第4話 店の上の法則
「自己紹介がまだだったな。私は
「はあ、どうも。……狼谷牙人だ。同い年だったんだなー」
ほんの数十分前までは、いつも通りの帰り道だったはずだ。
しかしどうしたことか、今牙人は初対面の女性と二人で夜道を歩いていた。
夏の夜特有の、空気に陽光の熱がへばりついたかのような、ねっとりとした風を感じる。人通りの少ない細い道に一定間隔で並ぶ街灯の光に、蛾が我先にと言わんばかりに群がるのが見えた。
女性と二人きりの夜道。……絵面だけ見れば喜ぶべき状況かもしれないが、いかんせん事情が事情だ。
……連行。
連行である。
どうしてこんなことになったのか……時は少し前に遡る。
——すまないが、君を“局”に連行する。
そう言い放った彼女に対して、一瞬の困惑ののち、
「……嫌だな」
と、牙人は答えた。
「なぜ俺が得体のしれない女に連行されなくちゃいけない」
「私も助けてもらっておいてこんなことを言うのは気が引けるんだが……って、おい。その得体のしれない女というのはもしかしなくても私のことか?」
「まあまあ、そんな話は置いといて」
「……まあいい。悪いけど、仕事の都合上、君のような野良の能力者を放置するわけにはいかないんだ。能力者は、その情報を“局”に登録する義務がある」
また、能力者だ。
さっきから頻出する耳馴染みのない言葉に、牙人は眉を寄せる。
「すみません、俺はその能力者とかいうのになった覚えは全くないんですが」
「能力者というのは、通常の人間では不可能な現象を起こすことのできる異能力を持った者たちだ。私やそこに転がっている男たちのような人間のことだな。もちろん一般には知られていないが」
「はあ」
「そして、君のあの力も、異能力だ」
「違うな」
この力は、秘密結社“Blood”の、“博士”と呼ばれていたイカレたじいさんに体をいじられた結果手に入れたものだ。この体がどんな仕組みなのかは牙人本人もよく知らないが、少なくとも彼女の言う異能力の恩恵ではないことは確かだ。
しかし、違うと言っても信じてもらえるはずもなく、彼女はため息をつくとあきれた様子で続けた。
「……混乱しているのもわかるが、とりあえず話を聞いてくれ」
「えー」
「えーじゃない」
「今日はとある事情で髪がコンソメまみれなので、さっさと帰ってシャワーを浴びたいんだけど」
「何があったらそんなことになるんだ……」
「ということで、帰ります。じゃ」
「ああ、それじゃ……じゃない! 帰るな!」
さすがにごまかせなかった。
というか、意外とノリがいい。しかし、息を切らせてノリツッコミをした割には、牙人を見つめる彼女の切れ長の眼には、真剣さが宿っていた。
牙人は、面倒に思いながらも彼女に向き直る。
「残念なことに、俺の力はその異能力ってやつじゃないよ。これは……」
「これは?」
「……」
さて、否定したはいいものの、どう説明したものか。
牙人の首筋を、細い汗が伝う。
正直に言ったところで、信じてもらえるとは思えない。しかし、信じられたら信じられたで、いろいろとめんどくさいことになる気がする。ならば、やはり本当のことを言うべきではない。
「……手品だな」
「嘘をつけ、あんな芸当を手品で片付けられるか」
二秒で考えた言い訳は、ジト目で一蹴された。
「おい、あんまり手品師をなめるなよ?」
「誰目線なんだ、それは……」
真顔で食い下がってみるが、まるで相手にしてもらえない。
これは、この誤解を解くにしても、連れていかれるよりほかに選択肢はなさそうだ。
深いため息が、夜の闇に消えた。
「……わかった。とりあえずおとなしくついてくよ」
——というわけで、今に至る。
あの後、電車に乗って三島駅まで行き、そこから歩き始めて二十分ほどのところだ。
住宅街を歩くと、家々の明かりが窓から漏れて、一気に生活感を感じられる。
先程の非日常が嘘かのように、ここには日常の暮らしがあふれていた。
「そういえば、さっき言ってた“局”っていうのは何なんだ?」
「ああ、“
「……東京特許きょきゃ局?」
「違うし言えていないぞ。“国家特殊現象対策管理局”だ」
「そりゃまた仰々しい名前だことで」
新情報の連続に、頭が追い付かない。
こんなことを言われたら相手の正気を疑いそうなものだが、牙人は生憎とすでにこの目でその言葉の四人もの実証例を見ていたし、なんなら戦った後である。
ここまで状況が揃っていては、信じざるを得ない。
まさか、
それにしても、さっきは暗すぎてよく見えなかったが、こうして街の明かりのもとに出てみると、栞は結構整った顔立ちをしていた。
凛とした切れ長の目に、意志の強そうな口元。女性にしては高身長だ。目線の高さは、身長一七五センチの牙人の、十センチ下くらい。すらっとした体を、落ち着いた色合いのブラウスと紺色のスラックスに包み、「美人」というよりは「麗人」といったいでたちだ。
においはヒノキに似ている。落ち着いた爽やかな香りが心地いい。
髪は、このまま夜に溶けていきそうな深い黒のショートヘア……と思っていたが、これは確かウルフカットといっただろうか。襟足が長めで、少しふわっとなっている。
現役女子高生の妹が教えてくれた知識を思い出しつつ、大人っぽいクールな雰囲気に、少し見惚れる。
「……? 何だ?」
視線に気づいたのか、栞が首を傾げて牙人を見やる。
「ん、いや……寺崎の異能力って何なんだ? なんか黒いのを操ってたけど」
「ああ、私の異能力は“
そう言って、栞は指先から二センチほど黒い物質を出した。
煙のようでいてしっかり実体も感じる。不思議なものだ。
「“黒影”は変幻自在でな。結構便利だぞ」
指先から伸びるそれはくるくると生き物のように動いた後、すぅっと霧散した。
「例えばどんな時に便利なんだ?」
「そうだな……休日にソファに寝転がりながらテレビのリモコンを取る時とか」
「なるほど、それは確かに便利そうだ」
「ふふっ、だろう?」
そんな軽口を叩いていると、突然栞が足を止めた。
「? どうした?」
「着いたぞ、ここが“局”の三島支部だ」
“国家特殊現象対策管理局”。
多くの異能力者が在籍し、巷で起こる不思議な事件や現象に対処する、いわば特殊部隊。
その、支部とは……!
「『喫茶セロトニン』? 変わった名前だな」
住宅街の中にある、こぢんまりとした建物。
流れるようなおしゃれな金色のフォントで書かれた木製の看板を見つめて、牙人は思わず呟いた。
セロトニン……何かの物質名だろうか。聞いたことはある気がするが、思い出せない。
「……違う、そっちじゃない。
「ん?」
あきれた様子の栞に促されて視線を上げると、なるほど確かに、小さな喫茶店には二階と三階が存在していた。
二階の壁には、黒のゴシック体で「中村
「……もしかして、あれか?」
「あれだ」
「……」
「……」
「小さいな」
もっと大きなビルの中とかを想像していたが……。
「……なんで万事屋?」
「表向きの顔だな。万事屋という立場だと、活動がしやすい」
「……」
「……うちの隊長が、変わり者でな。これがいいと言って聞かないんだ」
「はあ」
言い訳のような栞の言葉を半分聞き流しつつ、牙人は思った。
——万事屋やら探偵やらの事務所は、なにがしかの店の上になければいけないというルールでもあるのだろうか……。
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