Ⅴ 後篇(下)


 アロイスの育ての父は人間だ。だから彼に安心してもらえるように、対面の場所は人間界の、つまり俺の邑の、教会にした。

 邑の教会は集会所も兼ねている。

「あの方は誰なのですか、テオ。彼は人間ですね」

 聖職者は怪訝そうだったが、「子育ての悩み相談会をちょっと」と俺が云うと場所を貸してくれた。それだけでなく茶器も貸し出してくれたし、木の椅子を並べるのも手伝ってくれた。鐘楼の上に鳥が作った大きな巣を俺が取り除いてあげたことがあるから、聖職者には貸しがある。卵を盗られると想った鳥と激闘したんだ。

「遠路はるばるようこそ」

「お呼び立てしてすみません」

「テオ」

「あ、おばさんありがとう。人間の客が来ると知った邑の人たちが焼菓子を作ってくれたよ。どうぞ」

「フォークは」

「手づかみでかぶりつくのよ、ブラシウス。こういうお菓子はそうやって食べるの」

 アロイスの養父ヘルマン・ミュラー医師は、俺、シーナ、ブラシウス、シェラ・マドレ卿に囲まれて困惑したまま、椅子に腰を下ろしていた。髪には白いものが混じっていて、丸眼鏡をかけたミュラー医師はアロイスと並ぶと祖父と孫のようだ。

 美男のシェラ・マドレ卿が粗末な茶器にぶつぶつ文句をつけた。

「屋敷から青磁器を持って来るのだった。それにまずい。茶葉はこれしかないのか」

「世界中から珍味を取り寄せているような美食家のあなたの舌を満足させるようなものはこの邑には何もありませんよ卿」

 シェラ・マドレ卿にはアロイスの父を送迎するための馬車を出してもらったので、同席を断るわけにもいかない。

 ヘルマン・ミュラー医師は背筋を伸ばして椅子にかけていた。医師というよりは学者のようだ。医師は云った。

「この邑では、魔法使いと人間が融合しているようです」

「あなたの邑では違うのですか」

 すかさずブラシウスが口火を切った。

「アロイスはあの歳まで、自分のことを魔法使いだとは知らぬまま育っていたそうです。それは養父であるあなたの方針だったのでしょうか」

 ヘルマン・ミュラー医師は戸惑っていた。年長者のシェラ・マドレ卿から訊いてもらうほうがいい。

「順番に、まずは棄子を拾った時からのことを、お教えいただきたい」

「アロイスは、わたしの息子です」

「もちろんです」

「息子アロイス・ミュラーが何かご迷惑をおかけしてのことでしょうか。こうして呼び出されたからには、まず最初にその理由をお伺いしたい」

 家を空けてしまうと医者が不在になる、近隣地域には医者は自分だけしかいないのだと渋るヘルマン・ミュラーのために、シェラ・マドレ卿が分家の家庭医を医師の代理として邑に置いてきている。魔法使いに診てもらおうとする邑人がいるかどうかは分からないけれど。

 シェラ・マドレ卿は俺たちの方を向いた。

「こちらの方は人間といえども医師であられる。多少のことでは動じまい。包み隠さず全てを打ち明けるのが一番よい」 



 説明はシーナが担当した。女には珍しく寄り道せずに必要なことだけを手短に話すので丁度良かった。アロイスの邑に行こうとして以前とん挫していたその続きを俺たちはしようとしているのだ。

 事情が分かると、ヘルマン・ミュラ―医師はしっかりとした口調で語り出した。

「近くに医者はいるかと、魔法使いが邑人に訊いていたそうです」

 人間の捨て子ならば教会か、または邑の共同井戸の傍に置き去りにされることが多い。そこならば早朝から人が立ち寄るので必ず発見してもらえるからだ。

 しかしその赤子は、医師の家の敷石の上に置かれていた。

「意図的にわたしの家の前に棄てたのでしょう。夜で顔は見えなかったが、とても若い魔法使いだったそうです。わたしもその魔法使いを見たことがあります」

「本当ですか」

「顔が確認できるほどではありません。窓の外をすごい速さで飛び去ってしまうので確かめようがない。しかし若い魔法使いのようでした。家の前に赤子を棄てたのと同じ魔法使いでしょう。赤子の成長する様子を見に来ていたのです」

 アロイスと名付けた赤子を、ミュラー医師は我が子のようにして育てた。妻も子も夭折しており医師は独り身だった。邑の女たちが交代で、医師の引き取った赤子の面倒をみてくれた。

「アロイスが魔法使いだとはいつ頃、分かったのですか」

「わたしの眼には最初から」

 ミュラー医師はきっぱりと云った。

「人間の赤子とは違う。それに、歩き出す前から、アロイスは手を触れることなく近くのものを動かしていました。魔法使いは生まれた時から魔法使いです。若い魔法使いが様子を見に来ることからも、アロイスが魔法使いの子であることは承知でした」

「魔法使いであることを、アロイスには教えなかったのですか」

「わたしから伝えたことはありません。しかしアロイスは聡い子です。おそらく幼児期から本人は分かっていたでしょう。だがアロイスは人間のふりをしていました。人間を装っていた」


 アルバトロスも白銀の魔法使いを装っていた。


「おそらくは、アロイス本人も、ぼくは人間だと自分に強く云いきかせていたのです。幼い頃のアロイスは、わたしが与えた『ピノッキオ』をよく読んでいました。自分のことを人間の大工と暮らすピノッキオになぞらえていたのかも知れません。それが分かっていたので、こちらも知らないふりをして人間のふりをしているアロイスと共に暮らしていました」

 そこへ、魔女がやって来た。

 俺は云った。

「ルクレツィアはアロイスの生母です」

 医師は頷いた。

「魔女から聴きました」

「ルクレツィアさんはどうして……」

「身重の身でどうして失踪したか、ですか。懐妊が分かった時、魔女ルクレツィアは不安になったのです。以前産んで棄てた子、その子が今どのように育っているかを知りたくなったのです。彼女は知らねばならなかった」


 あの子はちゃんと育ってる? 悪い魔法使いにはなってない?


「魔女ルクレツィアは赤子を生むのをひどく恐れていました。以前の妊娠は望まぬかたちであったからです。襲われた魔女はその時に、胎内を悪魔の揺りかごに変えられたのではないかと疑っていました。そして魔女はアロイスのことを想い出したのです。あの時のあの棄子はどうしているのだろう。魔女は手を尽くしてわたしの許にいるアロイスを探し出しました。そして逢いに来たのです。新たに懐妊していた魔女はどうしてもそれを知る必要があった」

 アロイスに逢ったルクレツィアは泣いた。

 大丈夫。

 大丈夫。

 悪い子にはなっていない。この子は悪魔になっていない。

 黒金くろがねの魔法使いの思惑は跳ね除けられた。

 ミュラー医師は、知り合いの帆船の船長に請われて船医として邑を数年のあいだ離れている。幼いアロイスを連れて外国を巡っているあいだに、赤子の様子を見に来ていた若い魔法使いの姿も見なくなったそうだ。

「それはマキシムだわ」

 シーナが俺に囁いた。

「わたしとマキシムが暮らしていた海辺の邑とアロイスの邑は遠くない。マキシムはあの海辺の家から赤子を見に行っていたのよ」

「ハンスエリの父親のことは何か云っていましたか」

 俺は訊いた。

「赤子ハンスエリは誰の子なのか、ルクレツィアさんは云っていませんでしたか」

「彼女から教えてもらっています」

 ミュラー医師はよどみなくその名を云った。

「魔法使いベルナルディ・フォン・ホーエンツォレアン子爵です」

 それを聴いた俺たちは身体に入っていた力をようやく抜いた。それまでの数々の疑念から解放された安堵で想わず笑顔になった。良かった。ベルナルディの為にもハンスエリの為にも一番いい答えが聴けて良かった。シェラ・マドレ卿まで微笑んでいた。

 でもそれならどうして、ルクレツィアさんはベルナルディにそのことを黙っているのだろう。ハンスエリがベルナルディの実子だと分かったら、ベルナルディはきっと大歓びするだろうに。

 それにはミュラー医師が応えた。

「先ほども申し上げたように、ルクレツィアは胎内を悪魔に汚染されたのではないかと想っているからです。今回は両親が違うのだ。わたしは強く否定したのだが、魔女は心配が捨て切れないのです。無事に育っているアロイスを眼にしても、ハンスエリがもう少し大きくなって疑いが完全に晴れるまでは心配なのです」

 あのすやすや眠っているハンスエリがもし、アルバトロスがそうであったように黒金くろがねであることを自ら隠したり、黒金として育つ可能性が少しでもあるのなら。

 ザヴィエン家の人々が味わってきた身内殺しの苦悩と恐怖にルクレツィアさんも晒されていたのだ。

 ミュラー医師は俺たち告げた。

「もしアロイスが黒金の魔法使いに育っていたのなら、魔女ルクレツィアは胎の赤子ごと死ぬつもりだったそうです」

「ルクレツィアがぼくの母」

 少年の声がした。

 教会の入り口に箒を持ったアロイスが立っていた。

「最初に逢った時から何となくそれは分かっていました」

「アロイス」

 アロイスは居並んでいる俺たちを見廻した。

「あの人がそこまで想いつめていたなんて」

 ミュラー医師は椅子から立ち上がり、息子に向かって歩いて行った。

「聴いていたのかアロイス」

「ハンスエリはぼくの異父弟だ」

「そういうことだ。アロイス」

「偉大な力を持つ黒金の魔法使いが父親だって」

 アロイスは顔をゆがめた。

「ルクレツィアを苦しめた男ならば偉大でも父でも何でもない。お父さん、ぼくの父はあなたです」

「アロイス」

「父と呼ぶのはあなただけです。尊敬するぼくのお父さん」

 ミュラー医師はアロイスを抱きしめ、ピノッキオも医師に抱きついた。

「邑に帰りましょう。シェラ・マドレ卿、馬車を出して下さい」

 アロイスの顔は怒っていた。

「父を巻き込まないで下さい。お父さん、帰りましょう」

 諸国を巡り歩いて医療の研鑽を積んで来たミュラー医師は若者のような瑞々しい知的好奇心をまだ存分に持っていた。医師はシェラ・マドレ卿の馬車を興味深く観察していた。

「これに乗れば、人間のわたしでも魔界に行けるのだろうか」

 上着から紙と鉛筆を取り出して、ミュラー医師は素早く馬車の素描までとっていた。

「貴殿の代理として邑に置いてきたわが家の家庭医は優秀な医者です」

 ミュラー医師のことが気に入ったシェラ・マドレ卿は請け合った。

「せっかくの機会です。このまま魔都見物にお連れしましょう」

 アロイスは厭な顔をしたが、父親が歓んでいるので渋々承知した。

 アロイスとその父ヘルマン・ミュラー医師は、シェラ・マドレ卿の馬車で魔都観光に出発して行った。



 シェラ・マドレ卿の馬車を見送ってしまうと、俺とシーナとブラシウスは家に帰った。

「おや、人間のお客さんはもうお帰りかい」

 途中ですれ違った農婦が、俺たちが洗ってから返すつもりだった菓子皿を持ち帰ってくれた。

 家庭菜園の野菜がほどよく成っている。シーナは今からお菓子をくれた人たちに届けに行くと云って庭に残った。ブラシウスと俺が家に入ると師匠が待っていた。

「お帰り」

「あ、師匠。いたの」

 師匠は少し冷淡だった。疑いの眼で俺たちを見ていた。

「なにか隠れて良からぬことをやっている」

「ええと」

「それは話せば長くなるんだ師匠」

 そこへ、箒が家の庭に突っ込んで来た。ほとんど墜落するようにして不時着し、魔法使いが箒から転がり落ちてきた。ホーエンツォレアン家の者だ。

「テオさま大変です。ホーエンツォレアンのお屋敷が火事です」

「えっ」

「大火災です。一気に燃えました」

「すぐに行く」

 応えたのは俺ではなく師匠だった。

「師匠、俺たちも」

 俺とブラシウスが箒を持って外に出ると、師匠の黒い箒はすでに山脈の上だった。

「飛ばすぞ、ブラシウス」俺は怒鳴った。

「もちろんだ」

 庭からシーナがびっくりして見ていたが、構わず俺たちは大地を蹴った。 



 ホーエンツォレアン屋敷が近づくにつれて、煙りが見えた。風に乗って焦げた匂いがする。

 火災は母屋敷の右翼を全焼させていた。すでに鎮火しているが、上空から見ても大火災だったことが分かるような黒焦げだった。

「魔法だ」

 箒で屋根に降り立ったブラシウスが焼失した棟を眺めて断定した。

「通常の火災とは違う。一気に燃え上がっている」

 ベルナルディは何処だ。師匠は。

 俺は二人の姿を探した。箒をぶっ飛ばして来たので師匠とそんなに差をつけずに到着したはずだ。

「テオ、あっちだ」

 何かを見つけたブラシウスが箒で隣りの館に飛んで行った。ルクレツィアさんが静養している小館だ。俺も後を追う。

 ベルナルディは館の裏庭に倒れていた。倒れているベルナルディを師匠が抱え起こしている。俺とブラシウスは箒から降りて走って行った。こちらには火事は飛び火していないが、母屋敷から流れてくる煙のせいであたりは少し曇っていた。

 ベルナルディは俺の声に薄目を開けた。肩から血を流して怪我をしている。

「テオ」

「ベルナルディ。何があったの」

「ハンスエリが攫われた」ベルナルディに代って師匠が俺に応えた。

「母屋敷の火事に気を取られている隙を狙われた。火災を起こし、ハンスエリを攫ったのは黒金の魔法使いアルバトロスだ」

「テオ。こっちにはルクレツィア嬢が倒れてるぞ」

 ブラシウスが叫んだ。地面には争った痕がある。

 攫われた赤子を追い駈けようとする狂気の母親をベルナルディは制止しようとした。そのベルナルディにルクレツィアは魔法を放ったのだそうだ。ベルナルディの負っている怪我はそのせいだ。

 ベルナルディは負傷しながらも、ルクレツィアの背中に向けて魔法を飛ばした。

 飛び立とうとしたところをベルナルディの魔法に掴まったルクレツィアは箒から落とされた。陸に打ち上げられた人魚のようにルクレツィアさんは眼を閉じていた。大きな楡の木の下に崩れ落ち、いばら姫のように眠っていた。近くには箒が落ちていた。ベルナルディが愛するヘタイラの為に特注して作製させた深紅色の美しい箒だ。

「今度何かあれば、ルクレツィアは死んでしまう」

 魔法の中で魔女は眠る。深い深い眠りに落ちている。その夢の中では夫と二人の息子がいて倖せなのだ。

「ハンスエリが戻らない時も、彼女は胸が張り裂けて死んでしまうだろう。ルクレツィアにもうそんな想いはさせたくはない。これ以上の辛い想いは。マキシム」

 ベルナルディは師匠の腕を掴んだ。

「連れ戻してくれ。ハンスエリを」

 ベルナルディは泣いた。

「ハンスエリに何かあればルクレツィアは死んでしまう。ハンスエリはわたしたちの子だ」

「師匠」

 俺は師匠の前に立ち塞がった。師匠の箒の先を片手で掴んで止める。飛び立とうとしていた師匠は俺を睨んだ。

「退くんだ、テオ」

「駄目だよ師匠」

 俺は師匠と闘いたくないけれど、師匠を止めるために俺の手は魔法杖を握っていた。

「相手は黒金の魔法使いだよ」

「では白銀の魔法使いがそれに対処する。これはザヴィエン家の問題だ」

「だったら俺も連れて行けよ」

 弟子の俺にだって関係がある。

「それに何処に行ったかも分からないんだ。あてはあるの、師匠」

「昔、修行でそこに行ったことがある」

 『七冠』のライダーはいきなり踏み切った。風が刃となって頬を叩く。

「師匠」

 勢いを浴びて俺は地面に転がった。助走も取らずに最速始動した白銀の魔法使いの駈る箒は、追いすがる俺を振り切って大空を斜めに斬ると、灰色の雲海の彼方に消えてしまった。



[Ⅴ・了]

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