源内先生お守り候。土竜侍二匹、江戸を掘る!

林 晶

(一)大阪・銅座編

第1話 宇七、江戸にて偽侍になる。

(一)堤重娘と石切男


「おい、頼むから、そんなにいい声を出さんでくれ…」


汗ばんだ顔をしかめて宇七うしちは言った。狭い江戸屋敷で声が大きい。商売を終えたはそそくさと身支度をすると出て行った。


「今度は、いつ会えるかな―。」


後ろから声をかけるも、おたねは振り返らない。


ー商売人は金を貰ったら、後ろは見ぬもの…か。


田沼時代と呼ばれる、良くいえば自由、悪くいえば風紀の乱れた明和ー天明年間。


江戸では岡場所が繁盛し、堤重さげじゅうと呼ばれる私娼たちが重箱に菓子を詰め、行商を装いながら武家屋敷を巡り歩いている。参勤交代に付き従う独り身侍どもは、堤重娘たちから菓子とを買うのが、心細い江戸暮らしのささやかな楽しみだ…



宇七が着物の乱れを整えたのを見計らったように、老仁左衛門の声がした。


「おぉい、よろしいかな…」

「これは仁左衛門さま、どうぞ。」


仁左衛門は宇七の口元についた粉っぽいものを見ると、にやっと笑った。


「また、菓子を買うておったのう…あの娘、なかなかの人気者だが、の一番におぬしに立ち寄り、さんざん良い商売をして帰ってしまう。最近は美味い菓子が手に入らんと、若い連中が不満じゃ。おおかた、女は石切のような太い腕が好物なのであろう。」


返答に困る。たしかにおたねはいつも、宇七に菓子を売るとすぐに帰って行く。


仁左衛門は急にまじめな顔になると切り出す。


「…さて、ところでどうかな、下の様子は。そこもとの下ではなく、土の下のことであるが。」

「しごく順調に進んでおります。」

「そうか、そうか。ご苦労なことだ。」


出ていくかと思った仁左衛門はくるりと振り返って凄みをきかせた。


「…それとな。武家で小豆あずき菓子は禁忌じゃ。煮ると赤い汁が出て、腹から割れる。験が悪い。腹切り豆、と覚えよ…それから…」


何かというと腹を切らせると脅して働かせようとするのが、この仁左衛門というじじぃのいつもの手口だ。


「…遊女相手に菓子の口移しはやめておけ。かさをかくぞ。」


お目付け役ご苦労様である。


襖の向こうで何の菓子を、どうやって食ったかまで聞かれていたのかと思うと、宇七は耳まで赤くなった。



(二)騙された偽侍


さして取り立てるところもない石切の七男坊だった宇七に、普請頭からの呼び出しが来たのは数年前のことだった。


「宇七、お前は見どころがあるから、うちの養子にしてやる」


とつぜん、普請頭の養子にされた。すると今度は、旗本様が宇七を気に入って養子にご所望という。


あれよあれよという間に強引に話は進み、宇七は行儀作法から立ち居振る舞いまでを叩き込まれた。


石切親方の七男坊が侍になったのはある意味大出世だったが、寡黙な父はこのおかしな養子縁組について、ありがたいとは一度も言わなかった。


宇七自身がこの養子縁組の目的を知ったのは、江戸に到着してからのことだ。


「これは他言無用の隠密行動である。日中地下にて土を掘ること。」

「…はっ。」


なんとか平静を装い頭を下げたものの、かーっと耳鳴りがした。


養子縁組を重ねて格式ある家に迎えられたのは、なんのことはない、石切職人が屋敷へ出入りするのを怪しまれないためだ。売り飛ばされた気分だった。



どうして自分に白羽の矢が立ったかも、ぼんやりと分かってきた。秘密の地下道を掘るために呼び寄せられたのだ。


宇七のふるさとは質の良い石が切り出されることで有名だった。なかでも宇七の育った村は深い地層に石が眠っており、これを採掘するための技を相伝していた。


深い縦穴を長い横穴へと自在に掘りつなげる技で、網の目のような坑道をつくることができる。


地質や地層を見分けられぬ者が下手にこれをやると、一気に坑道内が崩落して職人ごと埋まってしまうため、近隣の村でも深いところの石を掘るときは、高い銭を払って宇七の一族から職人を借り受けていた。


そんな坑道掘りを得意とする村で、一番若く、今まで一度も怪我をしたことがない坑夫。それが宇七だった。



(三)用途不明の地下廊


宇七が掘るように命じられたのは、人ひとり通れるほどの細くて長い地下廊だ。用途はまったく知らされない。掘り進む方角だけを細かく指示される。素掘りの水路か、と思ったこともあったが、そうでもないようだ。


共に働く侍は2~3人ほどいたが、用心しているのか、お互いまったくといっていいほど口をきかなかった。もとより侍と職人で話題もない。


それに侍は、使い物にならない。


地中でたった半日の作業をすることもできない。うぅ~っと唸って飛び出して行って、それきり姿を見なくなったやつもいる。気の知れた職人仲間で仕事をしていた頃が懐かしかった。



この辺りはかつては江戸の外れ、関八州最大の処刑場があったと聞く。


そのため、とにかくすごい数の骸骨が出る。古いもの、新しいもの…最初は丁寧に取り去っては南無と唱えていたものの、途中からは開き直ってつるはしで砕いて進むようになった…化けて出られても文句は言えまい。


また、江戸で大火は数回あったと聞くが、じっさいに掘ってみると、この辺りは何度となく大火に見舞われている。焦土は独特であるため、すぐに見分けがつく。


宇七の故郷の石切り場は、いわば大自然が相手だったが、江戸の土地ときたら、何層にも重なる、人間が暮らしてきた土が相手だ。とにかく事情が多くて面倒だった。


地下道が長くなるにつれ、崩落の危険も高まっていく。このところ、他の侍たちはおっかなびっくりで奥へは寄り付かなくなった。掘り出した土を背負子で運ぶ回数も減らす始末だった。


だから宇七が作業に没頭して、うっかり蝋燭の灯りが途切れようものなら、暗闇をひとりで手探りで戻っていかねばならない。


地下に潜ってからもう半年も経っていたが、どうやら先はまだまだ長かった。



(四)雨夜の品定め


じめじめと長雨の降る季節がやってきた。出入り口がひとつの長い通路は、水が流れこめばあっという間に地獄の水棺となる。早く早くと工事を急かす連中も、さすがにしばし休め、という判断を下した。


宇七は空を眺めては、早く堤重が来ないか、と退屈にため息をつく。他の若い侍たちも、じとじと降りしきる雨を恨めしく眺めながら、こっそり菓子、いや堤重の話ばかりしていた。


「あれ、あの娘が持ってくる。」

「ほう。あれがどうした?」


「あれは偽物じゃ。まっ赤な偽物。番町に出張ったとき、本物を目にする機会があったが、本物は小さな三色団子だった。あの娘が持ってくる田舎風の牡丹餅ぼたもちは、まったくのまがい物だ!」


「ははは。堤重に正直を求めても仕方あるまい。おてつの餅で良いではないか。」

「しかし騙された。今度来たら半値だ。」

「ははは。堤重を値切るとは、みっともないぞ。」


侍どもが爆笑する。


若侍連中の噂しているのは、宇七もご執心のである。人気があるので何かと噂に上る。


「左様か、娘が持ってくる名物菓子は偽物か」


宇七は適当な顔をしていたが、自分が心ならずも侍の身分を偽り、江戸地中を掘っているのに、娘どもが菓子を高く売ろうと嘘をつくのを責められない。


今日を生き残るための嘘だ。生まれつきの宮仕えどもには、わからんだろう。


堤重たちがいっこうに現れないので、宇七はぼんやりと洒落本しゃれぼんの筋書きのような妄想をして布団にもぐり込む。


おたねのことを考えているときだけ、蝋燭の灯りだけで掘り進む、陰気な狭い一本道を忘れられる気がした。

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