第12話 ふたりの想い出

「マサ? ごめん、連絡できなかった」

『連絡できなかった? 何回したと思ってんだよ』

「ミカが来てたんだ」

『あー、それで』

「用件って?」

『夏に帰るから、そっちの日程聞きたかっただけだ』

 控え室のカレンダーを見た。丸が連続してついている週がある。

「お盆なら空いてるよ」

『もう墓参りの時期か……』

「一緒に行く?」

『そうだな。じゃあその週に合わせて帰るわ。ミカは元気にしてるか?』

「ああ。また大きくなったよ。言葉を覚えるのが早いね」

『あいつらが死んで、もう二年経つんだな。そういや、この前あのクソガキに会ったぜ』

「クソガキ?」

『お前が面倒見てた、目の見えなくなったガキだ。名前はなんてったかな』

「もしかして、蓮君?」

「ああ、そいつ」

「いつ? どこで会った?」

『駅前の家電量販店。女と一緒にいるのは見かけたぜ。仲良さそうだったな』

 恋人ではないはずだ。仲良くしているであろう、天文サークルの先輩かもしれない。

 彼のからかいを込めた含んだ言い方は、昔から変わらない。相手にしていたら、弱みに付け込まれるだけだ。

『壁に寄りかかってたから声かけたらあいつだったんだ。無駄なことしたぜ』

「仮にも医者なんだから、無駄なんて止めてくれ。目は大丈夫そうだった?」

『普通に見えてたっぽい。なんかあったら主治医に頼るだろ』

 側にいて、支えられたらどんなにいいか。だが彼の告白を一度拒絶した自分に、何ができるというのか。

 自分の置かれた環境、彼への気持ち、天秤にかけたときに何を優先しなければならないのか明白だった。

「……大人って、なんで天秤を持たされるんだろうな」

『意味わかんねえよ。なんだよ急に』

「たまには起きて遊んでご飯食べて寝て……っていう生活を送ってみたいよ」

『まるでミカだな』

「俺は……いろんな人を騙してる。ミカの天使の笑顔を見るたびに、罪悪感が溜まり続ける」

『お前が選んだ道だろうが。だから正直になれって言ったろ。ここまできたなら貫き通せよ。それと、蓮っつったか? あのガキにも肩入れすんな。どうせ振るつもりなら、もう二度と会わない方がいい』

「そうだね」

『心のない返事だな。俺言ったからな。じゃあ切るぜ』

 はっきり言う人間は雅人しかいない。彼しかかずとの秘密を知らないからだ。心の最奥に隠された気持ちは、話したわけでもなく雅人にはばれていた。

「……わかってるよ」

 廊下で足音が聞こえる。すでに仕事開始まであと十分を切った。

 かずとは白衣に身を包み、扉を開けた。




 久しぶりに会った蓮は少し背が伸び、大人びた気がした。

 まだ成長期であり、これからもっと身長が伸びるかもしれない。そんな姿を側で見つめられたら、どんなに嬉しいことだろう。

「どうかしました?」

「中学生の頃から見てるから、大きくなったなあって思って」

 蓮は俯いた。真っ白な首が赤く見える。

「おばあちゃんもおっきくなったって言うんですけど、よくわからなくて。褒められてるんだと思ってるんですが」

「間違いなく褒めてるし、幸せだって思ってるよ。さあ、もうすぐ着く」

 池袋にあるプラネタリウムは、あまり人が入っていなかった。

 貸し切りのようだと思えば、つい大胆な気持ちが生まれてくる。席に着き、そとっと手に被せると、蓮の肩が縮こまる。

 彼を見ると、暗いフロアの中で目が光っている。

「ごめん、嫌だった? 目は見える?」

「目は……大丈夫です。嫌なわけじゃなくて、気持ちが揺らぎそうで」

 気持ちが揺らぐ。ああ、そうかと、かずとは納得した。

 会ったときから目つきが違うなと思っていたが、彼は今日、覚悟を決めている。

 彼が出す決断に、納得してこちらも腹をくくらなければならない。彼の人生のために、彼の幸せを願うのなら。

 腕には、十二月に渡したブレスレットがついている。彼の純粋な想いに目元が痛くなった。目の奥がつんとして、熱が上昇する。

 春の空から始まり、季節が巡っていく。彼と観た冬の大三角も、今は隠れている。時が経つのが早い。

 二の腕に重みを感じ、彼を見るとすっかり寝入ってしまっている。起こすのも可哀想というのは自分勝手な言い訳で、単に彼の熱を感じていたかった。

 重ねた手を恋人繋ぎにしてみても、彼は起きない。

 薄暗い明かりがつくと、蓮の瞼が開いた。ばつが悪そうな顔をして、さらに握られた手を見ては固まっている。

「行こうか」

「はい……」

「そんなしょんぼりしなくて大丈夫だよ。俺も寝そうになったし」

「しょんぼりっていうか、手が……」

「手?」

 知らないふりをして、聞き返した。

「いえ、なんでもないです」

 ほんの少しだけ、手に力がこもった。繋いだままでいてほしいとの願いだと受け取り、かずとはプラネタリウムを出ても離さなかった。

「先生」

「ん?」

 蓮は急に立ち止まる。あやうく手を離しそうになった。

「想い出がほしいです」

「想い出?」

「先生と僕にしか判らないような、想い出」

 そういうことか、と納得した。

 彼は決着をつけようもしている。永遠の別れを告げようとしている。

 すべては自分のせいなのに。あやふやな態度で彼を傷つけ、遠ざけたのに。

「うん。作ろう、想い出。どこか行きたいところある?」

「ホテルがいいです」

 かずとは目を見開き、茫然としてしまった。

 恋人同士の先にあることをしたいと、彼は訴えている。

 答えないわけにはいかなかった。

「探してみよっか」

 かずとが笑いかけると、蓮は驚愕して瞬きすら忘れている。

 かずとは蓮が歩き出すのを待った。彼から言い出したことだが、しっかりと意思を確認したかった。

 プラネタリウムから出てくる女性たちは、ふたり手を繋ぐ姿を見て緊張感を漂わせている。あざ笑う者はいないが、異様だと雰囲気を醸し出していた。

「ちょっといい感じのホテルがいいです」

 やがて蓮は足を踏み出した。ちゃんと前を向いている。

 彼の意思が固まった瞬間だった。


「部屋に紅葉があるホテルって初めてです。ホテル自体も初めてですけど」

「俺もだよ。遊郭をイメージしているらしいね」

 蓮は何か言いたそうにこちらを見ている。

 ベッドとシャワールームがあるシンプルな部屋だが、朱色と黒で統一されている。本物ではなく作り物の紅葉だが、和の雰囲気を漂わせていた。

「遊郭ってよくわからないですけど、京都っぽいなあと思いました」

「京都?」

「なんとなく、勝手なイメージですけど」

「そっか。蓮君は京都のイメージか。確かに秋になれば、紅葉は綺麗かも」

 シャワーを浴びた身体は熱がこもっていて、バスローブの上からも熱を感じる。

「抱きたい? 抱かれたい?」

 一応聞いてみると、蓮は太股に手を置いた。

「痛みも含めて、全部ほしいです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る