Blue Lost Blue

森本 有樹

青春の幻影は消え失せ……

 相変わらずテレビは発覚したスキャンダルを報道し、ネットは正しさとか、公益だとかという言葉で誰かを貶めようと醜態を晒し続けている。

 私は駅前でモーニングを噛りながら朝のニュースを見る。新聞一面は先週からの政治スキャンダル。戦闘機の開発における国家ぐるみの汚職のニュース。

 私が告発した真実だ。

 告発者を探す動画は証人保護の分厚い向こう側から、諸悪の根本だという人物の失脚はあなたのおかげだ!と感謝をし、もう怯える必要はないから表に出てきて我々を導いてくれ!と頼んできている。それに、表に出たら、こいつらの餌食だったんだろうなあ……と地獄行きの神輿への嫌悪感で口を歪ませ、それから、立派な社用車が止まるのを視線の端に捉え、私は残りのトーストをもうひと噛りして立ち上がった。

「お待たせしました。サユリです。」

 私は挨拶し、反対側の席に座る女に会釈した。

 彼女は運転手に命じて車を発進させた。回りが流れるように過ぎ去っていく。

 世間は街頭のテレビを前に、激烈に怒っている。私達はそれを無視して話を続けた。

「急な呼び出しでごめんなさい。忙しかった?」

 昼間は営業外なんで。と告げると彼女はよかった。とホッとした顔を浮かべる。お互い大変ですね、社会人と言うものは、と一緒に笑う。その小さな共通点だけでも、人は幾分か安らぎ、リラックスする。相手も、自分と同等の存在だという認識を持てるからだ。

「あの日、あの資料は……貴女は見た?」

 次に彼女がした唐突な質問に、はい。と答える。それに彼女は、「そう」と言って沈黙した。私はあの日、朝机に散らばっていた沢山の資料を思い出していた。

 資料は最初は難しい政治のスキャンダルの告発とそのための専門用語で一杯だった。しかし、その後ろに行くに連れ、徐々に技術的な話が続き、最期には資料は図面になっていた。

 戦闘機の、設計図に。

「感想は……?」

 いきなり想定外の質問を問われた私は、答えに迷い、そして、なんかシャープですね、と答えた。彼女の反応が無いのが気になり、自分のは個人で完結する仕事だから、よく判らないと言って反応を伺う。

「……よね。うん。私もそっちの世界は全く想像できない。」

「人って、異世界だよ。」私は美審眼の無さを誤魔化しながら笑った。「みんな違う。だから大切なものも、知っている価値も、誰かにはゴミみたいなものも、他の誰かには宝物だったりする。」

「それも貴女の職業柄?」

「そうだね。たぶん、そう……。」

 再び車内は沈黙に包まれた。私は、彼女から窓に視線を移し、あの日から、様変わりした世界に再び目をやった。

 まず、前提として、この国は武器輸出大国で、戦闘機のシェアは巨大だった。そして、自殺した男が残した告発文書、そこから見つかったのは次期戦闘機開発計画に係る大規模な汚職、醜い金の流れだった。国防軍開発局から大蔵省、政治家、役人に将軍たち。公的組織で関わっているものが居ない程の巨大な汚職の実態の全てがそれに詰まっていた。警察を呼んでその資料を渡した数日後、巧みに隠された汚ない金の流れは白日の下にさらされた。それが、あの朝のニュース。

 今日呼ばれたのはその資料にあった機体……設計者である彼の担当が指揮を取って作成していた機体……の他の開発スタッフに彼の最期について話をしてほしい。今日のタスクは、そういうことだ。


 車はやがて工業地帯に止まった。名だたる重工系企業のエンブレムの書かれた建物のエリアを抜けると、車は厳重な警備が敷かれたエリアに止まった

「ついたわ」サユリは先に降りて、「降りて。」と促して来た。私が降りたときの感想は、「広い」だった。

 高い建物が回りに無いのだ、だからこそ、広く感じる。上を見渡すと青い空。綺麗だ、と驚く私とは対照的に、彼女は見慣れた光景なのか、硬い表情をしたまま格納庫へ手招きする。

 格納庫だ。既に中には何人か人が居るようだった。つなぎを着た技術者や何やら難しそうな学者みたいな人達に挨拶すると、彼らは声を掛け合って集まる。私はあの日の話を話し始めた。

「あの日は、普通の日になるはすでした。でも、あの日のお客さんはおかしかった。」

 スタッフたちは真剣に話を聞いていた。

「同意書を書かなかったの。三度、それが規則だって言ったらようやくサインしてくれた……お願いも、自分が眠るまで見つめさせてくれ……。変だなと思ったけど、お金貰った後だし、私はそれに従いました。そして、朝起きたら……毒薬を飲んでいました。……そして、机にはいつのまにか広げた書類、誰が悪いとか。そんな告発書……。」

 あの朝の事を思い出しながら話を聞く。そうだ。そういったことがあった。朝起きたとき、目の前の彼は安らかに死んでいた。眠った時に確かに握っていた手はいつの間にか振りほどかれ、机一杯に広がった沢山の資料、とメモ。気が動転して警察を呼ぶようホテルの管理人に通報した時。外は晴れていた。雲一つない空。まるで誰かが天国まで飛んでいくために神様が開けてくれた空。

 お話は、以上になります。そう言って私は質問は?と聞き、簡単な質問に答える。

 サユリは「眠るとき、後は何かを言っていた?」と聞いてくる。ふと思い出す。「貴女の名前を一度……。」

 彼女はなにも言わず私を見て頷いた。

「ありがとう、今はそれで十分。」サユリはそう感謝した。

 話終えると、私は、彼の人となりを聞いてみた。仕事に一途で、みんなから信頼されていた、という。

 我々は何も出来なかったという後悔がそれを裏付けていた。その後ろで、あの設計図の機体が身を隠すように鈍く暗く光っている。

「残念ですね。飛行機、完成したのに……こんなことになって。」

「あーあ、これは……」これは試作の機体だ。と彼は言った。

 技術者は意味を飲み込めない私に、兵器は試作から量産の過程で、試作から少しづつ変わって行くんだ、と。そして、横でシートを被っているのが今朝届いた量産型だそうだ。私は、そのシートを取り外すようお願いした。

 そして、飛行機を見た。

 それはあの機体であって、そうではない物体だった。

 一目でそれは先ほどの機体とまるで違うコンセプトで生まれてきたと判った。もっといえば、そう。向こうの機体が芸術なら、こちらは道具のような冷たさがあった。はもう一人分の席を確保するために醜く腫れ上がり、機種はその分の機械を置くために童話の嘘つき人形みたいに無理矢理伸ばした後がある。おそらくはその嘘で身を崩さないため、三角定規みたいな翼の前に小さな翼がついている。その更に先には奇形のパイプが突き出ている。

 総じて、醜く、下品な代物にしか見えない。元の機体と比べれば……。

「どう思う?」

 機体を一周し終えた後、サユリの質問に、思った事を、そのまま言った。しわくちゃの、失敗作に見えます。

「そう。」

 とサユリは言ってうつ向いた。まるで、雪深い夜に凍えている時にマッチ箱を渡された様な安堵の表情。少し、涙を流していた。

「なんで、こんなに変わったんですか?」

私は少し持った興味をぶつける

「求めている性能が変わったんだ。」

ツナギを着た男が言う。

 当初、この機体は飛ぶマシンとしての性能を第一に考えて設計された。軽快に空をかけ、敵より鋭く曲がる。そのため、綺麗に飛ぶための部品以外は極力取り除いた。高価で重いレーダーや長距離ミサイル、その他、シンプルに、軽く作るべきだという理念違反する一切合切、全てを空戦のためだけにつぎ込むべきだ。性能も値段も、無駄なものは、一つも許されない。

 ところが、政治家や将軍たちは、それでは満足しなかった。

 曰く、現在のレーダーでは武装のシステムを十分に生かせないから、レーダーを積むための容積を確保しろ。

 曰く、長時間作戦を続けられるようにしろ。

 曰く、単機で複雑で多用途な任務に適合出来るようにしろ。

 そうした要求が積みあがっていった結果、あの美しい機体は奇形児みたいなこの量産型へと変貌していった。頼みだった単座型も量産と将来のアップデート余力を確保するために複座型に準じる事となった

「確かに、兵器としての役割は、こっちの方がいい。だが、あの人は、役に立つ飛行機より、美しい飛行機を作りたかった、心は知らないが、少なくとも、身体はそう疼いていた。」

開発委員会の幹部だったという男はそう回想した。

「多分、あの人は気に入らなかったんだと思う。試作機から量産機を目指すために。どんどん理想から遠ざかる……だから、汚い手をだして、それでうまくいかなくなったから……。」

「きれいな夢と現実の差に耐えられなかったから、自殺したってこと?」

「おそらくはな……。」と男は言う。不幸な人だったよ。とも言う。戦争っていうのはある種のモノ作り屋の理想とはかけ離れた存在だ。何かの性能を純粋に伸ばす、そんな世界じゃない。ただ、血と鉄を公益という結果に最高効率で置換するそのために生み出されるのが兵器だ、それはマシン単体の高性能化と必ずしも一致しない。軍全体の生産、補給から前線での運用の負担までを巻き込んだコンセプト。とまで語って難解な概念に至る前に話を分かりやすく言い換える。車だってそうだ。パワーに溢れた速い車が必要なんじゃない。価格が手の届く範囲だったり、荷物を運べるよう車両限界一杯に大きくしたり……そうしなければならない。そう妥協しなければ車は今もレース場の中だ。

 身近な例でなんとなく少し分かったような気になる。そうだ、世界は何かを突き詰めるには、向いていない。いろんな欲求があって、いろんなしがらみがあって、尖った前衛的野望は、丸く、小さな、無害なモノへ変わっていく。

 自分の体を見る。そうだ、私自身もそうだ。何世代も進化を重ねて、尖った部分を妥協して、こういう姿に魔術生物学的ニッチを見つけた。世の中は、おしなべてそうだ。

私は彼彼女らに挨拶をする。互いに、今日はありがとうございました。といって分かれる。帰り際。もういちど格納庫の奥の二機を振り返った。どちらの機体も、暗闇の中で無言で何かを言いたげに佇んでいた。

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