第15話 一薫

──素晴らしい文化祭になるといいね─K─

 新幹線で天文サークルのブログを見ていると、Rが書いたブログにコメントがあった。すかさず「ありがとう」のスタンプを返した。

 他のメンバーが書いたブログも見るが、コメントが残されているのはRが書いたものだけだ。分かりやすすぎて蓮は頭を抱えた。

 新幹線の窓を開けて叫びたい。地団駄のように足踏みしても速くはならないが、せめて事故に遭わずに進んでほしいと願った。

 貯めて置いたお小遣いとお年玉を使い、蓮は夜行バスに乗って京都へ降り立った。

 京都駅は一言で言うなら和で、数寄屋のような作りの店が並んでいる。東京でもよく目にするチェーン店ですら特別仕様だ。

 マサはご丁寧に京都駅からの行き方まで書いてくれていた。

 電車でいくつか乗り換えをして書かれた駅に降り立つと、のどかな風景が広がっていた。京都と言われても想像する京都らしさがない。東北の田舎と言われても信じてしまうほど、時間がゆっくりと流れている。

「診療所?」

 紙と目の前の建物を見比べてみる。大きな建物の入り口にプレートが貼られていて、内科・眼科・外科・皮膚科と書いてある。

 中に入るが、今は昼休み中だからか人の気配はなく、しんとしている。皮膚科のプレートを確認し、蓮は扉を開けた。

 中にいたのは、小さな女の子だ。きょとんとした顔で、無遠慮に見上げてくる。

「つぎはいちじからです」

「ええと……こちらに、かずと先生はいますか?」

「るーちゃん?」

「るー……? 多分、その先生です」

「るーちゃん先生は、おやすみです」

「お休みかあ……困ったな……」

「ミカ、勝手に対応しないで大人を呼んでっていつも言ってるでしょう?」

 奥から女性が出てきた。

「ちがうよー、るーちゃんに用だもん」

「突然すみません。東京から来たんですが、向こうの知人からかずと先生がこちらにいると聞いて、京都に来ました」

「知人……?」

 女性は訝しみながら目を細める。

「マサさんという方です。地図も書いてもらったんです」

「マサから?」

 どうやら女性はマサを知っているらしい。

「本当です。どうか、会わせて頂けませんでしょうか」

 女性は迷っている。どう見ても怪しいと、目が疑っていた。

「あ、るーちゃん」

 後ろで扉が開く音がした。蓮は振り返る。背後の男と目が会った。

「……………………」

「かずと……先生」

 蓮は声を絞り出した。乾いた喉からかすれた音しか出なかった。

 かずとは無精ひげを生やし、普段会っていたときよりラフな格好だ。それに目の下にうっすらと隈ができている。痩せたようにも見えた。

 かずとは手に提げたビニール袋を落とす。早歩きでこちらに向かってくると、いきなり手を広げて抱きしめられた。

「せ、先生……」

「蓮……君……どうして……どうして……ここに……」

「薫君……あなたまさか……。……そういうことだったのね」

 後ろの女性が深く深く息を吐いた。子供は「るーちゃん?」と不思議そうな声を出している。

 かずとは嗚咽しながら何度も蓮の名を呼ぶ。それにつられて蓮もかずとを呼び続け、大きな背中に手を回した。

「ふたりとも、とりあえずここでそういうことは止めてちょうだい。もうすぐ昼休憩は終わる。薫君は仕事が休みなんだから、その子を連れていってちょうだいな」

「るーちゃん! ミカもるーちゃんちに行く!」

「ミカ、今日はダメよ。家に戻りましょう」

「どうして! るーちゃんいっつもいっしょだって言ったもん!」

「ミカ……今日はごめんね。また今度遊ぼう」

 かずとは蓮を離し、叫ぶ少女の側で膝をつくと、頭を撫でた。

「やくそくだよ」

「うん。約束だ」

 指切りげんまんをして、かずとは立ち上がった。

「……さあ、行こうか」

 かずとは落としたビニール袋を女性に渡し、扉を開けた。




 落ち着かなくソファーに座っていると、かずとはアイスコーヒーを持って隣へ腰掛けた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 入れたばかりだというのに、グラスにはもう水滴がつき始めている。蓮は半分ほど飲み、テーブルへ置いた。

 かずとは話さない。お互いに何の話題を出そうかと、考えあぐねていた。

「名前…………」

「ん?」

「先生の名前、『かずとかおる』なんですね。かずとが名前だと思ってました」

「もしかして知らなかったの?」

「はい。僕が入院してるときもみんなかずと先生って呼んでましたし」

「そっか。当たり前だけど、ちゃんと自己紹介してなかった気がする。かずとは漢数字の一って書くんだ。珍しいでしょう?」

「初めて聞きました。確かにいないですね。東京でマサさんに会って、地図を書いてもらいました。先生の本名もそこで知って驚いたんです。目が見えないって、人の名前や漢字すら情報が入ってこないんだなあって、考えていました。それに……」

「うん」

「まさか……京都にお住まいだったなんて……わざわざ会いにきてくれてたんですね」

 かずとは何も言わず、蓮の身体を抱き寄せた。

「十二月二十三日にくれたアクセサリーも、先生が同じものを持ってるって知ったんです」

「マサが話したのか」

「マサさんは、僕が先生から盗んだんじゃないかって疑ってました」

「なんであいつはすぐに喧嘩を売るかなあ……ごめんね。よく言っておくよ」

「僕の誕生日だったから……とても嬉しかったです」

「そっか。良かった」

「……もしかして、誕生日も知ってました?」

「知ってたよ。中学のとき、蓮君のカルテを僕も書いてたから」

「……おもいっきり叫びたい気分です」

 京都の蝉も負けじと声が大きい。窓もしっかりしまっているに、部屋の仲間で響いてくる。不思議と雑音には聞こえなくて、合唱団だとぼんやりと考えていた。

「さっきの子……ミカちゃんでしたっけ? 先生の子供ってわけじゃないんですね」

「設定として『好きな女の人の子供』ってことになってる」

「設定? どういうことですか?」

「ミカの話をするなら、俺の生まれや今までのことを話さなくちゃいけないね」

 かずとは二杯目のアイスコーヒーを入れた。コーヒーが好きなようで、冷蔵庫の中には違う種類のコーヒーがストックされていた。

「俺、マサ、ヒロ、そしてアイカ。こんな田舎で遊ぶものもなくて、俺たち四人はいつも畑や田んぼを駆け回ってた。幼なじみなんだ。アイカはいつも明るくて、学校でも人気があった。俺とは違ってね」

「かずと先生は、あんまり明るくなかったんですか?」

「全然。今だからこうして話せるけど、クラスでも目立たなくて、おとなしかった。告白されたこともないし」

「ええっ? 先生ってめちゃくちゃモテモテだったんだろうなあって妄想してました」

「妄想は無限大だね。引っ込み思案の俺、俺様タイプのマサ、誰にも優しくて王子様だったヒロ、みんなのアイドルだったアイカ。四人の中で、カップルが誕生しました。誰と誰でしょう?」

「……ヒロさんとアイカさん?」

「正解。本当にお似合いの二人だった。ミカは二人の子供なんだよ」

「幼なじみの二人のお子さんだったんですね」

「ほっとした?」

 かずとは笑いながら問いかける。

「……ちょっとだけ」

「ふふ……。蓮君が診療所で会った先生……女性の方だけど、アイカのお母さん。つまりミカの祖母にあたる方だね。四人の中に、一方通行の恋を募らせる人がいました。誰でしょう」

「かずと先生?」

「それも正解」

 ふと思い出すのは、ミカの祖母が言った「そういうことだったのね」だ。「あなたまさか」とも言った。

「先生……ひょっとして……」

「うん…………。蓮君の想像通りだよ。俺はヒロが好きだったんだ。先生が言った『そういうことだったのね』で、すべてばれちゃった」

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