第14話 痛み02

 リリーの暗い感情には誰も気づかない。特に、ロイドは息子と皇女の結婚を信じきっている。『リリーとレインを二人きりにさせる』と気をきかせたつもりか、『キースリング』への乗船を辞退して後発の砂船すなぶねへと向かった。


 三本帆柱マストが風を受けると戦列艦『キースリング』はゆるやかに発進する。白い砂の上を帆走はんそうする姿は勇壮そのもだった。特にクロエは感動して目をキラキラと輝かせた。


「ねえ、ねえ、すごいよ!! 砂が波みたいに跳ねてる!!」


 クロエは右舷うげんから身を乗り出しながら歓声を上げた。


「リリーも早く見て!! かっこいいよ!!」

「クロエ、わかったから少し落ち着いて……」


 リリーは苦笑しながら隣を見上げる。ソフィアもソフィアで目を細め、優しげにクロエを見つめていた。


「ねえ、ソフィー。クロエのところまで行ってみましょう」

「うん。わかった……リリー、揺れるから気をつけて」


 リリーとソフィアはクロエのそばまでくると船縁ふなべりからウルド砂漠を眺めた。


 空は青く澄み渡り、白い砂漠は地平線の彼方まで広がっている。青と白だけの単調な世界のはずなのに、リリーには新鮮で鮮やかな景色に見えた。


──なんて綺麗で壮大なの。この景色を三人で観れただけでも幸せだわ。


 そう考えるとリリーの暗い気持ちも幾分か晴れてゆく。リリーはウルド砂漠を眺めながらぽつりとつぶやいた。


「最後に三人で旅行したのはいつだったかしらね……」

「確か、二年前にベトラス国へ行ったのが最後じゃなかったかな」


 すぐにソフィアが答えた。ベトラス国はリリーの母ルシアの祖国だった。ソフィアは吹き抜ける風に目を細めながら続けた。


「ルシアさまの故郷も綺麗だった。ウルド砂漠とは違い、湿地が多くて神殿が多かった」


 ソフィアが言うとすぐにクロエが笑顔になる。


「そうそう、あのときは楽しかったよね!! 食べ物もおいしくて……それに……リリーが湖に落ちて……あはは、そのときのソフィアの顔。めっちゃ面白かった」

「「ちょっと、その話はやめて!!」」


 クロエがこらえきれずに笑い出すと、リリーとソフィアは口をそろえる。ただ、リリーとソフィアもわざとらしく怒ったふりをするだけで、笑顔だった。リリーは表情を崩したまま、二人へ語りかける。


「今回の旅行も楽しくなりそうね」

「リリー、旅行ではなく遠征だ」


 リリーが言うとソフィアはすぐにたしなめた。クロエはソフィアに同調してうんうんとうなずいている。


「そうだよリリー。わたしたちは戦いに来てるんだよ」

「クロエはすぐソフィアの顔色を気にするのね」

「だって、親衛隊の隊長さんは怖いもん」

「確かに……いっつも難しい顔をしていて怖いわよね」

「ちょっと、二人ともやめろ。わたしは怖くないぞ」


 ソフィアが困り顔になると、リリーとクロエは「ほら、難しい顔をしてる」と声をそろえて微笑んだ。ソフィアはため息をついているが、口の端はほころんでいた。


 三人ではしゃいでいるとまるで本当に旅行へでも来ているかのようだった。ただ、リリーは背中に視線を感じていた。それは、リリーたちの後ろで見守っているレインの視線だった。


──そろそろ話しかけてくるかしら……


 リリーがそう思っていると案の定、足音がしてレインが近づいてきた。



×  ×  ×



「あの、リリー殿下……」


 レインはやはり『殿下』と付けて、おずおずとした口調で話しかけてくる。リリーは振り向くとわざとらしく頬を膨らませた。不満を表すときも可愛らしさを忘れない。そうすれば、たいていの男は言うことを聞いてくれる……そのことを熟知していた。


「ごめん、


 レインはすぐに言い直した。レインが思い通りの行動をとったことでリリーは満足そうに微笑んだ。こちらからレインへ近づいてゆく。


「レイン、どうしたのですか?」

「何かウルド砂漠の説明でもしようかと思いました。興味がおありのようでしたので……」


──余計なお世話よ。気のきかない男ね……。


 友人と楽しく会話しているのが見えないのか? と、思いながらもリリーは笑みをやさない。さも嬉しそうに続けた。


「嬉しいです。できれば、ソフィーとクロエにも聞かせていただけますか?」

「もちろんです!!」 


 レインは空気を読めずに張り切っている。ふと、リリーはレインの後ろに立っている二人の男が気になった。


「あちらのお二人は?」

「はい、ジョシュ・バーランドとダンテ・カインハルトと申します。二人とも僕の幼馴染で副官です」

「じゃあ、せっかくですから紹介してくださいますか?」 

「はい!!」


 レインはすぐにジョシュとダンテを呼ぶ。二人はリリーの前までくると片膝をついた。


「リリー殿下、わたしはジョシュ・バーランドと申します。我があるじレイン・ウォルフ・キースリングの副官にございます」


 ジョシュは金色の短髪で、見るからに精悍せいかんな体つきをしていた。ソフィアと同じくらいの身長で、気の強そうな眼差しをしている。ジョシュが挨拶をすませると今度はダンテが自己紹介を始めた。


「同じく、副官を務めるダンテ・カインハルトと申します。リリー殿下にご挨拶できて光栄に存じます」


 ダンテは黒い髪を肩まで伸ばしている。眉目秀麗びもくしゅうれいという言葉がぴたりと当てはまるような美男子だが、神経質そうな雰囲気もあわせ持っていた。


──この二人がレインの副官……。


 ジョシュとダンテはリリーに対しても気おくれしない。堂々とした姿からも『はるじであるレインに恥をかかせない』という気概と忠誠心を感じる。


──二人にとってレインは大切な主君なのね。


 そのことをさとるとリリーはレインの左手へ右手を絡ませた。『自分こそがレインにとって最も特別な存在である』とさりげなく誇示してみせる。驚き、頬を紅潮させるレインをよそに返礼を告げた。


「わたしはリリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ。レインの妻となるべくウルドまでやってきました。わたしも二人に会えて嬉しく思います」

「「ありがたきお言葉」」


 ジョシュとダンテは恐縮して頭を下げる。リリーは二人を立ち上がらせると、「それでは……」とつぶやきながらソフィアとクロエへ振り返った。


「二人も挨拶して」


 リリーが促すと真っ先にクロエが進み出る。


「わたしは皇女近侍隊きんじたいのクロエ・ベアトリクス!! えっと……リリーの侍女武官です。よろしくお願いします!!」


 クロエは両手で給仕服のスカートをつまみ、片足を引いて挨拶した。気恥ずかしかったのか、「次はソフィーだよ!!」とすぐにソフィアの腕を引いた。


「わたしはリリー殿下直属、皇女親衛隊の隊長ソフィア・ラザロ……よろしく」


 ジョシュとダンテの前に立ったソフィアはいつも通り淡々とした口調で挨拶を述べる。ただ、その顔はどこか不機嫌で不愛想な態度にも見えた。


「「よろしく」」


 レインとダンテは返礼するが、ジョシュは険しい顔でソフィアを睨みつけている。


「ソフィア・ラザロ……ちょっと聞いてもいいか?」


 突然、ジョシュはソフィアへ尋ねた。視線の先にはソフィアが愛用する長剣があった。

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