第3話 描けない少女とお悩み相談室

「ようこそ、我が『相談室』へ。おかっぱの似合う可愛いお嬢さん」


 その小さな生き物―――もとい犬(コーギー)が、布張りの椅子からひょいっと飛び降り私に言った。


 口に咥えていた白いパイプ(?)を短い手で器用に持ち、同じく短い足でちょこちょこ歩いて。

 それも、まさかの二足歩行である。低めで穏やかな声は、たぶん雄だからだろう。


 …………。

 ……えーっと。


「犬……? っていうかコーギー?」


「そうとも言うね」


 喋る犬がこくりと頷く。

 意外にも、頭に乗っている鹿撃ち帽は落ちなかった。大きな三角耳のおかげだろうか。


 って。

 いやそれよりも、むしろ犬としか言えない気がするんだけど。この生き物。

 それに何で二足歩行? ただでさえ胴が長くてバランス悪そうなのに。

 確かコーギーみたいな胴長短足犬って椎間板ヘルニアとか腰の病気になりやすいんじゃなかったっけ。


「の割にはしっかり立ってるけど」


「鍛えてるんだ」


 心の声が漏れていたのか、私の視線の大分下で探偵姿のコーギーがにっこり笑った。


 いや待て。笑ってるよこの犬。

 というか喋ってるよ!?


「犬が喋ってる!?」


「君、すごく今更だね」


 一々端的に突っ込んでくる犬にムッとする。


 いくら夢だといっても、犬が喋るようなファンシーな予想はしていなかったんだから仕方ないでしょ、と内心で反論した。

 目線で言った気もするが。


「気を悪くしたならすまない。……ここは確かに夢の国だが、住んでいるのはこの私だよ。ファンシーだと賞賛されるべき愛らしさを持ち得ている事は認めよう」


「なんか偉そうだなこの犬」


「こらこら……年若いお嬢さんがそんな物言いをするでないよ。可愛い顔が台無しだ」


「うっわおまけに犬のくせにチャラい」


「いいや、私はフェミニストでね」


 夢のせいか文句がぽんぽん口を突いて出る。現実世界の自分からすれば吃驚だ。


 だけど、妙に話しやすいというか、楽な感じというか、自然と言葉を続けたくなるような不思議な空気が、こいつにはあった。


 こいつ……っていうのは流石に悪いかな。


 例え自分が生み出した夢の住人であれ、初対面の相手には敬意を払うべきだと、死んだ父親も言っていたし。


「……ごめんなさい。なんだか色々と予想外過ぎてついていけなくて、嫌な言い方しちゃったみたい」


 最初、本で見たような素敵な洋館を見てテンションが上がり、なのに中の雑多な感じと予想外の住人に変に逆切れしてしまっていた。近頃気が沈んでいた反動もあったと思う。


 だけど、誰かとこうして話すのが久しぶりだったせいか、少しの会話でも大分心が落ち着いた。


 正直な所、最近起った嫌な出来事のおかげで気持ちがクサクサしていたのだ。

 完全に八つ当たりである。


 私はよいしょっとその場にしゃがみ込み、探偵姿の犬……じゃないコーギーに目線を合わせて謝罪した。


 胴長短足直立不動、大きな三角耳に黒瑪瑙(くろめのう)のようなつぶらな瞳。


 うん。普通に可愛いコーギーである。


 頭を一度下げ、上げた時には柔らかな光を灯した黒い瞳が見えた。

 長い口元の端っこが、ふにゃ、と笑みの形になっている。


 わあ、コーギーって普通にしてても笑い顔っぽいけど、こうして笑うと本当に和むなぁ。


「素直は美徳だ。気にしないでくれ。それよりも、先ほども言ったがここは『お悩み相談室』でね。ここに辿り着く人間は大なり小なり皆悩みを抱えている。私はそんな君達の悩みをこの耳で聞き、そして解決に導くことを生業にしているんだ」


「解決……って事は、探偵をしてるってこと?」


 彼の着ている衣装から判断してそう問いかけると、白いパイプ(?)を持ったままふるふると首を横に振られた。

 探偵ではないらしい。まんまな格好なのに。


「いいや。探偵とは、事件や事故を解決する者のことだ。しかし私がお相手するのは『悩み』。事件まではいかずとも、しかし決して見過ごすことの出来ない心の大事(だいじ)だよ。この格好についてはまあ……たんなる憧れだね」


「なるほど。形から入るタイプなのね」


「ご名答」


 説明に頷きを返しながら突っ込みを入れたら、軽快な返しが飛んできて嬉しくなった。

 夢で、相手は犬だとわかっているのに、会話のキャッチボールが楽しい。


「そっか。だから『お悩み相談室』ってわけね。ってことは……探偵じゃないなら、じゃあ何て呼べばいいの? 名前は?」


 名前はあるのかな、と気になったので聞いてみたら、探偵姿のコーギーは黒瑪瑙の瞳をよりまん丸くさせて、驚いたみたいな顔であたしを見た。


 何だ。名前聞いたのがそんなに意外だったのかな。


 そう思って首を傾げたら「名を聞かれたのは久しぶりだな」と長くふくふくした口がぽつりと呟く。

 おかげでまた頭が? になった。


 今のはどういう意味だろう?


「名は……無いことも無いが。ここは夢の世界だからね。もしも同じ名前を聞いて、こちら側に引っ張られるといけない。だから、そうだな……僕の事は『室長』と呼んでくれると有り難いな」


「コーギー室長?」


「ああ、それで頼む」


 疑問は湧いたが、教えて貰った呼び方を復唱する間に忘れてしまった。

 それよりも、もっと気になる事があったからだ。


「ところで……室長が持ってるその……そう、それ。口に咥えてたやつ。それって何?」


 言いながら、彼が短い手で持っている白い物体を指差す。


 コーギー室長の手はほとんど犬と同じ手だったけれど、ちょっとだけ指が長めで器用に指先でその白い物を掴んでいる。

 形としては……有名な喫煙具であるパイプにとても良く似ている気がするけど。


 この姿で代表される探偵小説の主人公も、よく口に咥えたり手に持ったポーズで描かれているし。

 そう思って、ちょっと失礼と声をかけ、その白い物体を指先でつつかせてもらった。


 爪が当たってコンコンと音がする。大分固い。


 なんだろ、これ。

 形はパイプだけど。材質はまるきり違うし。


 今度は、視線でコーギー室長に問う。

 すると彼の真っ黒で湿った鼻が得意げにふ、と上向いた。

 

「ああ、これは骨ガムだよ」


「ほ……骨ガム? 骨ガムって……まんま犬じゃないの」


「まあ、犬だからね」


 応えにちょっとだけ吃驚して、それから「なぜここだけ思い切り犬」と突っ込んだら、さらりと頷いて返された。

 

 ……確かに犬だけど。


 探偵姿の犬に骨ガムのパイプ。


 まるで何かのアニメのキャラみたいだ。

 と、そう思ったところで急にコーギー室長がふふふっと笑いだした。


「会話を茶化すのは君の処世術かな。そうやって確信を突かれるのを避けているんだね。……なに、気にすることは無いさ。ここにいるのはこの僕だけ。ただの犬になら君も、悩みを忌憚なく話せるだろう?」


 その上、そんな事を言う。

 室長の目は、さきほどとは少し違って仄かに赤く、不思議な色を帯びていた。


「あなた、何者……?」


 なぜか、その目に心の奥底を見透かされているような気がして、あたしは思わず後退ってしまった。

 どこか恐怖に近い不快感のような気持ちが、心をざわりと逆なでする。


 自分の夢が創り出した住人にしては、妙に自我がはっきりし過ぎてないだろうか。

 むしろちょっと嫌みなくらいだ。


 こんな面倒くさい感じって、好きだったっけ。あたし。


 なんて事を嫌な汗を掻きながら思い浮かべた。


「言っただろう? 僕はコーギー室長。この『お悩み相談室』で、君の悩みを聞くために待っていたんだよ」


「……はあ」


 またふっと微笑まれ、やんわりと返されて、どうしてか逆立った気持ちが一瞬で薙いだ海のように穏やかになった。

 赤茶色、もしくは濃い蜂蜜色した三角耳が、茶目っ気たっぷりに片方ぴこんと跳ねている。


 黒瑪瑙の瞳は、器用にもウインクの形になっていた。


 ……なんていうか、毒気を抜かれたというか。

 棘を引っこ抜かれてまるっとさせられたというか。


 そんな感じのする相手だ。

 このコーギー室長というのは。


 不思議と、そんな風に納得した気持ちになってしまった。


 ……まあ、いいか。


 今見ているのは所詮、夢なのだから。


 彼は私が生み出した夢の住人。


 ならば、ここでくらい抱えていた重たい思いを吐き出してもいいだろう。

 何より本当は、誰かに聞いて欲しかったのだから。


 だから、私は今心に抱えている『悩み』を、彼……コーギー室長に、話すことにした。



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