第3話 カズの正体
祖父母の家から通える大学を選んだ理由は、複数ある。
まず大きな理由としては、実家ではなくここから通える大学に行きたかった。実家から通うには母と毎日顔を合わせることになるため、ただの毛嫌いだけではなく自分の病気とも冷静に向かい合った決断だ。
もう一つは、医者を目指したくなかったから。代々医師の家系に育ち、英才教育という名の虐待を強いられるのは目に見えている。将来の夢ですら勝手に変えられる恐れもあった。教育はできても子供の心は死んだままときが止まっている。
蓮はパソコンを閉じ、席を立った。
「宮野蓮君だよな?」
「うん」
「この後ひまだったりする?」
同じゼミを取っている男性だが、名前までは思い出せなかった。
「家に帰ろうかなって」
「ちょっとだけ付き合ってもらえないか? 合コンがあるんだけど、一人来られなくなったんだよ」
「合コン……」
「人数合わせで、途中で帰って構わないから」
「ちょっと連絡してみる」
祖母に電話をかけると、友達は大事にしなさいと有り難い言葉をもらった。
「僕お酒飲めないんだけど」
「大丈夫。合コンっつってもカフェだから」
「カフェで合コン……」
後ろをついていく間も、男の名前を思い出せなかった。
知ったのはカフェについた時点で佐久間と呼ばれたときだ。
「ええと……宮野蓮です。実は今日、人数合わせで呼ばれただけなので、早急に帰ります……」
「ええ? そうなの?」
「家が厳しかったり?」
「厳しくはないけど、おばあちゃんがご飯作って待っててくれているのに、急に電話して遅くなるって言っちゃったから……」
蓮はこれ以上話すこともないので、徹底して聞く側へ回った。
「宮野君、よければ連絡先を交換しない?」
「僕と?」
「私も人数合わせに呼ばれただけだから」
「ああ……うん」
「今週の土曜日って空いてたりする?」
「土曜日は病院に行くことになってて」
「どこか悪いの?」
「目の検査なんだ。視力とか」
会ったば適当にごまかした。
ふとした瞬間に、入院中の淡い気持ちが蘇ってくる。顔も知らない人に恋をして、告白して振られた。いい加減区切りをつけなければといけなかった。誘われるがままに参加してみたが、簡単に次へ向かえたなら苦労はしない。
一時間ほど滞在したところで、蓮は席を立った。初めての合コンは味気ないものに終わった。
駅前のCDショップへ寄り、入荷したばかりのゲーム音楽のCDを購入した。
かずとが病院でかけてくれたCDは、十五年ほど前に出たものだった。
他の医師に対して敬語を使っていたところを聞くと、当時の彼の年齢は二十代だったと予想している。
家に入る前、両頬を叩いてから靴を脱いだ。恋愛よりも勉強に励まないといけなかった。
視力検査や念のための聴覚検査も終え、特に異常なしと結果が出た。
「大学生活で支障はある?」
「特に今のところはないです。先生、ちょっと聞きたいことがあるんですが、かずと先生って聞いたことはありますか?」
「かずと先生……?」
いつもは心の中で呼んでいるため、彼の名前を口にしたのは久しぶりだ。
「その先生がどうかしたの? 何科の先生?」
「眼科……だと思います」
「思う?」
「高校生のときに目が見えなくなって、包帯を巻いた状態だったんです。そのときにお世話になった方で、顔を見てないんです」
「はは……不思議な出会いをしたね。残念だけど、そんな名前の先生は聞いたことがないなあ」
「個人情報がどうのって言われて、移動になったときも教えてもらえなかったんです。ただ会ってお礼がしたいだけなのに」
少しの嘘は、心が痛い。きっと会ったら、お礼だけでは済まない。
「もしそんな名前の先生に出会ったら、君が捜していたって伝えておくよ」
「ありがとうございます」
疲労回復の目薬を処方された。
原因不明であるため薬で治すことはほぼ不可能と言われている。疲れをためないようにし、目の環境を整えることしかできなかった。
病院を後にすると、端末にメッセージが一通届いていた。
ゼミの飲み会の参加有無だ。蓮は不可だと送り、鞄にしまう。
高校と大学は似て非なるもので、なにもかもが違う。
高校では校則の中に少しの自由、大学では校則の外にある自由。自由と比例して、責任が常につきまとう大学生活。
社会に出るための一歩だが怖くもあり、目の前に広がる色のついた世界は、魅力的で無限大だった。
「カズ、こっちだ」
蓮は顔を上げた。反応してしまったのは事実だが、名前は違う。
興味本位で呼ばれた『カズ』を覗いた。
カズは色白で、上背がありストレートの髪を持ち上げ、片手を上げている。
「ちょっと来るの早くないか?」
親しげにカズと話す男は、色黒でシャツの上からでもわかる筋肉質な男だった。
親しい間柄のようだが、距離感は友達とは違う。
「仕事が早めに終わったんだ」
耳と心臓が同時に反応した。どくん、と痛いほどに心臓は激しく音を鳴らし、膝から崩れ落ちそうになる。
足の感覚がなくなり、ガードレールに手をついて身体を支える。さらに心臓が著しく狂い、目がぼやけてきた。
蓮は目が見えなくなる感覚に蝕まれながらも、人の波を押しのける。
忘れもしない、穏やかな声はかずとのものだ。色黒の男に「仕事が早めに終わった」という言い方は蓮自身に向けられるものと違っていたが、滲み出る優しさは隠しようがない。間違いなくかずとだ。
荒れる呼吸を置いてけぼりにすれば余計に苦しくなるが、立ち止まってはいられなかった。
男たち二人は地下への階段を下りていく。ここで初めて蓮は止まり、息を大きく吸っては吐いた。
店の前に看板があるが、すでに目が見えなくなりつつある蓮には読めなかった。
壁を伝いながら一歩一歩下りていき、扉のドアノブに手をかけた。
「いらっしゃいませ」
アルコールの香りだけで立っていられないほどだ。とにかくきつい。
「失礼ですが、年齢を確認できるものはございますか?」
「未成年です」
飲みにきたわけでもないので、蓮は正直に言う。
「申し訳ございません。未成年の方はご遠慮願います」
「いえっ……知り合いが中に入っていったので……!」
「知り合い?」
店員は怪訝に問い返す。
「お願いします! 入れて下さい!」
足下がふらつく。酸素が足りない。目が見えない。
たとえ二度と目が見えなくなったとしても、もし彼にもう一度会えたなら幸せだった。
「すみません、知り合いの子です」
男が店員の肩を掴む。かずとだ。
「せ、せんせ……」
「んだよそのガキ、高校生か?」
「マサ、悪いんだけどまた今度」
「ああ?」
マサと呼ばれた男は不機嫌に舌打ちをする。
迫力と頭痛が襲い、蓮は壁に背をつけた。
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