第1章 皇女と昏い静寂の塔

第1話 誕生日

ガイウス大帝おじいさま、わたし結婚するわ!!」


 二十歳の誕生日を祝う祝賀会でリリーは声高らかに宣言した。宮殿の大広間に詰めかけた貴族たちはみな驚いて顔を見合わせる。そして、


「またリリー殿下の気まぐれが始まった。今度は誰が犠牲になるのか?」


 と、困惑しながら大広間の最上段にある貴賓席を見た。そこには老人とは思えない精悍せいかんな体つきをしたガイウス大帝が座っている。ガイウス大帝は少し億劫おっくうそうに肘掛けへもたれた。


「我が可愛い孫娘よ、宴席の余興にしては戯言ざれごとがすぎるぞ」

「あら、戯言なんかではありません。大真面目です」

「ほう……誰か心に決めた相手でもいるのか?」

「もちろんです!!」


 リリーは煌びやかな主賓席から勢いよく立ち上がった。客席を見渡し、ガイウス大帝の正面に座る壮年の夫妻に目をとめる。彼らは外征から帰国したばかりの藩王はんおうロイドと妻サリーシャだった。


「藩王ロイド殿のご子息、レイン殿に嫁ぎたいと存じます」

「ロイドの?」


 ガイウス大帝は首をかしげながらギロリとロイド夫妻を見下ろした。


「ロイドよ、そなたは息子から何か聞いておるのか?」

「いえ、何も。遠征から帰国したばかりなれば……」

「サリーシャはどうだ?」

「はい。わたくしも夫と同じく、初耳でございます」


 二人とも驚いている様子で恐懼きょうくするばかりだった。ガイウス大帝は太い眉をひそめて再びリリーを見る。


「リリーよ、お前はロイドの息子と会ったことがあるのか?」

「いいえ、ございません」

「何だと?」

「ですが、これほどの良縁はないと考えます」


 リリーはガイウス大帝の目をまっすぐに見つめ返した。

 

ガイウス大帝おじいさまに申し上げます。藩王ロイド殿が治めるウルド国は神聖グランヒルド帝国を形成する領邦国家りょうほうこっかのなかでも屈指くっしの強国。ロイド殿は『砂漠の狼王ウルデンガルム』として辺境をたばね、帝国有事の際には先駆けを務める英雄。しかも、妻サリーシャ殿は夫と共にくつわを並べて戦い、帝国中に武名を轟かせています。お二人のご子息ならば、わたしの夫としてふさわしいと存じます」

「だからといって、会ったこともない男と結婚すると申すか?」

「はい。わたしが嫁ぎ、ウルド国が皇統へつらなれば、神聖グランヒルド帝国の栄華は盤石なものとなりましょう」


 確かに、そうかもしれない……と、ガイウス大帝は思わないでもない。しかし、恋愛におけるリリーの所業も知っている。それだけに、リリーの我がままが大事おおごとへと発展するのを心配した。


「藩王の息子と婚礼を挙げるとなれば帝国の威信にも関わる。普段の恋愛あそびとは異なるのだぞ」

「もちろんでございます」


 リリーは静まりかえる客席を見渡しながら微笑んだ。次に両手を広げて声を張る。凛とした声が大広間に響いた。


ガイウス大帝おじいさまが婚礼をお認めくださるのなら、わたしは直轄する領地と財産をすべて帝国に献上いたします!!」

「「「なんと……」」」


 リリーが宣言すると客席がざわついた。リリーは大貴族や大商人から奪った莫大な領地や財産だけでなく、元々持っていた領国をも手放すと言っている。ガイウス大帝は巨躯きょくを揺すって身を乗り出した。


「ふざけているのか? 酒席の冗談では済まなくなるぞ」

「ですから、冗談などではございません」


 リリーは胸に手を当てて悲しげにうつむいた。その姿は可憐で健気な乙女そのもので、貴族たちの目は釘付けになる。


巷間こうかんではわたしのことを『傾国姫けいこくき』と呼んでいるとか……心ない噂に、ずっと胸を痛めておりました。婚礼をお認めくださるのなら、すべてを帝国に献上して忠誠と至誠しせいあかしとしたいのです」

「……」


 切々と訴えるリリーからは並々ならぬ覚悟が伝わってくる。返答に困ったガイウス大帝は隣席にはべる帝国宰相サルトールへ声をかけた。


「サルトールよ、いかにすべきか?」

「はい……」


 サルトールは深い皺が刻まれたひたいをガイウス大帝へ近づけ、ひそひそと小声で答えた。


「リリー殿下のお心がけ、誠に見事でございます。それに、この婚礼がなれば『皇族たるものかくあるべし』となり、門閥貴族どもにとってよい教訓となりましょう。中央の力が強まるのは願ってもないことでざいます……」


 老練な宰相は言外に「リリーの領地と財産を手に入れろ」と言っている。そのことに気づくと、ガイウス大帝は白く長い髭をなでながら大仰にうなずいてみせた。


「よし、わかった。リリー、お前の望みを叶えよう」

「本当ですか!? ガイウス大帝おじいさま、ありがとうございます!!」


 リリーの顔がパッと華やぎ、朗らかな声が緊張していた会場の雰囲気を明るくする。ガイウス大帝は喜ぶリリーを尻目にロイド夫妻へ声をかけた。


「ロイドとサリーシャも異存ないな?」

「はい。もちろんでございます」


 ロイドは恐縮したまま答えるが、サリーシャは視線を落としたまま沈黙している。その様子を見てガイウス大帝は念を押すように語りかけた。声色こわいろには有無を言わせない圧力がある。


「サリーシャよ、リリーは帝国の珠玉しゅぎょく。お前はその義母ははとなるのだぞ」

「……はい、身に余る光栄。息子も喜びましょう……」

「そうであろう、そうであろう」


 サリーシャがようやく答えると、ガイウス大帝は満足そうに顔をほころばせた。すぐにさかずきを手に取って立ち上がる。ガイウス大帝の身体はどの近衛兵よりも大きかった。


「みなの者、よく聞け!! 今宵はリリーの生誕を祝うだけでなく、婚礼も決まった!! はここに藩王ロイドの息子レインと皇女リリーの婚礼を認めるものなり!!」


 ガイウス大帝が杯をかかげると貴族たちも全員が立ち上がって杯をかかげる。大広間の視線が一身に集まるとガイウス大帝はさらに声を張った。


歓呼かんこせよ!! 神聖グランヒルド帝国万歳!!」

「「「神聖グランヒルド帝国万歳!! リリー殿下万歳!!」」」


 貴族たちは意気揚々とガイウス大帝に続いた。ぶつかり合う杯からは酒がこぼれ、万雷ばんらいの拍手は鳴りやまなかった。


「なんとめでたいことか!! 心ゆくまで祝杯をかかげようぞ!!」


 ガイウス大帝は上機嫌で酒を飲み干し、リリーも祝福の輪に加わって笑顔を振りまいている。しかし……。


 二人だけ冷徹な眼差しで事態を見守っている人物がいた。それは広間の片隅で油断なく目を光らせるソフィアと、他ならぬサリーシャだった。

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