九鬼龍作の冒険 激闘編 武田信玄の黄金の兎文鎮

青 劉一郎 (あい ころいちろう)

第1話

八王子旧甲州街道から一筋東に入った道がある。道は・・・というより、車の数は一気に少なくなった。道路幅は狭い。それは国道二十号から逸れた道だからで、昔・・・車などない時代の人にとっては、むしろ十分の広さだったのであろう。九月も終わろうとしていた。浅川の流れは緩やかで初秋の爽やかな風がススキの穂を揺らせ、淡い緑の雑草は秋の緩やかな色の様相を示していた。

 その旧道を、一人の女が何やら考えながら歩いていた。どうやら自宅に帰ろうとしているらしい。そして、その女から少し離れて、一台のワンボックスカーがゆっくりと走っていた。中には四五人の男が乗り、前を歩く女を凝視していた。

 その女の名前は石坂美知といい、十九歳である。もうすぐ自宅に着く。その時、後ろから来ていた車が一気に彼女の横に止まった。ワンボックスカーの後部ドアが開いた。と同時に、中から二人の男が美知の体を抱き抱え、車の中に彼女を引っ張り込んだ。

 美知は一瞬怯え、驚きの表情をし、声をあげられなかった。しかし、すぐに自分がどのような状況なのかを理解し、

 「誰か・・・」

 と、悲鳴を上げた。

 「静かにしろ!」

 美知を抱え込んでいる男が、彼女の口を押えた。二十歳半ばの髪のぼさぼささせた男であった。美知は怯えた眼で男を見たが、彼女の知らない男だった。

 「おい、ぐずぐずするな。早く車を出せ!」

 だが、車は動かなかった。

 「何をやっている・・・」

 「車の前に・・・女が・・・」

 見ると、前に女が手を上げ、通さないと合図をしている。

 「見てみろ。あの女、手に何かをもっているぞ」

 前の座席にいるやはり二十代の男が、

 「やばい・・・あいつ、レスキューハンマーを持っているぞ」

 「おい、下がれ。急いで、バックだ」

 だが、もう遅かった。女の動きは素早く、運転側に走り寄り、レスキューハンマーて゜フロントガラスを一撃で砕いた。こうなると、車内は混乱し、動きが取れなくなる。

 女は運電手の首をひっつかみ、車の外に引っ張り出し始めた。女と思えない馬鹿力である。運転手は割れたフロントガラスから外に引っ張り出された。助手席に乗っていた男は慌てて車の外に出た。

 「逃げろ」

 たかが・・・女であったが、やることが女のやることではなかった。男以上の動きで彼らに襲い掛かっていた。女の身体はそれ程大きくはなかったが、動きも俊敏であった。

 「大丈夫?」

 女は美知に声を掛け、にやりと微笑んだ。

 「有難う御座います」

 と、美知はぐったりとしていたが、はっきりと礼を述べた。

 「あいつらは知っている奴?」

 美知は首を強く振った。

 「そう、まあ、いいか。あいつら、また来るかも知れないわね」

 美知は頷いた。彼女もそう思ったからである。

 その表情を見て、女は笑った。

 「家は近くだよね」

 「はい」

 美知はやはり頷いた。

 「送るよ・・・」

 「すぐ、そこです」

 歩きながら、女は訊いた。

 「何か・・・心配ごとでもあるね」

 女はずばり訊いて来た。美知は一瞬戸惑ったが、

 「ええ・・・」

 と、答えた。道はしどろもどろではあったが、話し始めた。

 「私の家には家宝として伝わる黄金の兎文鎮があるのです。それを、頂くという脅迫状が先日送られて来ています。申し遅れましたが、私の家は八王子千人同心の九人の内の一人で、徳川家康から甲州九口之道筋奉行を命じられた一人です。元は、武田信玄に使えていました。はい、武田家臣で、私の何代も前の祖父は、特に信玄公に可愛がられたようで、黄金の兎文鎮を与えられたのです。これは、信玄公が道楽で作らせたものらしく、以来ずっと我が家の家宝として来ました。もちろん、世間に公にすることはなく、大切にしていたものです。しかし、どこからどう伝わったのか、今回この黄金の兎文鎮を狙われることになってしまったのです。さっきの若い人たちも、その兎文鎮を狙っている一味なのかもしれません。ああ、我が家は・・・そこです」

 美知は指さした先には少し古臭い門構えの家が見えた。

 「どうぞ、中へ・・・」

 と、美知は中に入るように促した。

 女は鏑木門を潜った。

 「私は新藤小菊いい・・・私のことはいいですから、それより届いた脅迫状を見せて下さい。私が見て、どうなるものではないけれど・・・」

 新藤小菊という女は言った後、

 「警察には・・・」

 と、美知を睨んだ。

 美知は首を振った。

 「こういう場合、私に、警視庁に知っている警視正がいますから、知らせた方がいいでしょう。知らせなかったのは、それなりの理由があるのでしょうが・・・この場合はいけません」

 「えっ!」

 美知は驚きの表情を見せたが、すぐに信頼感を抱いた眼で小菊を見つめた。

 (どなた・・・?)

 という問い掛けをさせない威圧感があった。

 「こちらです」

 美知はどうやらまず自分の部屋に小菊を連れて行くようだ。玄関を入ると、

「どうぞ、上がって下さい。後でみんなに紹介をしますから・・・。家には父と母、祖父と下女が二人と内に長い間いてくれる前谷圭三さんがいます。私が生まれる前からいて、この家のことは誰よりも知っているのです。いずれ紹介しますが、小菊さんは私の・・・そうですね・・・私が今通っているカルチャーセンターの知り合いということにしましょうか・・・」

 小菊が、ふっと笑った。

 「はい、日本画を少し・・・」

 「それは、それは・・・素晴らしい・・・」

 「今日は・・・!」

 美知は恥ずかしそうに笑い、

 「渋谷まで・・・ぶらつき・・・です」

 と、答えた。

 新藤小菊は築百年以上経つと思われる千人同心の邸宅の内部を、美知の話を聞きながら観察していた。御家人屋敷に似ていた、小菊はそう感じた。玄関から上がり、北に廊下が伸び、廊下は屋敷をひと回りしているようである。突き当りに部屋がひっそりとあるが、ここが、

「祖父玉四郎の部屋です」

と、説明した。ここから廊下は西に走り、今度は南に変わる。庭がある。大きいが、別に凝った庭造りではなく、ただ花壇があり、季節の花がひっそりと咲いていたのが眼に付いた。

 「私の部屋は、この先にあります」

 廊下の突き当りに戸があり、若い十九歳の思えない程ひっそりとしていた。ところで、座敷と思われる八畳の畳部屋は障子戸が開け放されていて、庭からこの九月末の爽やかな風が吹き込んで来ていた。

 美知の部屋に入ると、

 「これです」

 と言って、脅迫状を小菊に見せた。彼女は一読すると、

 「すぐに警視庁に連絡します。いいですね」

 小菊は携帯電話を取り出すと、美知に念を押した。

 「はい」

 美知は半信半疑だったが、素直に応じた。

 「お爺様とお父様にはすぐに知らせます。きっと反対はしないと思います」

 美知はこう言うと、部屋から出て行った。その間に、小菊は警視庁に詳細を知らせた。知らせたのは小原警視正ではなく、捜査一家の棟方靖男であった。

 しばらくすると、美知は父石坂主税とともに戻って来た。そして、

 「父の主税です」

 と、新藤小菊を紹介した。

 「あなたは、警視庁にお知り合いが見えるのですね」

 石坂主税は得体の知れない小菊という女を足元から顔まで凝視した。しかし、彼の眼は鋭くはあったが、その奥の方に優しさが見えた。

 「今連絡をして置きました。すぐに警察が来ます。ええ、小原警視正を知っております」

 とだけ、小菊は言って、黙ってしまった。

 「これから少々騒がしくなるようですな。警察がやって来る前に、黄金の兎分陳を見ておいて下さい。美知、玉枝はまだ帰っていないのか?」

 「はい、お父様。お仲間同士の歌舞伎演劇鑑賞に行って、まだ帰って来ていません」

 「そうか。あいつの物好きも困ったものだ。帰って来たら、俺が頼みたいことがあると言っていたと伝えてくれ」

 美知の部屋から出て行こうとする主税の動きが止まったが、

 「美知、案内して上げなさい」

 「はい、お父様・・・」

 石坂主税が出て行くと、美知は、

 「あれでも愛想のいい方なんですよ。普段は怒ったような顔をし、しかめっ面なんですよ。どうぞ、こちらです」

 小菊は美知の後に従った。

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