あべせい

 


 とある地方都市のビジネスホテル。

 フロントに、若い男性がふらりとやって来る。

 フロントマンがにこやかな笑顔で迎えて、

「いらっしゃいませ」

 男性客、気乗りのしない顔つきで、

「予約した鈴也(すずなり)ですが……」

「お待ちください……(パソコンをいじり)はい、お待ちしておりました」

 フロントマン、宿泊申込書を差し出し、

「こちらにご記入いただけますか」

 男性客、申込書を引き寄せ、書き始める。

 そこへ、フロントの奥から、若い女性が現れる。美人だ。

「(小声で同僚に)お客さま?」

 フロントマン、頷いて、

「いいよ、ここは、やるから」

 鈴也、書きながら、女性のほうをちらちら見る。

 どこかで見た顔だ。しかし、美人を見ると、いつもそんな気がするから、当てにはならないと考える。

 フロントマン、男性客にキーを差し出し、

「602号室です。エレベータは、あちらにございます」

 そう言って、自販機のほうを指差す。

「どうぞ。ご案内します」

 さきほどの女性スタッフが、フロントから出てきて、男性客を誘導する。

 男性客、キーを手に持ち、女性の後についていく。いいスタイルだ。脚線も……。

 女性スタッフ、自販機の角を曲がり、エレベータのドア前へ。そこからは死角になってフロントからは全く見えない。

「久しぶりね。足柄クン」

 女性スタッフが前を見つめたまま、言った。

「エッ」

 足柄は、女性スタッフの背中を見て、

「やっぱり……千都世ちゃんだよね」

 千都世、振り返り、にっこり微笑む。

「明日、同窓会があるから、ひょっとしたら、帰ってくるかなと思っていたの」

「卒業以来、初めての同窓会だから」

「そうよね。だれが幹事しているのか、知らないけれど」

「千都世ちゃんは、化粧をしているから、見違えたよ。こどものときもかわいかったけれど。元々美人だったンだ」

 エレベータのドアが開く。足柄、乗り込むと、振りかえり、

「一緒に、どう? 少し話がしたい」

 しかし、千都世はドアの前に立ったまま、微笑みながら、

「いま仕事中だから、ダメ。また、あとで」

 足柄、残念そうに、

「そう、じゃ……」

 エレベータのドアは閉じる。

 翌朝。

 足柄がフロントに来て、

「真根来(まねき)さんはおられますか?」

 尋ねた。

「マネキですか? そういう名前のスタッフはおりませんが……」

「結婚して姓が変わっているかも知れない。下の名前は、千都世、ですが……」

 昨日と同じフロントマンが、「千都世? あァ、彼女なら……」

 そう言って、足柄の顔を見る。

「失礼ですが、どのようなご関係ですか?」

「彼女と中学が同じなンです」

「そうですか……」

 フロントマンは少し考えてから、

「彼女はきょう、お休みをいただいています」

 足柄は納得して、フロントの横にある20畳ほどの喫茶室兼食堂に入る。

 バイキング形式の朝食をとりながら、昨夜千都世から連絡がなかったことを思い出す。

 フロントの電話が鳴っている。

 足柄はふと気になる。フロントマンが受話器を取った。

「もしもし……はァ、お待ちください」

 フロントマンが喫茶室に来て、中を見渡す。

 足柄と目が合った。

「足柄さま、お電話がかかっています」

「エッ」

 足柄は朝食をそのままにフロントに行き、受話器をとった。

「もしもし……エッ、キミは……わかった」

 足柄はフロントマンに、

「すぐに出かけます」

 足柄、キーをフロントに預け外に出た。

 電話で聞いた通り、ホテルの角を曲がった細い路地に、軽自動車がエンジンをかけたまま、停車している。

 足柄、助手席に乗る。運転席には千都世がいて、すぐに車を出した。

「どうしたンだ? 同窓会にはまだ早いだろう。それに、さっきの電話では『わたしの名前は声に出さないで』って。職場に知れたら、まずいのか」

 千都世は、フロントで見た堅い印象とは大違い。

 ピンでとめていた髪を下げ、スーツではなく、ジーンズにラフな、ゆったりしたシャツを着ている。化粧はほとんどしていないが、それが却って彼女を魅力をさらに引き出している。

「少し、ドライブしたくなったの。あなたと……」

「それはいいけど、どこに行くンだ?」

「昔、一緒に行ったところよ」

「昔? そんなところあったかな……それより、千都世は結婚したのか?」

「どうして?」

「今朝、ホテルのフロントに、キミの名前を言っても知らないようだったから」

「真根来ね。あの名前、好きじゃないの。いまは杵間(きねま)を使っているの」

「使っている? それでよくホテルに採用されたね」

「30室しかない、ちっぽけなホテルよ。10人の従業員のうち、8人までがバイト。バイトを採用するのにいちいち、身分証なンか、必要ないの。だから、わたし、履歴書には自分の好きな名前を書いた」

「『間根来』を逆にして、『杵間』か。千都世は変わっているな」

 足柄はそう言ってから、ハッとした。

 中学時代、彼女がいじめられていたことを思い出したのだ。

 千都世は、いつも顔付きの暗い同級生だった。ただ、足柄とは家が近かったせいか、小さい頃から一緒に遊ぶことが多かった。

 千都世の生い立ちは、悲惨だった。漁師だった父と居酒屋で働いていた母は、千都世が10才のとき、離婚している。その2年後、千都世の母は千都世を父方の祖母に預けて逃げた。千都世の父は、千都世が高2のとき、大酒が祟って死亡している。

「ねェ、同窓会、何時だっけ?」

 千都世がいたずらっぽく尋ねる。

「午後7時だよ」

「だったら、それまで時間はたっぷりあるわね」

 足柄は、バカなことを考える。

「映画、観ない? おもしろい映画、やっているの」

「映画か……」

「あなた、この街に親戚いるの?」

「高校のとき、親爺の仕事の都合で東京に引っ越したから。付き合いはないけど、叔母さんくらいかな」

「そォ……、じゃ、映画を観て、ショッピングして、いろいろ楽しいことをしましょう」

「そうだな。この街に来るのは、高校以来だから……」

「変わったわよ。あなたの知らないお店がいっぱい、あるから」

 千都世はそう言い、アクセルを踏み込んだ。


 足柄は考える。

 映画はつまらなかった。ハリウッドのSF映画で、簡単にいえば、過去にタイムスリップする話だ。足柄は、過去に戻るってことはありえない、と思っているから、気持ちがスクリーンに入っていけなかった。

 その後、千都世が案内するまま、ショッピングモールに寄って、ぶらぶら散策した。知らない人間が見たら、足柄と千都世が恋人どうしに見えただろうか。

 しかし、足柄はそんな気分ではなかった。そして、いま車は山に向かっている。

「この道、金根山(きんこんざん)に行く道じゃないか?」

「覚えていたの?」

「確か、小学6年のとき、一緒に栗拾いに行ったことがある」

 足柄がこどもの頃、最も怖い体験をした山の思い出だ。

「あなたが、栗がいっぱい落ちている、と言ったから、妹とついて行ったわね。だんだん山が深くなって、日が暮れてきて、雨が降り出した……」

 足柄はいやな気分になってきた。

「もう、帰ろう。この山は縁起がよくない」

「いま、何時?」

「午後5時20分だけど……」

「そろそろ、かしら」

「何が?」

「ドカーンよ」

「何のことだ」

 足柄はびっくりして、千都世を見る。

 千都世は朗らかに笑っている。

「同窓会場が、爆弾で吹っ飛ぶの」

「千都世、おまえ、何を考えているンだ」

「犯人は足柄クン、あなた、ってわけ」

「オイ、どういうことだ!」

 足柄、体のすぐ右にあるサイドブレーキを力いっぱい引いた。

 車はブレーキが効き、脇に停止する。

「爆弾といっても、カセット用の携帯ガスボンベだから、威力は大したことがないわ。ボンベ10本、束にしてあるけど」

「なんだって。そんなことをして、同窓生がケガをしたらどうするンだ」

「ケガをするのは、いじめっこだけよ」

「千都世、キミは同窓会を利用して、昔の復讐をするつもりなのか」

「そうとってもらってもいいわ」

「同窓会場はどこだ? いや、ぼくがもらったはがきがポケットにある……」

 足柄、上着のポケットを探り、二つ折りにしたはがきを取り出す。

「これだ。割烹『小田原』。電話番号は……」

 足柄、上着から携帯を取りだし、番号をプッシュする。

「どうするつもり?」

「避難させるンだ」

「あなたが、そのはがきを出したのよ」

「エッ!」

 千都世、バッグから別のはがきを出し、

「それじゃない。いじめっ子が受け取ったのは、こっちのはがきよ。差出人と幹事の名前を読んでみなさい」

 足柄、自分がもってきたはがきと見比べる。

「ぼくのもらったはがきには差出人の名前がない。それに、会場と時刻が違っている。ぼくのもらったはがきは、午後7時、割烹『小田原』と書いてあるが、キミのこのはがきには、幹事、足柄要次……ぼくの名前!」

 千都世は落ち着き払って、

「そうよ。当然じゃない」

 足柄、はがきを読み進める。

「集合時刻は午後5時半、会場は、ホテル……これって、千都世が勤めているホテルじゃないか! しかし、電話番号がない……」

 千都世、なんでもないことのように平然としている。

「いじめっ子を集めるンだもの。10本を束にした携帯ガスボンベを持ち込むンだから、勝手の知ったところでないと準備が出来ないでしょう。あのホテルの7階にあるレンタルホールよ。もう、集まってきているでしょうね」

 足柄、携帯を突き付け、

「ホテルは何番だ。どうして、この案内はがきに番号が書いてないンだ!」

「小さくても、この街では有名なホテルだから。いったい、どうしたいの?」

「電話を掛けるンだろ!」

「電話をかけてどうしようというの」

「決まっているだろう。避難させるンだ!」

「なんのために?」

「オイ、千都世、気は確かか。昔の同級生を助けるンだ」

「あなた、って、親切なのね」

「親切!? だれだって、これくらいの気持ちにはなる!」

「あなた、昔もそうだった。いつ、変わったの?」

 足柄、笑いが消えた千都世の顔を見て思い出す。

「キミは、あのことを……」

「あの日、わたしは、暗くなって雨が降ってきたから、すぐに家に帰ろうと言った。元々、朝から風邪気味だった妹がぐずって……」

 金根山に栗拾いにいったとき、千都世の妹、千都世より6つ下で、小学校に入ったばかりだった真寿世(ますよ)も一緒だった。なぜ、あんなに栗拾いにこだわったのか。足柄は思い出せない。

「それなのに、あなたはもうすぐだから、もうすぐだからと言って、どんどん先に行った。わたしは真寿世が熱を出してきたので、『帰ろうよ!』と懸命に頼んだわ。そうしたら、あなたは、親切に何かしてくれた?」

 足柄は、「なんで妹なンか連れて来たンだ!」とどなった。元々、小さくて、すぐにピーピーと泣く真寿世は好きではなかった。

「あなたはあのとき、鬼だった。山栗なンかにこだわって……」

 目当ての栗の木はあった。しかし、栗の実はすっかり落ちて、すでに拾われて残っていなかった。2つ3つは落ちていたが、割れていたり、痛んでいて、食べられたものではなかった。

 足柄は初めて、自分の愚かさに気がついた。

「隣の小父さんが教えてくれたンだよ。小さいけど、うまいって……でも、こんなンじゃ……」

 足柄は泣きたい気持ちだった。何時間もかかって辿りついたのに。ふと、見ると、千都世が真寿世を背負い、山を降りていく。

 その小さな背中が、とてもいとおしく見えた。足柄は走った。

「ごめん。代わる」

 真寿世の体に触れると、ひどい熱だ。3人とも体が冷え切っている。足柄は怖くなった。

 真寿世はぐったりしている。足柄の体はガタガタ震えた。それから、どのようにして家に帰ったか。小さな町医者に飛び込ンだが、下山を始めてから1時間以上もたっていた。真寿世は手当てのかいなく、亡くなった。

 千都世は無表情で言う。

「あなたが殺したのよ」

「殺したなンて。あれは事故だ……」

「本当にそう言い切れる? 親切なあなたが、そういうことを言うの!」

 千都世の表情が一変する。

「すまない。あれは、ぼくの責任だ……」

「もう、遅いわ。真寿世はかえらない。あんな小さな子が、どうして、死ななくてはいけなかったの。つまらない栗拾いのために……」

 千都世の目に、涙があふれている。

「しかし、それと同窓会場を爆破することとどんな関係があるンだ」

「だから、言ったでしょう。犯人はあなたなンだから」

 足柄は底知れない千都世の敵意を感じる。

「しかし、ぼくには動機がない」

「あるわよ。あなたはわたしに脅されていた。妹を殺したことで。だから、わたしを殺すために、こんどの爆破計画を立てた、って。自分だけは、たまたま用事ができて外にいて、集合遅刻に遅れたといい訳をする」

 山の中だ。車が一台通れるだけの幅しかない山道。あたりは薄暗い。

「帰ろう」

「なに言っているの。これからじゃない。栗拾いを忘れたの」

「栗拾い? いまはもう11月だ。栗なンか、あるわけがない」

「それでも行くの。ここからは歩いて行くのよ。さァ、降りて!」

 千都世は車の外に出た。

 足柄も出たが、

「断る。車のキーを寄越せ!」

「どうして、わたしがあなたにそんな親切をするのよ」

「だったら、おれはここから歩いて帰る」

「ホテルに電話しなくていいの?」

「もういい。電話しても、おれが犯人にされるだけだ」

「それが、あなたの親切ね。わかった!」

 千都世がトランクを開けて何かを取り出したかと思うと、いきなり振りまわした。

 足柄が悲鳴をあげる。

「なにをするンだ!」

 足柄の背広の袖が裂け、見る見る赤く染まっていく。

 腕から流れ出た血が手の甲に達する。

 千都世の手には、大きな草刈り鎌が握られている。

「あなたの大好きな、栗の木まで行くつもりだったけれど。ここでいいわ。これを覚えているわね」

 足柄を傷つけた鎌を突き出す。

「それは……、栗拾いにぼくが持って行った……」

「栗の実がなっている枝を切り落とす、と言ってね。わたしのお婆ちゃんが使っていたのを、あなたがこっそり持ち出したのよ。途中、『重い、重いよ。なんでこんなものを持って来たンだろう』って、愚痴っていたわ。バッカみたい」

「なにをするつもりだ」

 千都世は車のトランクからロープと円椅子を取りだし、ロープを頭上の松の枝に放り投げた。

 ロープの端は枝をまたぎ、再び千都世の手に戻る。

「本当は栗の木でやるつもりだったのだけれど、もう時間がない」

「千都世、正気か」

「わかるでしょ。ここにあるのはロープと椅子」

「首吊り!?」

 千都世は鎌を振り上げ、

「自殺でも他殺でもいい。わたしは妹の復讐をするだけ。このロープの輪っかに首を通すの!」

「やめてくれ!」

 千都世は、鎌の鋭い刃を足柄の首筋に突きつけながら、足柄の自由を奪う。

「できるじゃない。お利口さんね。今度は円椅子の上に登って……」


 ホテルの前に、タクシーが到着する。

 中から、顔もスーツも土まみれになった男が転がるように出てきて、フロントに飛び込んだ。足柄だ。

 最初の日、足柄に応対したフロントマンが現れ、出迎える。

「お帰りなさいませ」

 キーを差し出すが、足柄のようすを見て怪しむ。

 足柄は、必死の形相で、

「7階は、7階はどうなっています!」

「?」

「爆発、爆弾は!」

「なんのことでしょうか?」

「千都世、真根来千都世、じゃなかった、杵間千都世はいますか」

「きょうは1日、お休みをいただいておりますが……」

「きょう、ここの7階のレンタルホールで同窓会が開かれているでしょう」

「そういう話はうかがっておりませんが」

「どうしてだ!」

「お客さま、お顔の色がすぐれませんが、お医者さまをお呼びしましょうか。スタッフに、看護師の資格をもった者もおりますが……」

「いや、いいンだ。転んだだけだ」

 足柄、キーを受けとって、部屋に帰る。

 部屋の中に入り、明かりを点け、ベッドに横になった。

 天井を見つめ、考えをまとめようとするが、まとまらない。

 あいつの言った「爆弾」はウソだった。単なる脅しだ。忘れよう。シャワーだ。体を洗わなくちゃ。幸い、腕の血は止まったようだし。

 聞き覚えのあるメロディが聞こえる。ピンクレディの「ウォンテッド」。足柄の携帯の着信音だ。

 山から降りるとき、見つからなかった携帯。足柄は音を頼りに部屋の中を探す。

 窓のほうからだ。カーテンを開ける。すると、窓ガラスにガムテープで携帯が張りつけてある。

 足柄は携帯を開く。非通知になっている。

「もしもし」

「ようやく到着ね。無事だったみたい。両手をしばられ、椅子の上に乗っかり、首にロープをかけられた状態で、生還する、って。あなたも大したものだわ。携帯だけは、返してあげたから」

「同窓会場を爆破するなンて、ウソじゃないか!」

「もう、いじめっ子は許すことにしたの。でも、あなたは別よ」

「こんなことをしてタダすむとは思うな!」

「安心するのは、早いわよ。プレゼントがあるから、気を付けて」

 電話は切れた。

「もし、もしッ!」

 わけがわからない。とりあえず、汚れた体をシャワーで流そう。

 足柄は裸になり、浴室へ。

 浴室の扉を開ける。そのとき、突然頭上からキラリッと光るものが、音もなく落ちて来た。

「アッー!」

 足柄は、悲鳴をあげ、その場にうずくまった。


 翌日のテレビニュース。

「今朝、市内のホテルの浴室から男性の遺体が発見されました。首に草刈り鎌が突き刺さっており、出血多量による死亡と見られます。宿泊名簿によりますと、死亡したのは、東京在住の会社員、足柄要次さん、25才。警察では、事故、自殺、他殺の3方向で捜査を開始しました」

                (了)

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あべせい @abesei

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