いつか僕の世界に夜空が落ちても

pico

01 捨てるばかりのみじめな日々で






 絶望のさなかであの日、僕は君に出会った。


 あの日から僕は、君がすくいあげてくれたこの命を、かならず生き抜くと決めたんだ。











 どさどさっ。

 机から、参考書さんこうしょがすべり落ちた。


 はぁ、と息をき、もえは参考書を拾ってかばんにしまう。


「聞いた? ヤマセくん、自殺したってうわさ」

「ヤマセくんってあの、不登校ふとうこうの? ほんとに?」


 同級生の不穏ふおんなうわさ話も、今は頭に入ってこない。


(お母さんに、なんて言おう)


 成績は今回も、くだり坂。人生を、ゴロンゴロンと転がりおちる音がする。






 塾を出ると、めまいがした。

 通いたくもない塾ですごす時間は苦痛で、呼吸すらもままならない。

 だからといって、家にも帰りたくなかった。


 中学2年になって、成績は順調に落ちている。

 もえは絶望的な気持ちで、駅前の歩行者通路を歩く。


(なんでこんなに勉強しなきゃいけないんだろう)


 夢も希望も目標も、理想すらないのに。

 点数ばかりを追いかける日々に、萌は疲れはてていた。


「♪ふり返らず 目の前の道を踏みしめいこう」

「♪倒れたら立ち上がればいい 花咲く未来が君を待ってる」


 流行はやりのJ-POPを歌うストリートミュージシャンにすら、いらだちを覚える。


 なかばやつあたりの気持ちで、もえは彼らの前に立った。


「2人のギター、10Hzヘルツもずれてますよ」


 10Hzヘルツというと、半音の半分。

 聞くにたえないレベルではあったけど、ふだんなら絶対こんなことは言わない。


「ちゃんとチューニングしてください」


 ぽかんとまぬけづらを向ける2人組にさらにイライラして、背中を向けた。


 あぁ、ダメだ。今日のわたしは、本当に機嫌きげんが悪い。









 昔から、音感おんかんがよかった。

 小さい頃の夢は、歌手。今はもう、そんな希望は捨ててしまったけど。


 やりたくて始めたピアノ教室も、中学受験失敗をにやめることになった。

 中学で入った合唱部も、塾の成績がさがった時に退部した。


 大切なものを捨ててまで勉強してきたのに、成績は思うように上がらなかった。


(今回はなにを、捨てればいいんだろう)


 夢も、目標も、楽しみも捨て続けて。

 もう萌の手元には、なにも残っていなかった。


「……ふふっ」


 歩行者通路を進むと、別のミュージシャンが笑い声をもらした。


「……なんですか?」

「いや、スゲー捨てゼリフだなと」


 さっきの2人への皮肉ひにくが聞こえていたようだ。


 黒縁くろぶちメガネにキャップを深くかぶり、アコースティックギターをかかえる彼。

 年はそんなに離れていないように見える。


 持ち物はギターだけ。マイクもアンプも、宣伝せんでん用の看板もない。


「チューニングすらまともにできないなんて、ギターがかわいそう」

「たしかに。ほんとに音感、いいんだね」

「あれだけズレてたら、だれでも気付くよ」


 ギターケースには、いくらかお金が投げこまれている。

 硬貨だけでなく、おさつもちらほら。


 きまぐれに、興味がわいた。


「ねぇ、なにか歌って」

「いいよ。なんか、お題言って」

「え、即興そっきょうで歌うってこと?」

「うん。いま一番聞きたいカンジの曲、作るよ」

「じゃあ……『生きるのしんどい』」

「重いな!」


 カラッと笑って、彼はジャカジャンッとギターを鳴らした。


「いくぜっ」

「え、もう?」

「即興ってのは、すぐやるから即興なんだ!」


 彼はうれしそうに言うと、「ワンツースリーフォー!」と声を上げ、ギターをかき鳴らした。

 テンポBPMは120くらい。おもちゃ箱をひっくり返したみたいな、明るいイントロ。



 ♪───

 からっぽのぬけがらだけ

 流れ流されどんぶらこ

 心はいつだって

 おいてけぼりの留守番ばっかり


 あーあ なんでかな

 毎日こんな息苦しいのは

 あーあ なんのため

 だれのための人生だ

 ♪───



 おどろくほど、ヘンテコな歌だ。

 ヘン、だけど。


(こころを、見透みすかされたみたい)


 そうだ。

 最近は、苦しくなるから、音楽を聴かないようにしてたんだ。


 明るい歌も、かなしい歌も、冷たい消毒液のように心にみこんでくるから。



 ♪───

 生きてんのがつらいなら

 ひなたで昼寝でもどうだい

 傷だらけのヒロインなんて

 いまどき流行んねぇから


 おれがその人生

 もっとキラキラさせてやる


 ルーララ ルル~ララ

 もう逃げちまえ

 ルル~ララ ルラーララ

 おれが責任とる トゥットゥ♪

 ♪───



 最後はギターのげんはじいて、CM9Cメジャー9のコードでめくくった。


「……ふふっ、はは! ほんと、すっごい、変な曲!」

「即興だしな。でも、泣いてんじゃん」


 萌はいつのまにか、ぽろぽろと涙をこぼしていた。


 からっぽの、ぬけがらで。

 なんにも持ってないのに、のために必死に生きてる。


(わたし、逃げたかったんだなぁ……)


 そう気が付いてしまうと、途端とたんに自分がみじめに思えた。


 本当に、逃げられたらいいのに。

 この人がわたしを、救ってくれたらいいのに。


「……どうやったら、わたしの人生、キラキラする?」


 うつむいたまま、答えを期待しない質問を投げかけた。

 どうにかなるなんて、本気で思ってるわけじゃない。


「まず、一曲歌ってみようぜ」


 意外な彼の言葉に、萌はポカンと口を開けた。




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