第7話 細く続いた約束

 小泉が指差した先に、テニスラケットを背負った男女が飲み物をシェアしていた。

「見たことあるかも」

「ミスコンで優勝したカップルよ」

「あの男性と付き合ってたんですか?」

「そう。優勝したとたんに優勝者同士で付き合い始めた。しかも私とは別れてないのに」

「あの人たちの幸せを願えないですね」

 蓮はばっさりと言い放つ。

「そう言ってもらえると気持ちが楽になるよ。もう未練はないし、別にいいんだけどね」

「小泉さんには、もっと相応しい人がいます。絶対に」

「……うん、ありがと」

 恋をしていた小泉を見ていると、思いを馳せるのはかずとの微笑みだ。彼は元気にしているだろうか。会えるのは数か月先の十二月二十三日。まだまだ先だ。

 住んでいる場所も知らず、連絡先も交換していない。たった一つの約束だけが希望になっている。

「好きな人といられるだけで幸せなんて、嘘ですよね。どんどん欲張りになっていきます」

「そうだね」

 男性はこちらを向いた。隣に座る小泉を見て怪訝な表情をする。

 蓮は立ち上がって、小泉に戻ろうと促した。




 時間は有限で、過去には戻らない。ジョン・タイターになりたいか、と聞かれたら、絶対に首を横には振らない。タイムマシーンも必要がない。

 過去よりも未来へ向かって進んだ先には、十二月二十三日が待っている。

「蓮の誕生日会は、明日にしようねえ」

 祖母は顔をくしゃくしゃにして、孫の誕生日を心から喜んだ。

 コートとマフラーを着用して、六時過ぎに家を出た。真冬の寒さと乾燥を襲うのは人だけではなく、豊かに咲いていた花も葉も枯れ落ちている。

 電車は席はがらがらだった。明日であれば混雑しているだろう。

 十九時にはまだ早い。息を吐くと、白く濁っている。

 クリスマスには早くても、ツリーはイルミネーションで飾られ、サンタクロースの格好をした男性が看板を持って子供に手を振っている。

「こんばんは。待たせちゃった?」

 時計塔の短針はまだ七を差していない。

 数か月ぶりのかずとは少し髪が伸びていた。笑顔は相変わらずで、夜でも眩しい太陽は存在していた。

「さっき来たところです。……先生、会いたかったです」

「うん、久しぶりだね。忘れられていたらどうしようかと思った」

「忘れるはずがないです。絶対に」

「絶対……か。うん、そうだね。俺もこの日を待ってたよ。まずはご飯にしようか。寒いし、店に入ろう」

 かずとに連れられて入った店は、パスタの店だった。

 薄暗い明かりは目に優しく、ヴィンテージを思わせる造りは、木の香りがした。

「よく来るんですか?」

「いや、初めてだよ。ネットで調べて、来たいと思ったんだ。好きなの頼んで」

 パスタだけでもかなりの種類がある。肉も部位によって名前があり、値段の差も大きい。

 彼の言い方からして、支払いはすべて受け持つつもりなのだろう。

「サラダの量はけっこうあるから、シェアしようか」

「はい。ミートソースが食べたいです」

「本当に? 遠慮してない?」

「してないです」

 食べたいものより値段の安さを取るあたり、彼との距離を感じた。だが親しくなっても礼儀は必要で、こういう場面で取るべき言動に関して、経験値が足りない。

 かずとはラザニアを注文し、ここ数か月の出来事を互いに話した。

 かずとは仕事ばかりで変わったことはないもないのだと言う。蓮もテストに追われ、家と大学を行き来するだけの数か月だった。

 緊張してほとんど味の判らない料理を食べ終え、店を後にした。

「かずと先生の車ですか?」

「レンタカーだよ。後ろに天体望遠鏡積んであるから、助手席に乗って」

「天体望遠鏡……! 本格的だ!」

「持ってないんだっけ?」

「サークル活動用のものはあるんですが、目のことがあるので僕は夜みんなと出かけられないので。いずれ小さいものでも、アルバイトして買うつもりです」

「今だと卓上サイズとかあるもんね」

 どこへ行くとも聞かされていなかったが、かずとに任せた。

 心地よい揺れと安心感に包まれて、次第にまぶたが重くなっていく。

 寝ては失礼だと判っていても、なかなか欲には勝てない。身体に暖かいものがかけられたとき、ついに目を閉じてしまった。


 身体を揺さぶられて、蓮はゆっくりと目を開けた。

「あ」

「おはよう。着いたけど、もう少し寝る?」

「起きます……寝ちゃいました」

「助手席って気持ち良いよね。判るよ」

 身体を包んでいたのは大きめのタオルだ。

 顔を埋めると、かずとの匂いがした。かずとは肩を震わせている。

「さあ、寒いから防寒しっかりして、外に出よう」

 駐車場の外には、同じように天体望遠鏡を設置している人が数名いた。

「すごいですね……星が降ってきそう」

「あれが冬の大三角」

「本当に三角形だ。ベテルギウスと繋がってるのがオリオン座ですよね」

「そうだね。あとはシリウスとプロキオン。流れ星」

「ほんとだ」

「願いは?」

 流れ星はあっという間に消えていく。消える直前に「好き好き好き」と唱えるが、残念ながら三度の願いは届かなかった。

「なんで三回なんでしょうね」

「簡単に叶ったら努力は要らなくなるからじゃない?」

「いくら努力しても、叶えられないこともあるし人の気持ちも変わりません」

 意図せず強めの口調になってしまい、蓮は後悔した。

「すみません」

「いや、わかるよ。神様も星もなんでもできるわけじゃない。ロマンチックだけで受験を乗り切れるわけでもないしね」

「神頼みしても、結局本人の努力ですからね」

 現実的な話だ。星を前にして、ふさわしくないのかもしれない。

 それでも、本当に願いが叶うなら願わずにはいられない。

「かずと先生、また会ってくれますか」

 かずとはこちらを見る。蓮は目を合わせられず、顔を上げて無限に広がる星たちを眺めた。

 かずとは何も言わなかった。


 帰りの車の中は無言だった。もしかしたら恋はこれで終わりになるかもしれなくて、蓮ももう一度約束を交わせなかった。

「蓮君」

 赤信号で止まると、かずとは助手席へ手を伸ばした。

「あげる」

 手のひらに落とされたのは、ブレスレットだ。真ん中に細い板があり、星や惑星、ウサギがついている。

「どうして……?」

「久しぶりだから。プレゼント」

「ありがとうございます……! 大切にします」

 左腕につけてみた。軽い素材だが、重みがのしかかる。

 心を配れるほど話し上手でもなく、黙ってブレスレットを見つめるしかない。嬉しい、と何度もサインを送った。

 やがて告げた住所までたどり着く。目の前は蓮の家だ。

「今日はありがとうございました。プレゼントも、すごく嬉しいです。ずっとずっと大切にします」

「うん、よかった。次だけど、今年はもう会えない」

 今年はということは、来年はいいのだろうか。

「来年の……そうだな。ゴールデンウィークはどう?」

「会いたいです。なら五月五日はどうでしょう?」

「ごめん、こどもの日は無理だな。前の日の五月四日はどう?」

「はい。その日に。ゴールデンウィーク中、お仕事は忙しくないですか?」

「大丈夫、問題ないよ」

 また繋がりができた。天の川にかかる橋のように、一年に一回並の消え失せそうな小さく細い繋がりだ。

 時刻を見ると、まだ日付が変わっていない。誕生日プレゼントと思いたいブレスレットは、月の光に照らされている。月よりも太陽よりも眩しい、小さな光。

「五月四日は、また同じ駅でいいですか?」

「そうしよう。十二時に待ち合わせして、一緒にランチを食べようか」

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