第11話-1 みさき家の手伝い2
翌日――。
昼の営業時間は残り十分を切った。
メルリアはテーブルを拭きながら、今日と昨日の客の様子を思い浮かべていた。
昨日までの客は、みさきの家をよく使う常連の客の顔ぶれが多い。グレアム、テレーゼ、フィリスの三人の客に対する距離が近く、メルリアにも常連の客だとすぐに分かった。その上、新しく雇ったのかと聞く客も少なくはなかったからなおさらのことだ。
対して、今日は一見の客が多かった。みさき家の三人に友好的に話しかけてくる客は一人としておらず、メニューの内容について問われることも珍しくはなかった。また、来る客来る客がどこか見慣れない雰囲気を纏っている。それは、服装、しゃべり方、顔立ちなどにはっきりと現れていた。
「お祭りって、明日からだったよね?」
メルリアは掃除の手を動かしながら、厨房に立つフィリスに声をかけた。彼女は慣れた手つきで昼食の準備を始めている。
「そうよ。一日早くシーバに宿を取る外国の人も多いわ。今日みたいにね」
毎年そうなんだけどと付け足しながら、フィリスはフライパンの脇にスプーンを差し込む。ソースの味を見ながら、後ひと味足りないと頭を捻らせていた。
「明日からは今までと比べものにならないくらい忙しいから。頑張りましょうね」
「うん」
フィリスの励ましの言葉を素直に受け取ったメルリアは自然と笑顔を向けていた。フィリスは目の前の作業に集中し、それに気づくことはなかった。
カチリ、と時計の針が音を立てて動く。昼の営業時間終了まで残り五分となった。
明日からはお祭りだ。なんとか乗り切らないと。その前に、今日の休憩時間はどうやって過ごそう。誰かのお手伝いをした方がいいのだろうか……メルリアが今後のことについて悩んでいると、ドアが控えめに開く。扉を開けた茶髪の青年は、申し訳なさそうに言った。
「すみません、今からでも大丈夫ですか」
その言葉を聞き、えぇっと、と厨房に立つフィリスに判断を仰ぐ。フィリスは顔を上げると、作業の手を止めた。
「ええ、どうぞ。営業時間終了後は注文を受け付けられませんが」
「大丈夫です――そうだな」
メルリアはすっかり抜けていた気合いを入れ直し、男を席へと案内する。水と共にメニュー表を渡すと、男はそれにざっと目を通した。数秒考え込んだ後、男は口を開く。
「イカカツサンド。これ、お願いします」
「承りました、少々お待ちください」
男から差し出されたメニュー表を受け取ると、メルリアは厨房へ顔を出す。すると、もうすでに作業に取りかかっていたフィリスの姿があった。
「聞こえてたから大丈夫。……そうね、今日の昼はゲソを使うか」
注文を受ける傍ら、フィリスの頭の中は今日の昼食の献立を組み立てはじめていた。
メルリアはメニュー表を片付けると、店をぐるりと見回す。他に自分に出来ることがないか考えていたのだ。しかし、最後に客が来てから三十分が経過した。
その間に食器の片付けは済み、先ほどテーブルの片付けも終えてしまった。フィリスは自分が作業している間、他人に介入される事を嫌う。料理の手伝いは必要ないし、かえって邪魔になるだろう。だとすれば……。
ううん、と悩むメルリアの視界に、昼営業最後の客が目に入る。その姿には既視感があった。
どこかで見たことがあるような気がする。少しだけ喋った事もあるような。どこか……どこで?
メルリアは記憶を辿る。そんなに昔の話じゃないはずだ。シーバに来てからはずっとみさきの家にいるし、シーバの街の人ともみさきの家以外では話をしていない。
エピナールで? いや、この人の顔は見ていない。だったら……。メルリアがじっと考え込んでいると、青年と視線が合った。
「灯台祭っていつからでしたっけ?」
「明日からですよ」
メルリアがそう答えると、男の表情がわずかに陰る。
「病院の受付時間って、変更ありますよね」
「えっと……、あの、少々お待ちくださ……」
「ああ、いや、ご存じだったらと思って。後で確認しに行きますから大丈夫です」
慌ててフィリスに尋ねようとするメルリアを、男が止める。
どうやら青年はこの街の人間ではないようだ。旅行客だろうか。しかし、病院と言っていた以上、込み入った事情があるのだろう。
メルリアは振り返り、厨房の様子を確認する。フィリスがせっせと作業を進めていた。四分の一に割ったキャベツが軽快な音を立て千切りに変わっていく。もう少し時間がかかりそうだ。
……やっぱり、この男の人の声、どこかで聞いたことあるような。
メルリアが考え込んでいると、頭の中にベラミント村の景色が浮かび上がってくる。毎日見ていたりんごの木、薄桃色の花の咲く果樹園を通り過ぎて、旅人が多く通る街道へ。ベラミントの村に行き来する人に何度もすれ違う。果樹園のりんご林が遠くに見えた時、ベラミントの村に向かう人に声をかけられた。
――すみません、ベラミントの村って、こっちで合ってますか。
「……あ」
そうだ。メルリアははっと顔を上げた。旅に出てすぐのことだ。街道で村への道を聞いた青年が、目の前の男によく似ている。顔の雰囲気も、背格好も。それに、茶髪というところも同じだ――記憶と照らし合わせながら男の顔を見ていると、青年と視線が合った。口を開いたのは彼の方からだった。
「どうかしましたか?」
「あの、もし人違いだったらごめんなさい。……あれから、ベラミントの村には着けましたか?」
「どうしてそれを……」
男は驚きの表情を浮かべると、誰に言うでもなく口の中で何かを呟いた。
「もしかして、街道で道を教えてくれた?」
男はメルリアの顔をまじまじと見つめる。記憶の奥底から、メルリアと似たようなシルエットが浮かび上がってきた。が、その人物像や声はぼやけてしまっている。あの日からまだ十日は経っていないが、メルリアの記憶と異なり、男の記憶は酷く曖昧だった。
男の言葉に、メルリアはうんうんと何度も強く頷いた。
「おかげさまで、道を間違えず村に着けたよ。ありがとう」
男が柔らかく笑うと、メルリアの心の奥がじんわりと温かくなった。ほんの些細なことだったけれど、誰かの役に立てたみたいで嬉しい――。メルリアはその熱をじっくりと噛み締めた。
「って俺、普通に喋ってるけどいいのかな」
「大丈夫です。年上の人に丁寧にされるのって落ち着かなくって」
苦笑交じりにメルリアが答えると、背後のカウンターにコトンと物音がした。メルリアがその音に振り返ると、たった今フィリスが出来上がった料理をカウンターの上に置いた瞬間だった。メルリアはすぐにカウンターへ向かう。トレンチを取り出した後、フィリスに小声で言った。
「ご、ごめんなさい。ずっと喋っちゃってて……」
「別にいいわ。忙しくないし、お客さんと喋るのも接客のうちだって母さん言ってた。後は好きにして」
フィリスも声を潜めてそう返す。メルリアは頷くと、トレンチに出来上がったばかりの料理とスープの皿を二つ乗せる。揚げ物の衣の香ばしい匂いが、まだ昼食を済ませていないメルリアの食欲を刺激した。今日の昼ご飯に思考が向くが、料理を客の前に提供した彼女の表情は、店員の顔に戻っていた。
「お待たせしました」
「ありがとう……と、もうこんな時間か」
礼を言う男の視線が、彼女の後ろにある壁掛け時計に向いた。
営業終了時間を七分程度オーバーしていた。
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