よとしり
龍軒治政墫
第1話 ヒップドロップ
「王子!」
老人が城の廊下で呼びかけた。
声をかけた人物は、少し先にいる若者。
王子と呼ばれた若者が、声に反応して振り返る。
王子はイケメンだとかそんなこともなく、凡人クラス。普通の格好をしていれば、町人と思われるだろう。そんなレベルだった。
そして……。
「なんじゃ、じい」
ちょっとじじ臭かった。
ここはとある小国、イフシア王国。
安定した平和な国で、争いとは無縁。決して豊かとは言えないが、城も町も平穏な日々を送れる、そんな国だ。
そんな国の王子が、先ほど呼び止められた若者だった。
名はエイシー。
そして呼び止めたのは、教育係のロータルである。
小さい頃からロータルに育てられた影響か、エイシーはちょっとじじ臭い言動になってしまった。ロータルは自分の影響かと思い、喋り方を矯正したが、エイシーの喋り方は治ることがなかった。もしかしたらロータルの影響ではなかったのかもしれないが、今となっては分からない。
「どこへ行くのですか?」
「散歩じゃよ。バルコニーに出たらお日様が気持ちよくてのう。ちょいと町をぶらりとしてみようと思っておってな」
「それはいいのですが、お世継ぎのことは考えているのですか?」
「なぁに。父上もまだまだピンピンしておる。余はもうしばらく平穏な日々を送れそうじゃ」
「王子ではなく、その次です」
王族は政略結婚が基本のこの時代、イフシア王国は他国から見ればあまり魅力のないのか、エイシーには結婚の「け」の字もなかった。
つまり、相手がいないのである。
妃――エイシーの母親は他国の王族だが、たまたま立ち寄ったこの国を気に入って、嫁いできた。その国も小国で、良好な関係が続いている。
で、最近王族が来たとか、そんな奇跡の再来は、今のところ起きていない。
「大丈夫じゃ。なんとかなるじゃろう。それじゃあ、散歩に行ってくるぞ」
そう言って、エイシーは再び歩き出した。
小さくなっていくエイシーの背中を見て、ロータルは大きなため息をついた。
「あの楽観的な性格、誰に似たのやら……」
王も妃も楽観的な性格で、エイシーはその性格が色濃く出ていたのである。
「全く。最近は顔を合わせればお世継ぎお世継ぎと。心配なのは分かるが」
エイシーはぶつぶつとつぶやきながら、町を歩いている。この辺りは店が建ち並ぶ比較的賑やかな地区。人々の往来もある。
エイシーは人があまり歩いていない道の端を歩いていた。
今日はほどよい暖かさで、降り注ぐ太陽光が気持ちよかった。まさに散歩日和と言える。
「余にも相手がいればのう……」
政略結婚がないということは、ある程度の自由度がある。
つまり相手が現れれば、明日にでも結婚出来るのだ。
その相手がいないのが、問題なのだが。
「しかし、どのような相手がいいかのう。余に相応しい人物……。ふーむ……お世継ぎお世継ぎ言われてるからな。やはり健康的な……」
考えながら歩いていたせいか、前をよく見ていなかったエイシー。突然視界がまっくらになったかと思うと、顔面全体がなにか弾力のある大きなものにぶつかった。
「ひゃあぁっ! なに!?」
エイシーの上の方から、若い女の声が降ってくる。
「なんじゃあ? いったい」
真っ暗のままでは分からない。
エイシーは数歩下がって、声がした方を見上げてみた。
そこには、小さな台に登った若い女の姿。振り返って、台の上から見下ろしてきている。
目線を落とすと、顔の高さには彼女の大きなお尻があった。
エイシーは彼女のお尻にぶつかったのである。
もう一度見上げてみると、彼女は恥ずかしさか怒りか、かわいらしい顔を赤くしてぷるぷると震えていた。口を尖らせているのを見るに、多分怒っているのであろう。
だがそんな彼女を見て、エイシーは無意識にこう言っていた。
「ふむ。素晴らしいお尻じゃ! 余と結婚してくれ!」
「はあぁ!?」
王子エイシー、尻でオちた。
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