◎5

 場所は変わりオアシスダム。

 フギンとムニンとモルドジョーは味方の思わぬ援軍により、オシリスの包帯拘束から解放された。オシリスはそれを行ったダムの上の張本人――ニャルラトホテプを仰角ぎょうかくで見上げていた。


「なぜ忍者警察を裏切った?」

「…………」


 ニャルラトホテプは答えない。


「おまえはバステト・ラヴクラフト博士に作られた一体目の有機生命体クローンのはずだ。そのおまえが忍者警察を裏切ったせいでニャルラトホテプ計画は中止され、闇に葬られることになった」


 オシリスが睨むとニャルラトホテプは無言を破り、マフラーをたくし上げて一言答えた。


「私は私だから」


 するとそのとき、ズズズゥーンと音を立てて地震が起こった。地面が揺れるたびにダムの水面に波紋が広がる。噴水広場のほうでスカラベの大群と女王スカラベが出現し、メジャイがミイラ化していた。それに追随するように恐竜が地下迷宮から這い出ているところだった。

 しかしオシリスはそんなことなど露ほども知らなかった。


「何が起こっている?」


 巨大ダムを前でオシリスが呆気にとられている間に、ニャルラトホテプはほぼ垂直のダムの壁面を駈け降りた。両手の親指以外の指を折り畳み、それから親指の腹同士のみを合わせた。


「《親・指アル・イブハーム》」


 ――瞬間、オシリスの足下が爆破する。


「クッ!」


 オシリスは間一髪跳んでかわしたが、今度はニャルラトホテプは両手の親指と人差し指同士の二本を合わせて印を結んだ。


「《人差・指アッサッバーバ》」


 続けてそう唱えると、オシリスの逃げた方向で二カ所同時に爆発が起きた。ニャルラトホテプは音もなくしなやかに地面に着地する。黒煙のほうをのぞき込むと徐々にオシリスのシルエットが浮かび上がってくる。


「あらかじめ地雷を仕込んでいたか。さすがは元忍者。用意周到だな」


 オシリスは包帯で全身を防御したらしく包帯はボロボロで雑巾にも使えそうになかった。


爆弾ニトロ菌――触れたものに爆弾菌を付着させ、両手左右の同じ指同士を合わさることで起爆させる。保有菌を利用した固有忍術」


 タネは割れているとばかりにオシリスは看破した。それからオシリスは黒煙に包まれるなか相棒に囁く。


たけれ、ホムラ」


 突如メラホメラホと炎が爆ぜ、ホムラ菌は黒煙を吹き飛ばして周辺の酸素を食らう。姿を現したオシリスの赤い右眼には黄金のピラミッドの模様が浮かび上がる。さらにその中心にはこの世のすべてを照らし見通す太陽の眼が刻まれていた。


「これで菌の位置が鮮明に視える」


 そのオシリスの瞳を見てニャルラトホテプは呟く。


「太陽一族の継承眼」


 ニャルラトホテプは警戒しながら距離を取りオシリスと睨み合っていた、そのとき。


「アガッ!」


 突然うなり声が聞こえ、その先には倒れたモルドジョーが呼吸を荒くして胸を激しく上下させていた。すぐさまフギンとムニンはおっとり刀で駆け寄る。


「これは……菌断きんだん症状だ。酸素菌を使いすぎたんだ」

「フギン、どういうこと?」

「菌が反旗を翻し、宿主の体に牙を剥いている。モルドジョーの場合は酸素中毒だ」


 つまりは菌たちによる反乱である。

 ムニンがあたふたするなかフギンは内心焦りながららも冷静に打開策を模索していたが見つけられない。


「時間を稼ぐ」


 するとニャルラトホテプは消え入るような声で囁いた。


「飛んで」

「……で、でも」

「任せて」


 そんなニャルラトホテプの無機質で揺るぎない翡翠の瞳を見たのち、フギンは決断する。


「ムニン、モルドジョーを背負うぞ」

「う、うん」

「タツノオトシ号にいけば抗生物質を応用した菌抑制剤の注射がある」

「フギン……わかった」


 双子は結合した翼の間にモルドジョーを挟み、左右それぞれの肩を貸して歩き出した。だがしかし、その背中をオシリスが黙って見逃すはずがない。


「逃がすと思うか」

「行かせない」


 オシリスによる火焔刀の追撃をニャルラトホテプはクナイを投擲して阻む。弾かれて地面に突き刺さったクナイには爆弾菌ニトロが付着しており、次にニャルラトホテプは両手の親指を合わせて起爆した。


「《親・指アル・イブハーム》」


 しかし、そんなことはお見通しのオシリスはあっさりとかわし、爆弾菌が蔓延っておらず地雷のない安全地帯に着地する。

 それでも構わず、立て続けにニャルラトホテプは猛追した。


「《人差・指アッサバーバ》:《中・指アル・ウスター》」


 と、両手の人差し指と中指同士を触れ合わせて地雷を連続爆破させた。対象の指以外は折り曲げて誤爆を防いでいるようだった。ともあれ硝煙と砂煙と爆煙によってまたたく間にあたりは視界不良に陥る。


「猪口才な」


 オシリスは腕で口元を覆い、耳を澄ませる。するとブォーンと低い鳴き声が聞こえたと同時に突風が吹き上げて、タツノオトシ号はすでに離陸していた。黒煙を突き抜けるところまで上昇しており操縦室には烏天狗の双子が座っている。乗降口からはニャルラトホテプが見下ろして地上を警戒していた。その奥ではセツがモルドジョーを押さえつけてクドゥー博士が「痛いのは一瞬だからね」と菌抑制剤を注射している。

 その一連の流れを見上げつつ不敵に笑うオシリス。


たぎれ――ホムラ!」


 それから二刀の火焔刀の柄頭同士を合わせると、包帯が何重にも巻きつき二刀が合体して双刃刀そうじんとうを完成させた。持ち手は真ん中のみとなり両端に刃がくる形体である。

 するとメラホメラホと火焔菌が手当たり次第に縄張りを広げて幅を利かせ始めた途端、二本の燃え上がる黒刀の先端の火焔菌がオシリスの背中に集積した。三つ巴(三つの勾玉が正三角形に並んでいる図)の火の玉を浮かび上がらせ、そこから飛び火して一対の炎翼を形成する。警察帽から二本の炎の飾り羽が灯り、尾てい骨から二本の着物の帯のように長い尻尾が生えた。


芥化あくたか・【鳳凰不知火二式ほうおうしらぬいにしき】」


 オシリスは双刃刀を携えて炎翼をバサッと羽ばたかせる。火の羽根が舞い散るなか勢いよく飛び立った。エンベロープの熱波によって発生した上昇気流に乗って飛行船に一気に迫り狂った。


「なんか彼、火焔菌と同化しちゃってないかい?」


 どこか緊張感に欠けるクドゥー博士だった。

 それを無視してニャルラトホテプは五本指を折り畳んだ状態の両手を近づけた。すべての指をゆっくりと伸ばして五本すべての指先同士を触れ合わせた。


「――《五・指・爆発ハムサアル・ヒンスイル・クンバラ》」


 その次の瞬間、ドッカーン、ドッカーン、ドッカーン! と、ダムの一区画で次々と爆破が起こり決壊したではないか。放出された鉄砲水がタツノオトシ号の頭部に降り注ぎ水が傘状に広がった。それでもなんとか双子の舵切りによって船体を持ちこたえさせながら鉄砲水を躱す。しかしオシリスも追随する。鉄砲水を華麗に躱しながら水しぶきを突き抜けてオシリスはしぶとく飛行を続けていた。


「ダムから駈け降りるときに壁にニトロを撒いたのだろう。だが本官の眼は誤魔化せんぞ」

「……」

「こんな水量では砂漠に水を撒くようなものだ」


 オシリスはさらに飛行船に接近すると炎の双刃刀を天空に向けて構える。


「魂をめっせ――《葬火喪星そうかそうせい忍照オシリス》」


 突如、長い尾を引いた火の鳥の化身がオシリスの背後に現れる。その火の鳥は水しぶきをものともせずに触れたそばから水蒸気に変えており、もはや活火山が飛び回っているようなものであった。しかしその大噴火寸前の火山を前にしてもニャルラトホテプは五本の指を合わせたままジッと動かない。

 オシリスが不審に感じて眉をひそめた、まさにそのとき――


「《爆・掌・クンバラ・カッフ・アルヤッド》――」


 パンッ!

 と。

 ニャルラトホテプは両手のひらを合わせた。


「――《マウダマ》」


 そしてボッカーン! と、ダムの上部が勢いよく爆破されて大量の水が湿ったコンクリートとともに流れ落ちた。


「まさか、あらかじめダムの裏にもニトロを……ッ!?」


 その前の鉄砲水はオシリスをこの地点へと誘導するための罠だったのだ。子猫の足跡を追っていると思ったら獅子の狩り場に迷い込んだようなものである。見えすぎることが逆に仇となってしまったオシリスは行水のように滝をまともに引っ被ってしまう。火の羽根が抜け落ちていき、ついには火焔菌が不活化されて水の重みに耐えきれず、濁流に飲まれていってしまった。


「…………」


 それを見届けたのち、ニャルラトホテプがダムに背を向けて乗降口を閉めようとした。しかしまさにそのとき、勢いよく伸びてきた包帯がニャルラトホテプの右手に絡みついた。


「ッ!?」


 なんと仕留めたはずのオシリスが濡れ鼠になりながらも執念だけを燃やして包帯を伸ばしてきたのだ。

 しばし見つめ合うかつての同志。しかし二人の間に言葉はなかった。

 その繋がれた包帯をニャルラトホテプは今度こそクナイでパスンと断ち切った。オシリスはあっけなくポチャンと滝壺に落ちていった。それを見下ろす黒猫面の下でニャルラトホテプがどんな表情を浮かべているのかは誰も知らない。そして乗降口は蟹のえらのように今度こそ固く閉じられた。


               ***


 プトラプテス翡翠王宮内にとある忠臣が青ざめた顔で入ると大王に報告した。


「急報! 市中で女王スカラベとスカラベの大群が出現、かつ死者の大行軍が行われている模様! 目下、原因調査中ですがおそらくはスカラベが未知の細菌を媒介し感染拡大させているようです!」


 ミイラとスカラベの大量発生によりプトラプテス翡翠王宮内ないしは国中が恐慌状態に陥っていた。ただならぬ事態を察したエメラルド大王はガラスの仮面の男に視線を向ける。


「ハートハザードの長よ」


 エメラルド大王は玉のような汗をかきながら玉座を立って言う。


「金ならやる。余を助けるのだ」

「一切断る」


 ガラスの仮面の男は大王の要求を一蹴した。


「ならオアシスダムの所有権もやる。これでどうだ?」

「一切不要」

「ドクターズにも口添えしてやるぞい? 安楽死皇帝や闇医者国家ドクナ・マキナでもよい。その辺の連中には余は顔が利くのだ」


 しかし一切聞く耳を持たずに用は済んだとばかりに立ち去ろうとするガラスの仮面の男。


「待つのじゃ!」


 ガラスの仮面の男を引き止めるべくエメラルド大王が男の腕に触れた瞬間、大王は目、鼻、口から血を噴き出した。エメラルド大王は自身の口と鼻を押さえた手を見てぎょっとする。


「余になにをしおった……?」

免疫抑制ケサラン――《ケ・セラ・セラ》」


 無感情にガラスの仮面の男は呟くと、左肩に乗った白い毛玉がエメラルド大王を威嚇するように睨み据える。


「それが貴様の業だ」

「……なんじゃと」

「甘んじて受けろ、愚かな王よ」


 しかし駆け寄る近衛兵も払いのけてエメラルド大王は不気味に笑う。


「愚王などかわいいものとは思わんかえ?」

「…………」

「貴様もわかっておるはず。この世でもっとも人を殺したのは才能なのだ」


 エメラルド大王は大粒の血を振りまきながら大仰に両手を広げる。


「才能とはダイナマイトだ!」

 その刹那――王宮の数百メートル背後に位置するオアシスダムが決壊して大量のH2Oが王宮に押し迫った。だがしかし、エメラルド大王はまるで意にも介さない。


「すべてを巻き添いにして完膚なきまで破壊していく――貴様もそうなのかえ?」

「我々は真理を求める錬菌術師に過ぎない」


 今さらガラスの仮面をズラして男は素顔を晒した。人形のような無表情に宝石のような瞳。それは今生の別れを意味する最後通牒だった。


「怯えずとも才能はやがて枯れるものだ」

「ふざけるなよ! 余がこんなところで終わるわけがなかろうが!」


 激昂を重ねるエメラルド大王にリューリは落ち着いた声音で言う。


「所詮は悠久の時のはざまに挟まれる栞。時のページは残酷なまでにられていく」

「……貴様の眼にはいったい何が視えているというのだ?」


 その問いには答えず男はガラスの仮面を被り直して、別れの言葉を口にした。


「グッド・バイ」


 それからエメラルド大王は自らの欲望を顕在化させたような濁流に王宮ごとのみ込まれていった。


「ハートハザードオオオオオオオ!」


 そんな大王の怨念のこもった叫び声もすぐさま水の音にかき消されてしまった。

 一方、翡翠王宮の庭園。列柱回廊で四方を囲まれ、一面に芝生が生える庭園は王宮まで一直線に水路が引かれていた。そこに二本の角の生えた妙齢の女性が列柱に背をもたれて立っていた。その顔には薄桃色のウーパールーパーの仮面を被っている。


「はあーしょうがない。一丁やりますか!」


 アーカーシュは気合いを入れてから水路の水をさっと掬って寿司職人のように両手を湿らせた。そして迫り来る津波に立ち向かうとその場に膝をつき、地面に濡れた手のひらをつく。


珊瑚コラル菌――《桜花礁おうかしょう》!」


 すると次の瞬間、ズッドーン! ドーン、ドーン、ドーン! と、そこら一帯の地中から薄桃色の巨大な珊瑚礁が剣山のように幾本も生えた。高さ20メートルはある珊瑚礁の樹枝の下部を氾濫した洪水が飛沫を上げながら流れていた。その珊瑚礁の上部にはアーカーシュが乗っており、その視線の先にはいつの間にか同乗しているガラスの仮面の男。白スーツのポケットに手を突っ込み、無言のままアーカーシュには一瞥もくれない。


「竜のかご計画はどんな感じ? リューリ?」

「つつがなく」


 リューリは簡略的に一言だけ答えた。

 それ以上は何も聞かずにアーカーシュは手びさしを差して目を凝らすと、巨大な珊瑚礁からは遠くまでよく見えた。市街地のほうでは恐竜と女王スカラベが対峙していた。翻って反対方向のオアシスダムからは珊瑚礁の巨大樹の森に架かる虹をくぐり抜けるように白い海馬が空を駆けていた。


「おーい! みんな~! 生きてる~!」


 アーカーシュはタツノオトシ号に向かってめいっぱい手を振った。

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