第21話 星夜の輝き

 名前で思い出したが、ふと気になっていたことを口にしてみる。

「星夜ってかっこいい名前だと思うけど」

「クリスマスの星降る夜に生まれたから星夜なんだとさ。これ、親戚の集まりのときにばらされて、大酒飲みたちにおもいっきりバカにされたんだ。それであだ名が『きららちゃん』とか『きらちゃん』とか呼ばれるようになって。そいつらが子供に話したせいで、学校でもあだ名が広まっていわゆる弄られキャラの出来あがり」

「それは悲惨だったね」

「遠い大学選んだのも知り合いに会いたくなかったんだよ」

「この学校には一人もいない?」

「今のところは会ってないかな。俺、東北出身だし関西の大学選ぶ人もそういないからね」

 佐藤の口調はやや早口で、事情を説明するというよりは愚痴を吐き出してしまいたいのだと悟った。

「自分の名前、嫌い?」

「憎たらしく思ったこともあったけど、名前が嫌いというより弄ってバカにされたのが辛かったんだなあって離れてみて思った。改名もよぎったことがあったけど、今はそこまで強い感情はないかな」

「名前というより、呼ばれ方の問題だね。意図しない呼び名は誰だって嬉しくないよ」

 親の愛情が子供に伝わるとは限らない。親も子もお互いに選べないし、それならば仲良くやるに越したことはない。すべて理想だ。

「あ、あの人」

 学食に二人の女子生徒が入ってきた。

 仲睦ましく、好きなアイドルについて話しながら通りすぎていく。

「あの二人って付き合ってるんだとな」

「そ、うなの?」

 蓮は反射的に身構えた。

「同性で付き合うってどんな気持ちなんだろう。考えらんねー」

「……………………」

「女子同士ならまだいいけどさ、男同士とか無理だって」

 これこそ価値観なのだろう。否定はできない。その分、胸の辺りがざわめいて悲鳴が起こっている。




 窓から差し込む月の光をぼんやりと眺めていた。今宵も星の光を跳ね返すほど夜空に咲いているが、気分の問題からか霞んで見えた。

「今日、あまり集中できてなかったね」

「気持ち良くなかったですか?」

 ベッドに伏したまま顔だけを後ろへ向けると、薫は屈託でもない、孤独を感じさせる顔をしていた。

 白い肌が月明かりに当たり、青白い。

「気持ち良いとか、そういう問題じゃないんだよ。誘ってくれたわりには上の空だった」

 彼の肌に触れた。太股の内側と同じように白く、今はしっとりと濡れている。

 しばらく肌をつついて遊んでいると、手首を掴まれた。

 ベッドに押し倒され、とたんに闇に包まれる。揺らぐ影は漆黒を呼び寄せ、月明かりを失せる。

「何かあった?」

 もう一度するつもりはないらしく、胸に頭がのしかかる。

 彼の髪の毛を指に絡めながら、

「仲良くなった友人がいるんですが、同性愛に否定的な人でして」

 と吐き出した。

「男の恋人がいるって話したの?」

「恋人がいるとしか話してないです。ただ同じ大学生で性別が同じ人同士で付き合っている人に対して、あまり良い言葉を言わなかったというか」

 気持ちを吐露すると、幾分か楽になった。

「本人が嫌な思いをした経験があるとか、生まれ育った環境や宗教とかの問題で受け入れられないとかいろいろあるよ」

「そうですよね……」

「同じ学校だし気にするなとは簡単に言えない。けど他人でしかないから分かり合えるのは不可能だよ。そういう人間もいるって思ってた方が楽になる」

「文化祭に恋人連れてきてって言われてるんです」

「気になる年頃だね」

 薫が笑うと、振動が伝わってくる。

「蓮君は、俺に来てほしい?」

「今の状況だと、何とも言えないです。来てもらえたらすっごく嬉しいけど、アクセサリーじゃないのに見せびらかしてるみたいに思えてしまって。そんなつもりで来てほしいわけじゃないのに」

「そういうもやもやが楽しめなくしてしまうものだね。今回は遠慮するよ」

 恋人つなぎのように、指を絡めた。

「寂しい?」

「寂しいです。でもそれがいいかもしれないって心の片隅にありました」

「代わりに、文化祭終わってからでも何か食べに行こうか」

「かき氷食べたいです。抹茶がかかってるやつ」

「最近はいろんな味が出てるよね。俺が子供の頃なんていちご、レモン、ブルーハワイが基本だったよ」

「あれはあれで素朴で好きですよ。田舎の……」

 ふと頭に浮かんだのは、彼との生活を豊かにするデートの誘いだった。

 すぐに現実に戻されたのは、先ほどから胸にしゃぶりついている大きな赤ん坊のせいだ。

「薫さん、祭りに行きませんか?」

「俺も行きたいって思ってたんだ」

「うそだ。おっぱいのことしか絶対考えてない」

「ばれたか。でもクレープは食べたいね。生クリームたっぷりの」

「なんかそれ、今言うとやらしい」

「ばれたか」

「僕はシンプルにチョコバナナがいいなあ」

「やらしい」

「そういう意味じゃない!」

 蝉の鳴き声も真夏の暑さも月明かりも、気持ちが和らぐとすべてが愛おしいものだと思える。

 窓から見える月はただの光ではなく、ふたりの人生を照らしてくれるのではないかと錯覚する。




 恥ずかしい、と何度訴えても聞き入れてはもらえず、蓮は初めて浴衣に腕を通した。

「似合う似合う。可愛い」

「ありがとうございます。やっぱり恥ずかしいですけど」

「ふふ……引っ剥がしたくなる」

 聞こえなかったふりをして、蓮は自分の姿を鏡で見た。

 大きな朝顔が身体を包んでいる。男性物の浴衣はシンプルなものが多いが、薫が選んだものは華やかな浴衣だ。

「慣れないと思うし、ゆっくり歩いていこう。地元の祭りだし、そんなに規模も大きくないから人も少ないと思う」

「途中まで車ですし、プロフェッショナルな彼氏ですね」

「王子様を守るのも俺の仕事だからね」

 京都といえば大きな祭りが複数あるが、薫に誘われて向かうのはほとんど地元民しか集まらない小さな祭りだ。規模が小さくとも、屋台も出るし花火も上がる。

「何から食べます?」

「もちろんクレープかな」

「あ、りんご飴がある」

 蓮は足を止め、薫の袖を掴んだ。

「あれって食べると歯が欠けそうですよね……みんなどうやって食べてるんだろ」

「もしかして丸ごと食べるものだと思ってる?」

「違うんですか?」

「家に持って帰って、切ってから食べるんだよ。いちご飴ならそのままでもいいと思うけど。買ってみる?」

 返事をするより先に、薫はお金を支払っている。

 艶があり、ずっしりとしている。二十歳を超えた今でもかじりつけそうにないのに、子供だった当時であるともっと無理だ。

 ついでにクレープを買い、土手の脇に座った。薫のハンカチが敷かれた特等席だ。

 生クリームを口の端につけて頬張る薫を見ているだけで、花火よりも価値があると思える。入院中は頼りがいと優しさの固まりだった彼は、実は甘えん坊だったりもする。

 代わりのハンカチを渡すと、薫は首を振った。仕方なく、あくまで仕方なく端についたクリームを拭う。

「舐めてほしいけど」

 耳元で囁くので、顔にハンカチを当ててやった。

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