第五章◆悪魔の花嫁
Ⅴ 前篇(上)
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云われるままに、宮殿の中を俺たちは移動する。この棟にいるのは魔法使いばかり。それも若手の独身だけがぎゅう詰めになっている。
「淑女がたがご到着でございます」
「お揃いになられました。ただ今はご令嬢方のお召し替えの時間となっております」
「皇后との謁見が始まりましてございます」
係の者が進行を告げに来る。その間、俺たち魔法使いはひたすら待っている。何をするでもなく待っている。ぼけっと。
「昼食のお時間となりました」
「夕食のお時間となりました。どうぞ」
途中に二回、軽い食事が挟まったが、その他の時間は空白だった。早朝から宮殿に召集された魔法使いの貴族たち。ブリーチズとウエストコートの上から裾の長い上着を羽織る毎度おなじみの貴族の正装に身を包み、椅子に座ったり、軽食を摘まんだり、年長者は葉巻を吸ったりして、ただ俺たちは無為に過ごして待っている。夜の舞踏会が始まるまでは待機なのだ。ひたすら。
「気持ちは分かるが、そう露骨に態度に出すなよ」
「男は後から来ればいいじゃないか」
本日の主役は若い魔女なのだ。おそらく毎年誰かの口から必ず出るであろう同じやりとりが、俺の前でも繰り広げられていた。云いたくもなる。
「せめて夕方から。それから集まっても舞踏会には間に合うだろうに」
「そういうものじゃないんだ。これは昔からのしきたりなんだ」
「男が先に宮殿別棟に召集されて、夜明けから夜まで一日中こうして待機するしきたりなんてものに、いったい何の意味がある」
そして夜になればなったで、舞踏会の広間にも先に行って、魔女たちが揃って入って来るのをまた待つのだ。別棟に押し込められた俺たちは、まだ女の子の姿をちらりとも見ていない。
「ここにいる意味がまるでない」
「そうでもないぞ」
この状況に慣れている年長の青年魔法使いたちは余裕をみせて、分厚い名鑑をめくっていた。
「君たちもこれを見て、淑女たちの情報を収集したまえよ」
「先輩として助言しておく。魔女と対話する段取りになった時には、けっこうこれが役に立つものだよ。家系図や趣味や特技を抑えていると会話が繋がるし話題もはずむ」
花嫁探し。青年魔法使いたちが淑女名鑑をめくって魔女を物色する眼差しは真剣だったが、初めて招待された俺たちはまだそこまでの気持ちにはなれない。招待に応じたのはたくさんの女の子と逢えるから。そしてあわよくば誰かと付き合えたらいいな。それだけだ。
『冬の宮殿』で開催される舞踏会。
表向きは若い令嬢が皇后と謁見するお披露目の日となっている。その実質は、貴族の若い魔法使いと、若い魔女たちの、公式な出逢いの場なのだ。
冬の宮殿といっても、季節が冬という意味ではなく愛称だ。『冬の宮殿』はその名にふさわしく、雪のように真っ白な宮殿だった。
なんでそんなに何度も着替えるんだ? というほど、控えの棟に集まった貴族の魔法使いたちは何度も衣裳を着替えていた。
「上着はこれが。腰帯はこちらが。どちらがいいだろう」
「何でもいいだろ」
辟易した俺は訊かれるたびに片っ端から云い返した。
「着飾るのは魔女たちであって、俺たちの恰好なんかどうでもいいだろ」
「そうはいかない。第一印象は大切だ」
「緋色がいいか。それともやはり、ここは青緑色か」
「魔女の引き立て役になるように、男の装いは控えめな方がいいぞ」
「今の言葉は信じるな。それだと印象的ではないし消極的に想われる」
「諸君。大切なのは感じの良さと、清潔感と、女に安心感を与えることだ」
「しかしそれを装いで主張するのが難しい」
もうどうでもい。勝手にやっててくれ。
「シーナ、その恰好はなに」
悪夢が甦る。
ティアティアーナ伯爵未亡人の尽力で魔都の舞踏会に招待されることになったアルフォンシーナは、その日、伯爵未亡人の侍女が届けに来た当日のドレスを家で試着していた。扉が開いていたので通りかかった俺はシーナの室を覗いたんだ。
「シーナ、綺麗だ」
素直に感嘆の声が出た。次に俺は首をひねった。何だろうこの衣裳。
花冠。袖なしの白い衣。
「そのとおりよ」
シーナは認めた。
「ヘタイラとしてわたしは舞踏会に行くことになったの」
「何だって」
「さすがに棄子のままでは、いくら後ろ盾が立派であっても、伝統的な貴族の舞踏会に行くのは無理だったの。由緒正しい淑女たちと同列には出来ないということだったわ。だからわたしはヘタイラとして、舞踏会に行くことになったの」
「どういうこと」
「本当のヘタイラとは違うわ。見習いとして行くの。だから、わたしのこれは仮装のようなものね」
「シーナ。シーナは、ヘタイラが何か知ってるの」
「知ってるわ」
シーナの眼は覚め切った軽蔑を浮かべていた。
「全魔法使いの羨望の的の魔女のことでしょ。飾り物のような存在。舞踏会ではせいぜい男たちの助平な視線を浴びてくることにするわ」
そんな、シーナ。
俺は階段を駈け下りて師匠の許に駈け込んだ。師匠、止めてくれ。
「皇太后とティアティアーナ伯爵未亡人がお決めになられたことだ」
師匠も苦々しい顔をしていた。
「お二方で、アルフォンシーナを舞踏会に障りなく送り込む方法を検討しているうちに、決まったことだそうだ」
だからってヘタイラはないだろう。有閑老婦人二人でなに勝手に盛り上がってるんだよ。
名鑑をめくっている青年魔法使いに、誰かが訊いた。
「ヘタイラは何人来るんだ」
「二人」
「少ないな」
「毎年そんなものだ。この舞踏会に招待されるのは未婚で二十歳以下だからな。二人とも二十歳だ。ヘタイラを務める魔女は、美と知の双方を兼ね備えた大人の女でなければ」
「聴いたか。ヘタイラ候補の娘も一人、今夜の舞踏会に参加するそうだ」
ブラシウスが嬉しそうに触れ回っていた。ブラシウスはいそいそと鏡の前で衣裳を点検し始めた。
「見習いとはつまり、将来のヘタイラだ。今のうちにお近づきになっておかないとな」
ブラシウス、見て愕け。それはアルフォンシーナだ。
近くにパキケファロが居たので俺は彼に訊いてみた。ルクレツィアさんのことを考えながらその質問をした。結婚しても、彼女たちはヘタイラの職を続けられるのだろうか。
物知りのパキケファロ・デュ・ルッジェーロはすぐに教えてくれた。
「とくに決まりはないけど、慣例として結婚したヘタイラはみんな引退する。定員十二名のとても狭き門だから後輩に席を譲る意味もあるが、夫になった男が辞めて欲しがるからね」
結婚したアスパシアたちはやはりヘタイラの座から降りるのだ。パキケファロは続けて云った。
「みんな裕福な家に嫁いでお屋敷暮らしをしているよ。ヘタイラを妻にできた男ほど倖せな魔法使いはいないだろう。この舞踏会は貴族の娘でないと出席することは出来ないが、ヘタイラだけは別なんだ」
それで、身分のないシーナでも、ヘタイラ見習いとして正面から堂々と参加できるというわけだ。
冬の宮殿に集まっている青年魔法使いの中には、ヘタイラには興味がないと云い出す男もいた。
「あれは観賞用だ。争奪戦に参加しても時間の無駄になるだけだ。俺は他から確実に選びたい」
たとえ激戦に勝ち抜いたところで肝心のヘタイラに見向きもされなければその男には何の見込みもないのだから一理ある。それよりは現実的な可能性があるほうがいいと想うのは当然のことで、ヘタイラに血道を上げて時間を無駄にする他の男たちを出し抜くためにも、早い者勝ちだとばかりに淑女の履歴を束ねた名鑑はあちこちで熱心に閲覧されていた。
ちらりと見てみた。
当然、アルフォンシーナの名はそこにはない。
伯爵令嬢、男爵令嬢などといった爵位の順列の中に、棄子のアルフォンシーナはいないのだ。
エリーゼ・ルサージュが来るかどうか、係の者に俺は確認してみた。招待されている二人のヘタイラの名は、どちらもエリーゼではなかった。
「それは確かかい」
「確かでございます」
エリーゼは俺よりも年上だろうとは想っていたが、二十歳よりも上だったのか。しっかりしているけれど可愛い系の顔なのでまるで分からなかった。しかしこれで、エリーゼとシーナの鉢合わせは避けられた。
でも俺の気は晴れない。もう一つ、重大な懸念があるからだ。
広間の隅で、ブラシウスが一人の青年貴公子と仲良く談笑している。相手は円形闘技場で『オケアヌスの槍』を観覧した折に逢った男だ。『冬の宮殿』に皇后との謁見の名目で招待される女は二十歳以下だが、魔法使いの方は、三十歳以下の未婚者ならば招待状が配られるのだ。
ブラシウスの五つ年上の兄。青年貴族バルトロメウス・フォン・ウント・ツー・ツォレルンは来ていた。アルフォンシーナと見合いをするために。
まあ、お美しいこと。
髪型も薄化粧もよくお似合いですわ、アルフォンシーナさま。
ティアティアーナ伯爵未亡人の侍女たちに手を引かれて、装いの完成したシーナが階下に降りてきた時、俺と師匠は多分、同じことを考えていた。ヘタイラの衣裳を試着したシーナを褒めるどころではなかった。
「アルフォンシーナ。よく似合う」
師匠はそう云ったが、声は堅かった。男たちの憧れの的のヘタイラだけど、身内の娘がヘタイラになるとなれば、話が別だよ。
俺だってヘタイラを観たら付き合いたいとか恋人になりたいとか、想うことは想うけど、そのヘタイラにシーナがなるのはまったくの別問題だ。なんだよその恰好。ほとんど下着じゃないか。
「清純な少女らしさを残しつつもほんの少し色香も加えてみましたの。禁断の果実のように見えませんこと」
腕によりをかけたらしい伯爵未亡人の侍女たちは仕上がり具合に満足そうだったが、余計なことをしなくていいから。
あたふたしている俺に、師匠は厳命を下した。アルフォンシーナから離れるな。
「絶対に離れるな」
「だって舞踏会だよ。俺だって踊るうちにあちこち移動するよ」
「ヘタイラは目立つ。囲まれるからすぐに分かる。テオ、アルフォンシーナから眼を離すな」
「師匠も来てよ。招待状は師匠にも来てるじゃないか」
師匠の机の上には招待状がある。マキシムはその封筒を俺の眼の前で破ってしまった。
「これは制度上配られているだけだ。長子は学生のあいだしか参加しない。だからベルナルディも行くことは出来ない。冬の宮殿で開かれる舞踏会は原則、社交界に踏み出す学生と、家を継がない次男以下の為のものだ」
師匠は筆を取り上げた。
「こうなったからには、ベルナルディからツォレルン家のバルトロメウスに手紙を出してもらい、アルフォンシーナの保護を彼に依頼する。初めて行くテオよりも、様子の分かっている彼を監視役につけたほうがいい」
ねえ、師匠。そのせいでバルトロメウスとシーナが恋におちたらどうするんだよ。
だがいざ舞踏会が始まってみると、師匠が心配していた意味がよく分かった。
高嶺の花、ヘタイラは大人気だった。
ほとんどの魔法使いはこのような機会でもなければ、彼女たちを間近で見ることもないのだ。
なるべく傍に、一言だけ、あわよくば一曲だけでも。
男たちが殺到して、人垣がそこだけ何重にもなっていた。シーナなんか完全に埋もれていた。多分あそこにいるんだろうとは分かっても、姿が見えないほどだ。ティアティアーナ伯爵未亡人が侍女を附けてくれたはずだが、その姿も完全に見えない。ああなったらかえって安心かも知れない。男たちは互いを牽制し合い、出し抜こうとしても全く出来ないだろう。
「テオ、アルフォンシーナがヘタイラになって来た」
動揺して走ってきたブラシウスに俺はむっつりして頷いた。
「仮装だよ。今宵限りのヘタイラだ」
「それならそうと云っておいてくれよ」
ブラシウスは悔しがった。
「今からではまるで近寄れないじゃないか」
その通りで、ヘタイラが登場するなりどっと男たちが押し寄せ、噂に名高いアスパシアの姿で眼の保養をしたくとも出遅れた者は既に姿も見えないほどなのだ。
「……あら」
「これは。申し訳ありません」
シーナばかりに気を取られていると踊りがおろそかになる。ついに右に回るところを左に回ってしまった。これはひじょうに失礼なことで、俺は眼の前が真っ暗になった。女の側からすれば、わたしと踊りながら他のことを考えていたのねという意味になるからだ。
ところが踊りに誘った令嬢は寛大にも「落ち着いて、大丈夫よ」と微笑んだ。
「初めて踊った時には、わたしも間違えたわ」
「ごめんなさい」
「テオ、わたしの兄はカルロスです」
カルロス。
「地方競技場であなたが負かした相手」
「憶えてる。へえ、彼の妹なの」
カルロスとは、箒競技に初めて出走した時の対戦相手だ。今踊っているセシリアは彼の妹なのだ。
それを聴いて、俺は急に緊張がほどけてきた。
「それで君は、踊りに誘ったら応じてくれたのか」
「あの日は兄の応援でわたしも競技場にいたの。テオだとすぐに分かったから、踊りに誘って欲しくてあなたの近くにいたのよ」
「助かったよ。誘う相手を探す手間がはぶけて」
「わたしで良かったかしら」
「ぜんぜんいいよ。ドレス似合ってるね」
セシリアは笑い出した。
「可笑しいわ。みんな同じことしか云わないのだから」
「本当にそう想ったんだよ」
「今度わたしの家にも遊びに来てね。兄のカルロスもあなたのことを気に入っているのよ」
とても感じのいい子で、俺は次の曲もセシリアにお願いした。カルロスの妹のお蔭で俺はすっかり気が楽になった。その後は、セシリアが紹介してくれるセシリアの友だちと順番に踊っていった。こうやって色んな女の子と知り合って、気の合いそうな魔女を見つけるんだな。
「少しは遠慮したまえ」
背後で厳しい声がして、振り返ると、シーナを押し包む人混みをバルトロメウスがかき分けているところだった。ツォレルン侯爵家の三男の登場にみんな道を譲った。
「このように押し包まれてしまっては淑女は息もできない。少しは散れ」
そして人垣からシーナの肘を捉えて、掴みだし、
「こちらへ。外の風にあたりましょう」
バルトロメウスはシーナを連れて会場を出て行ってしまった。
》前篇(下)
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