなぁ」
「私も手伝う!」
「ありがとう。じゃあ今日は一緒に豊と杏ちゃんを祝ってやろう」
その後も残り少ない体育祭のプログラムは進み、何事もなく無事に閉会式を終えた。
様々な生徒や先生が後片付けをする中、観覧スペースを区切っていたロープもなくなる。
源さんは再び席を外している。あの件でいろいろと忙しいのだろう……。
観覧スペースにいた他の人達も帰り、残っているのは私1人だけ。
もしできれば、このまま豊と杏に「お疲れ様」と言ってあげたいけど、難しそうだな……。
どちらにしろ豊と杏はあの家に帰ってくる。
今は大人しく帰ろうとグラウンドに背を向け、歩き出そうとすると……。
「白花ちゃーん!」
誰かが私を呼ぶ。
振り向くと、杏がこちらに向かって駆け寄ってきていた。
「杏! 今日はお疲れ様!」
「ありがとう。白花ちゃんも見に来てくれてありがとうね」
「楽しかったよ! 杏ちゃんと豊が借り物競争一緒に走っているときなんか、周りもすごい盛り上がってたんだから!」
「あはは……もしかすると、それは違う意味で盛り上がってたのかもなぁ……」
苦笑いを浮かべた杏は片付けをしながら友人と話している豊の方を見て、再び私に視線を戻す。
「そういえば白花ちゃんも借り物競争の時、豊と走ってたよね? あれってどんなお題だったの?」
「あれね、『家族』ってお題だったの! ちょうど源さんがいなかったから、代わりに私が豊と一緒に走ったの」
「……へぇ、そうなんだ。それは豊から白花ちゃんを連れだしたの?」
「えっとね、最初は私が代わりに行こうと思ったんだけど、やっぱり違うかなって思って辞めたの。でも、そしたら豊が私の手を引っ張って『白花は家族だ』って言ってくれたんだ! 私嬉しくて抱き着いちゃった!」
「あぁ……それで、あの時抱き着いてたんだ。でも、人前であんまり抱き着いちゃ駄目だよ? 豊、あの後クラスメイトにもみくちゃにさてたんだから」
「私も見てた……今度からは気を付けるね。でも、嬉しかったんだ。思わず豊かに『好き』って言っちゃたし」
「……!? それってどういうこと?」
なんだろう? 今一瞬、杏の様子がおかしかったような……。
刹那的な時間だが、いつもと違った様子を見せた杏に違和感を覚えながらも、彼女の問いに答えた。
「そのままだよ? 私にとって豊や源さん、そして杏は大切で大好きな人だもん」
そう言うと、先ほどの違和感は気のせいかと思うほど、杏はいつもの笑顔を見せる。
「あぁ、そういうことか! ……あのね白花ちゃん、その気持ちは凄い大切にするべきで素敵な事なんだけど、女の人が男の人にすぐ『好き』って言っちゃうのはあんまりお勧めできないなぁ」
「え? それはなんで?」
私の疑問に杏は少し上を向き、「うーん」と言って考え込む。
「なんていうか、説明が難しいから今度教えるね! とにかく、豊とか男の人に「好き」って軽々しく言っちゃダメ! わかった?」
「……わかった!」
私の中の常識はほとんど杏が教えてくれたもので。彼女がダメと言うのであれば、豊に「好き」と言った私の行いは愚かで反省すべきことなのだろう。
「それじゃあ、私は戻るかな。また後でね白花ちゃん!」
「うん、後でね!」
杏と別れ、再び1人になった私もその場を離れようとすると、片付けを終え、グラウンドの方からクラスメイトと共にこちらへ向かってくる豊の姿が見えた。
可能であれば、この場で豊に「お疲れ様」と伝えて、「さっきはごめんなさい」と借り物競争の時の自分の無礼を謝りたい。
私が徐々に近づいてくる豊を見つめていると、豊自身も私に気づいたようで、クラスメイトに何かを伝え、豊が1人こちらへ向かってくる。
私と豊の距離はあと数メートル、待ちきれず私が「豊」と呼ぼうとした瞬間——。
「時庭先輩!」
私が声を発する前に、突如横の方から誰かが豊を呼んだ。
声のした方を見ると、そこには女子生徒が立っている。
「えーと……ごめん。どちら様?」
呼ばれた張本人の豊も、声の主である女子生徒に返答するが、豊の反応からして、どうやら知らない人のようだ。
「わ、私1年生の
女子生徒……涼森はかなり緊張した様子で自己紹介をする。
「悪い白花、ちょっと待っててくれ」
豊は足先を私から涼森の方へ変え、彼女の方へ歩み寄っていった。
「ごめん、俺と君ってどこかで接点あったっけ?」
「い、いえ! こうして話すのも初めてです!」
緊張からか若干、声が裏返りながら喋る涼森に私は違和感を覚える。
——なんであんなに緊張しているんだろう? 豊、怖くないし優しいのに。
「そうなんだ。じゃあ、どんな用件?」
豊の質問に対し、涼森は豊から目線を逸らしつつも、何かを決心したように、大きな声でこう言った。
「私! 時庭先輩が好きです!」
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