竜に魂を売った男
◎1
噴水広場でキンタロウたちとハートハザードの一戦にて女王スカラベの登場を機に状況が混沌としていた。辺りを黒尽くめのメジャイミイラたちが
ハートハザードとの戦闘は一時休戦状態となる。アルコとキンタロウは女王スカラベに真っ向から対峙していた――まさにそのとき、またもや地響きが鳴ると地面が揺れた。
「今度はなんですか?」
アルコが体勢を崩しながら言うなかナナセは微動だにしていなかった。いったいどんな体幹をしているのだろう。あるいは三半規管か。
アルコが畏怖しながらも感心していると、そこで目の前の噴水が突如トイレの便器のように割れた。その次の瞬間、噴水を噴火のように吹っ飛ばしてからひび割れた地面から現れたのは今や化石でしか見たことがないようなかつて絶滅したはずの地球の生態系の頂点だった。いわゆる恐竜である。
それも前方に突き出た大きな口が特徴的な暴君ティラノサウルス・レックスである。ボクサーのように常に前傾姿勢を保っておりワニのように鋭い歯を備え、バッタのように発達した後ろ足とは対照的に前足はカエルのようにかわいいものだった。いろいろな動物や昆虫の特色を併せ持った起源の生き物なのだと感じさせる風貌だった。
「たまげたな、こりゃ」
さすがのキンタロウも驚きを隠せない様子で見上げていた。一方のハートハザードの二人のリアクションは薄いものである。マッシュパッカーなどはキノコグローブを外して手鏡を取り出すとお色直しを行っていた。
ティラノサウルスは首をゆっくりと振りながら咆哮を上げて女王スカラベを威嚇した。何億年も前から遺伝子に刻まれた狩猟本能がその目に宿り、荒い鼻息とともにダラダラとよだれが垂れる。胴体と同等の長さの尻尾を振り乱しながらティラノサウルスは二足歩行のまま猪突猛進の突進を決行した。勢いの乗ったティラノサウルスの頭突きをもろに受けた女王スカラベはひっくり返るように背後の建物に衝突する。建物はクッションのようにくずおれて崩落した。さらに追い打ちをかけるようにティラノサウルスは鋭利な牙で噛みつこうとするも、硬い外骨格に阻まれさすがに歯が立たない。代わりにティラノサウルスは筋肉質な足で仰向けになった女王スカラベの腹を何度も蹴りつけた。すると初めて女王スカラベは甲高い音を発して痛がるように啼いた。
もはや
外骨格相手にティラノサウルスが攻めあぐねていた、その次の瞬間――女王スカラベの後ろ足がビュンと伸びてティラノサウルスの腹部を
土煙に咳き込みながら異変を察知してキンタロウは呟く。
「何をする気だ?」
しかしなおも女王スカラベは建物を破壊しつつ、地上に闊歩するミイラと生きた人間を見境なく噛み潰し始めた。女王スカラベは瓦礫と瓦礫の間のつなぎとして人間を使用して巨大な人間団子を作っていた。
思わずアルコは目を背けてしまう。
「なんてむごいことを……」
「別に人間だって変わらねえだろ。他の動物や昆虫からしたら想像もできねェくらいのことを平気でやってる。種族が違うってことは致命的な価値観が壮大にすれ違うってことだ」
キンタロウはいつものキンタロウ節で冷静にアルコを説き伏せた。
「あいつらにとっちゃ人間なんざ、
それから女王スカラベは直径七メートルほどの手作り人間団子を作ると、後ろ足で人間団子を抱えるように逆立ちした。それからなんと後ろ足で人間団子を器用に転がし始めたではないか。その巨大肉団子は噴水広場を起点に渦巻き状に市中をフンコロガシならぬニンゲン転がししていた。まるで未就学児サッカーの団子状態だ。アルコとキンタロウたちをめがけて人間団子は時速90キロという猛スピードで襲いかかった。
「え?」
咄嗟に反応できないアルコを横からキンタロウが押し倒すかたちで大事にならずに済んだ。顔を上げてキンタロウは怒鳴った。
「あんた、糞まみれになりてェのか!」
「いや、私は……」
実のところあまりに現実感のない目の前の光景にアルコは全身から力が抜けてしまっていた。あるいは力ではなく抜けたのは腰か、はたまた魂なのかもしれなかった。
瞬く間に人間を巻き込みながら
「しっかりしろ、先生!」
キンタロウに叱咤されてはっとするアルコ。
「どういうわけか知らんが、デカブツ同士がやりやってる今のうちに皇居に急ぐぞ」
「ええ、はい。そうですね」
アルコはとある面影を想ってからシアワセの奥に位置する皇居を見やった。
ティラノサウルスが女王スカラベの大玉転がしを足止めしている隙に皇居へ向かおうとする。その皇居の背面には権力の象徴のようにダムがそびえていた。
しかし一難去ってまた一難。
突然、皇居の後ろに位置する灰色の絶壁のダムがドッカーン! と高価な壺のように割れた。ザッバーンと大量の水の波に押されるように黒い何かがアルコたちに迫っていた。
ブーン! カサカサ! モゾモゾ! チュウチュウ!
決壊したダムの水から逃げるようにして黒い嵐が巻き起こっていた。
「……嘘でしょう」
冷や汗を垂らすアルコに釣られてキンタロウがその黒い嵐をためつすがめつしてみれば、それは
「キャーッ!」
中央市場の人々は逃げ惑い、市中はしっちゃかめっちゃかの大パニック状態に陥る。腕や衣服で顔を覆うくらいしか対処のしようがない。パレードの通ったあとの市場では草一本も残らず、カビルは窮鼠と懸命に戦ったのちに発達した前歯で肉球を噛まれていた。
続けてゴキブリ、ネズミ、イナゴ、ハエ、ノミはスカラベの巣喰う人間団子にワラワラと一挙に群がり黒く浸食した。すると驚くべきことに人間団子の中でひとつの生態系が誕生し食物連鎖が起こっていた。しかしこれはまだ地獄の予兆に過ぎなかった。ダークパレードの来た方角からすぐそこまで洪水が迫っているのだ。
「鉄砲水だ! 逃げろ逃げろ逃げろ!」
「逃げろってどこにだよ!」
住民たちは取り乱しながら為す術なかった。前門のスカラベ後門の恐竜。もはや袋の鼠である。
するとハートハザードに動きがあった。
「こうなれば陽動は無意味。帰投する」
「同じく亀頭しますんこ」
ヌッとマッシュパッカーも亀のように首を伸ばしてナナセに同意した。
「てめェ、逃げんのか?」
キンタロウはそのふたつの背中に問うた。
「逃避ではない。撤退だ」
「ものはいいようだな。それで、あんた名前は?」
キンタロウは律儀に尋ねた。
この男は意外とそういうところがある、とアルコは思った。
すると二丁拳銃をホルスターに仕舞いつつ、彼女はキンタロウを一瞥してから答えた。
「ナナセ。橋本七瀬」
ナナセはそう答えると、数万羽の吸血蝶に紛れながら晩秋の紅葉のように立ち消えた。マッシュパッカーのほうはいつの間にか、へのへのもへじの張り紙の貼られた椎茸の原木に代わっており影も形もなかった。こうしてハートハザードの二人は尻尾を巻いて逃げたのだった。
閑話休題、四面楚歌である。
15メートルを超える高波が街を飲み込み始めていた。ティラノサウルスと女王スカラベは人間団子とともに濁流に飲み込まれた。そのビッグスケールの光景を見上げながらキンタロウとアルコはどうしようもないというふうにお手上げ状態だった。あとは自分たちも高波にさらわれるのを待つのみである。
そう覚悟を決めていた、まさにその次の瞬間――ピシピシピキン! とそこで波がうねったまま凍った。水の中の気泡から数多の手のような波の先端に至るまでが瞬間的に時が止まったように凍っていた。そんな透け感のある波の先端にスタッととある人物が舞い降りた。
「おはよう。おやすみ。はじめまして。さようなら県」
その人物というのもはばかれるほどに神々しく性別不詳だった。それは朱い竜面を被っていることも原因のひとつなのだろう。前髪の短い天然パーマと赤い瞳。薄い赤色の羽衣をひらひらと纏っており、一瞬天使かと見まがいそうになるが拘束衣を着ていることでそれを綺麗に打ち消している。
その朱い竜面は言う。
「やっぱい、この星の空気は汚えっすなぁ」
「誰だ、おめェ?」
「ボク様?」
疑問を呈するキンタロウを見下げるようにそいつは答えた。
「ボク様はね、超天才
「竜使……?」
「そっすおっす。この超天才ツクモちゃんと一緒に遊ぼうぜ、村人A」
ツクモと名乗った人物はキンタロウをからかうように挑発した。竜面を被っているのでツクモの表情はうかがえない。
「村人じゃねェよ」
キンタロウは眉根を寄せて答えてから今度は逆に問う。
「なんだ、そのどっかで見たような仮面は?」
「ボク様の
「ズメウだと?」
キンタロウは聞き返したがツクモはそれ以上は答えるつもりはないらしい。しかしこの際キンタロウはそれはどうでもいいというふうに割り切って別の質問に移る。
「これをやったのは全部おまえの仕業なのか?」
キンタロウは目線で街を見回したがそこはもはや街とは言えないような惨状だった。
「ツゥーックックック。さあ、なんのことでぇ?」
とぼけるツクモに対して手を合わせて祈る大衆もいたがアルコは本能的に味方ではないと感じていた。もっとそれ以上の災厄。たとえ神だとしても死神だろう。
すると赤い羽衣がうねらせながら竜面を上にずらすとツクモは冒涜するように小さな口からベェーッと真っ赤な舌を突き出した。その舌の上にはなぜか指輪が転がっており唾液もあいまって光って見えた。もっとつぶさに観察するとその指輪には竜の紋章が刻印されている。そして竜の指輪をツクモは舌の上で弄ぶと、突如竜の紋章からプクゥーと黒い球体が生み出され、ボワンボワンと球体はガム風船のように口許で踊った。ツクモはそれを特徴的な前歯と八重歯で噛みちぎると黒い球体は空中をふわふわと綿毛のように漂った。
ツクモは竜の指輪を舌の上で転がしながら言う。
「菌と和解せよ」
その次の瞬間、プトラプテスの地上の人々は息を呑むことになった。なぜなら砂漠地帯の上空から超巨大なキノコ雲が迫っていたからである。
「そんな……ありえません」
アルコは信じられなかった。というのも上空からプトラプテスに入国する場合は周辺の砂漠地帯の独特な気流を読み迷路のような暴風陣を突破しなくてはならない。地上から入国する場合は過酷な砂漠地帯を超えなくてはならずプトラプテス王国は自然の要塞なのだ。
するとツクモは竜面の下で無邪気に笑う。
「ツゥーックックック。おいでやす」
「まさか世界竜を招き入れたのは……」
そうアルコが気づいたときには超巨大キノコ雲はプトラプテスの国境を大きく跨いでいた。超巨大キノコ雲から雪のような胞子がちらちらと降りはじめた。その雪を見慣れていないプトラプテスの住人たちは時を忘れたように心を奪われた。しかしその雪に触れた瞬間、竜鱗のような疱瘡をボコボコと発症してそれを吸い込んだが最後肺を容赦なく冒した。目がひどく充血して疱瘡がブチュッと弾け皮膚細胞に広がり、鼻血が止まらず貧血にあえぐ者や喀血して気絶する者までいる。またたく間に自転車売りの少年や枯れた花屋の少女や八百屋のおじさんまで市井の人々に竜痘が感染爆発した。
「みなさん、雪に触れないでください! 建物内に避難して! こまめな換気を徹底してください。マスクのある方はマスクをしてソーシャルディスタンスを保って!」
アルコは必死に呼びかけた。
すべての菌が竜痘によって駆逐されていくとプトラプテス王国が真っ白に染まった。アルコにとっては生まれたときからの見慣れた光景である。こうしてアルコおよびキンタロウは世界竜と再び相対することとなった。カビルは雪の積もった背中をふるふると振って雪を落とした。
「先生はカビルを連れて傷病者を頼む」
「キンタロウは?」
「決まってらァ」
キンタロウは上空の波先にちょこんと立つツクモを見上げた。
「あの天パを叩き落とす」
「わかりました」
アルコは頷いてから、ツクモをキンタロウに任せてカビルとともに国民たちの救助に向かった。
「ひどいなぁ。ボク様の髪型をいじるなんて」
すると当のツクモは天然パーマを気にしているのか羽衣を櫛のように変形させて自身の金髪を撫でつけていた。
「よし決めた! 殺そ。そうしよう!」
ツクモ会議が閣議決定した――その次の瞬間、高波の上から忽然とツクモの姿が消えた。そしてキンタロウの背後へと回り込み、ツクモの羽衣が蛇のようにあるいは竜のようにキンタロウの首筋へと絡みついた。
「あの一瞬でこの距離をどうやって移動しやがった?」
「知りたいっすか?」
「ああ。知りたいぜ」
キンタロウは強がるように笑顔を引きつらせた。するとツクモはツクツクボウシのような笑い声を上げながら答えた。
「それハネ、この四次元の羽衣も使ったのっ」
「四次元の……羽衣?」
「ツククク。うそ」
「……おい」
「間違えた。『うそ』じゃなくて『そう』って言いたかったんだ」
「嘘つけ」
キンタロウは呆れたように言った。
「だからさ、ボク様は三次元的な
どこかつかみどころがないように管を巻くツクモ。
おそらく生きている次元が違うのだろうと思いながらキンタロウはひとつだけ質問を投げた。
「で、おまえさんは三次元にいるのか?」
「うん。ボク様はここにいる」
「きひひ。そうか。だったら問題ねェ」
キンタロウは皮肉な笑みを浮かべた。そうしてブワァーッオリオリーッと麹菌がしっちゃかめっちゃかにとっ散らかった。キンタロウの首を絞める羽衣を菌圧で吹き飛ばし、背後のツクモを圧倒的な菌量で包み込む。たとえ獲得者でなくとも視覚化できるほどにグロテスクな見た目をしていた。まるで全身に蜂蜜を塗られて虫にたかられるようなハニートラップである。
「有機物として存在しているのなら発酵するってことだ」
「ひょっとしてボク様をいただきます?」
しかしツクモはたいして動じていない。並みの人間ならば気が狂ってもおかしくなかった。
「ちげェよ。喰らうのはおまえのほうだ」
キンタロウはそう言ってツクモから距離をとり振り向きざま拳を構えた。左手を右胸に添えて麹菌が右拳に集約すると、キンタロウは菌まみれのツクモめがけて菌だらけの拳を突き出した。
「麹菌――《アスペルギルス・オリゼー》!」
菌を纏いし拳がツクモにヒットすると、麹菌がはじけ散った。にもかかわらずそのあまりの手応えのなさにキンタロウは違和感を覚える。すると案の定ツクモは四次元の羽衣でキンタロウの拳をやさしく包み込むように受け止めており、ダメージを受けている素振りもない。その和紙のように薄い羽衣は破れる気配もなかった。
「残念でした。ちっとも効かないぜ」
それからツクモは羽衣でねじるように自分の全身とキンタロウの拳から麹菌を根こそぎ取った。そして掻き集めた麹菌を羽衣で圧縮するようにギュッとくるみ固めてから黄色い球体を作るとそのまま宿主に突き返した。
「
羽衣に乗った黄球はキンタロウの腹部に命中した。押し当てられた菌球は蠢きながらキンタロウの腹を食い破らんとするほどの威力だった。
「ガハッ!」
それをまともに食らったキンタロウは受け身もとれないまま後方に吹っ飛ぶと、高波の氷壁にガコーンとぶつかった。女王スカラベとティラノサウルスの囚われた氷壁はビキビキと放射状にひび割れた。それからツクモはキンタロウに一気に距離を詰めると、拘束衣を来たままドロップキックをかました。キンタロウの体はくの字に曲がってさらに氷の壁にめり込んだ。ツクモはそれだけでは飽き足らずどういう原理かはわからないがプカプカと浮かんだまま回転を始めると、カーテンに隠れる子供のように羽衣を巻き込み、即席のツクモドリルはキンタロウの
「がああああああ!」
「ぐるぐるぐるぐる」
叫び声を上げるキンタロウに構わずにツクモはワニのデスロールのように回り続ける。キンタロウの体はだんだんと氷壁の奥深くへとめり込んでいき、簡易的な洞窟ができあがっていた。それを無慈悲に女王スカラベとティラノサウルスが遠く冷めた視線で見下ろしていた。
雪が降るなか、やがて火起こし棒の要領の摩擦熱によって焦げ臭いにおいが立ちこめ始める。黒煙が上がり火の粉がメラメラと散り始めた。それほどまでにツクモドリルの回転係数はすさまじいものがあった。しかしただの摩擦でここまで火の粉が舞うものだろうか。
「いや、こいつは……」
まさにそのとき、キンタロウの疑問とともに背後の氷壁がじんわりジュワァッと溶け始めるのを感じた――刹那、ダムのような氷の中でボワッと一気に発火した。かと思えば、シュルルルーッと燃え盛るなか細長い物体がツクモの小柄な体躯に巻き付いた。それは燃えた包帯だった。
「なんだぁ~?」
ツクモは戸惑いの声を上げてデスロールが停止すると、火葬されるミイラのように全身を赤く燃えた包帯に包まれた。包帯は燃えた傍から再生してまた燃えてを繰り返していた。
キンタロウが背後を後ろ目で見やると、永久凍土から不死鳥のように蘇る人物がいた。
そして奇遇にもその人物にキンタロウは見覚えがある。初めて会ったときとはいたく違って包帯ははだけており背中には炎の翼が生えているが間違いないだろう。
「あんたはたしか忍者警察の……」
キンタロウが呟くと、全身ズタボロの満身創痍のその人物は答えた。
「本官はオシリス・フェニックスだ」
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