第10話-2 みさき家の手伝い1
メルリアが口を開こうとするが、彼の欠伸の声で、出かかっていた言葉が引っ込んでしまう。
「ふわぁあー……っ。あー、眠ぃ」
厨房から湯が沸騰し、バラバラとパスタが湯に沈んでいく。
水が流れ、食器が重なりぶつかる高い音を聞きながら、少年は目を閉じた。そのままぐんと腕や体を伸ばし、二度目の大きなあくびをした。彼は十二分にリラックスしている。
自己紹介をした方がいいのだろうかと不安になったメルリアだったが、眠たそうに目を擦る彼を見て、それを躊躇ってしまう。ここまで眠そうならば、声をかけずにそっとしておくのが正解かもしれない。
自分が使用した食器を下げようと視線を下に向けると、すでに食器がなくなっていたことに気づく。顔を上げ厨房の方を窺うと、パスタを準備するフィリスの後ろでテレーゼが食器を片付けていた。
「ご、ごめんなさい、食器……!」
メルリアは慌てて立ち上がり奥のテレーゼへ声をかける。
流れていた水が止まり、テレーゼはメルリアに微笑みかけた。
「気にしないで、ゆっくりしていて」
メルリアは申し訳ない気持ちを抱えながら、静かに椅子へと腰掛けた。
「フィオン君フィオン君、気にならないか?」
「んー……?」
フィオンと呼ばれた少年は、閉じていた目をゆったりと開く。店の中をぐるりと見回すと、カウンター上の棚へと視線を向けた。
「あー、なんかやたら小物増えたね。しかもユカリノとかオウコウ風の物が多いし。もしかして灯台祭が近いから?」
フィオンの視線の先には動物の置物が並んでいた。
その中には、メルリアが今朝拾ったばかりの赤い獅子――赤べこと呼ばれる民芸品――や、熊を模した木彫りの彫刻がある。
あー、と、グレアムは微妙な声を漏らして少年に視線を向ける。
太い腕を組みながら苦い表情を浮かべ、わざとらしく「違うんだけどなぁ」という態度をした。
それを受け、フィオンは改めて店の中を見回す。
パスタを盛り付けるフィリスと視線が合った。一つため息をつく様子を見て、フィオンがはっとする。
眠気のせいで半分しか開いていなかった目が、ぱっと大きく見開いた。そのままメルリアへ目をやると、ぽん、と手をたたく。
うんうんと何かを納得したように、フィオンは何度もうなずいた。彼の隣に座るグレアムの目が輝く。
「事情は分かんないけど、理解はした。お前も大変だなー」
グレアムの言葉の真意に気づかないまま、フィオンはメルリアに同情的な視線を向ける。その隣でグレアムが盛大に机に突っ伏すが誰も構わない。すぐに顔を上げたからだ。
フィオンのテーブルの前に一人前のトマトパスタが到着する。メルリア達が先ほど食べた物より粘度は薄く、トマトから来る酸味の強い匂いが漂ってきた。
「そういやまだ名乗ってなかったな。俺はフィオン。フィオン・ウェイレット――いただきます」
「私、メルリア・ベルです。よろしくお願いします」
椅子に座ったままメルリアが頭を下げると、言葉として判別できないような曇った音が帰ってきた。
辛うじてフィオンの声であり、四文字の言葉を発したとは判断できる。メルリアが顔を上げると、フィオンはパスタに食らいついていた。言葉にならぬ声の原因は、口を閉じて返事をしたせいだと判断した。
……もしかして、よろしくって言ったのかな。
パスタをがっつくフィオンに尋ねるのは憚られ、メルリアは相づちだと思うことにする。
フィリスは気持ち程度の少量のサラダと水を追加すると、使っていた椅子に腰掛ける。入れ替わるようにグレアムが席を立った。
「フィリスちゃんと、フィオン……さん」
「フィオンに敬語なんていらない……、ね?」
言葉に迷っていると、フィリスがスパッと言い放つ。開いた手でフィオンはひらひらと手を振った。肯定の意だ。フィリスがそのように通訳すると、メルリアは改めて言い直す。
「二人はどういう間柄なの?」
「幼なじみ。私とフィオン同じ年だから、生まれたときから付き合いがある感じ」
「まー、もはや腐れ縁って感じかもしれないけどな」
あのね、と呆れるフィリスの表情はすぐに笑顔へと変わる。フィオンへの相づちは、少しだけ返答の声も高い。
それで特別に店を開けていたのか、と先の理由に合点がいく。
これ以上尋ねるのは他人に踏み込みすぎるような気がして、メルリアはそれ以上何も言わなかった。
代わりに、先ほどグレアムが整えた棚の上をただただ見つめた。喜怒哀楽それぞれの表情を浮かべる動物の置物たちに、果物の絵画と胴体の長い魚の魚拓。荷台から転げ落ちた積み荷同様、どこか統一性のないものが並んでいた。
「はー、ごちそうさま。フィリスのメシはやっぱり美味ぇわ」
「お粗末様。いい食べっぷりだったわ」
あっという間にフィオンは料理を平らげ、フィリスが使い終わった食器を重ねる。メルリアはそこではっと顔を上げた。
「私、持っていくね」
「そう? ありがとう。……そういえばフィオン、灯台祭の二日目だけど。火、いつ?」
フィリスの明るい声を背に、メルリアは厨房の奥へと向かった。
フィオンと話しているフィリスの表情や声色は、メルリアにはどこか嬉しそうに見えた。
生まれたときから付き合いがあるというから、フィリスにとってフィオンは家族のように特別な存在なのかもしれない。
であれば、二人の空間に自分のような他人が居続けるのは気が引けたのだった。
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