◎6
すこし時を戻そう。
キンタロウとツクモの一連の会話を影で盗み聞きしていた人物がいた。それは忍者警察考古学専攻のホコリである。とんでもない話を聞いてしまった。そう思いながらホコリは地下神殿で解読したヒエログリフ菌を思い出していた。
『原始の菌とは日ノ下に生まれる』。
「――とは、つまり星のことだったのです」
とそこで、ラライラライと何かが蠢く音がホコリの耳朶を叩く。
「ひひぃ。わたしは何も聞いていないのですぅ!」
必死に言い訳しているとホコリは異変を感じ取った。チャイナドレスのスリットの中に隠れてしまう粘菌と手を触れて接触しながらホコリは周囲の情報を受け取る。それは今までに感じたことのない不穏な気配であり乾いた風とともに現れた。
「何事なのです?」
ホコリの前方の瓦礫の祭壇にはとある遺体が横たわっていた。それはツクモの四次元の槍によって心臓を抜かれたアルコの亡骸である。アルコは綺麗なほど完膚無きまでに死んだ。三途の川を渡り、もうすこしで黄泉の国にたどり着く。
――はずだった。
しかしアルコの肉体が死んでからも体内の菌たちはまだ死なない。
するとアルコの胸のぽっかりと空いた穴に忍び寄る菌があった。その菌は奇妙にうねりながらアルコの胸穴に潜り込んだ瞬間、ドックン! と、カウンターショックを受けたようにアルコの胸が反り返るほど跳ね上がった。
肉体がそんなことになっているとは露とも知らずすっかり死んだ気のアルコはギッコンバッタンと三途の川を渡っていた。その途中、急に波が荒れて背後から黄金の清流が迫ってくる。しかしよく見るとそれは無数の菌で形成された波であり、潔癖症のアルコは声にならない叫び声を上げながら必死に逃げようとした。
「ひいい! 誰か助けてくださいー!」
それでも結局は千手のような黄金の菌の波にさらわれて、アルコはたらふく黄金を飲みながら溺れるように現世に引き戻されることと相成った。
ほどなくしてアルコは目を醒ました。
「あなたは誰……? 私は誰……?」
胸に手を当ててそっと自分に問いかけてみるアルコ。
しかし依然として心臓は動いていない。当然だ。心臓自体がもうないのだから。
「ちょっ、そこのあなただいじょうぶなのです?」
そう言って水色の髪をしたチャイナドレスの少女がアルコに近づいてきた。
「わたしは忍者警察のホコリです。今、お医者を呼びますので動かないでなのです」
「あの……私もいちおうドクターなんですけれど?」
正確には医者の卵だけど。アルコは心の中で注釈を入れつつも、目の前の少女を見て違和感を覚える。アルコの胸のぽっかりと空いた胸の状態を見れば普通ならばもう助からないことはわかりそうなものだった。
「違ったらすみません。もしかしてホコリさん、目が見えないのですか?」
「はいなのです。でもネンちゃんたちがいるので心配なさらず」
「ああ、なるほど」
人間と菌の新たな共存共生の形だった。
そして私も、とアルコは半身を起こしながら思ったのち言う。
「なので医者は間に合っています」
「そうなのです。本当に?」
なぜ一度は確実に死んだはずの私は生きているのか。実はその答えをアルコは内なる菌から教えてもらって知っていた。見えない目で疑うような視線を向けるホコリを安心させるようにアルコは右胸の菌臓に手を当てて答える。
「今現在、私の右胸の菌臓が心臓の代わりになっています」
それはつまり女王スカラベの忘れ形見である
女王スカラベの遺志によって人間への恩返しを任された木乃伊菌だったが菌は人間個々人の区別などほとんどついていない。それは人間側も同じ種類の菌の区別がついていないように。そこで誰かと勘違いしたのか、木乃伊菌はアルコの死体に感染して蘇らせたのだ。
「でも通常はひとつの菌臓に着床できる菌は一種のみのはずではないのです?」
ホコリのいい質問にアルコは真摯に答える。
「はい。本来そのはずですが奇跡的なことに木乃伊菌と酒精菌が手を取り合いました。それは宿主の死に際して共倒れになることを避けるべく、先住菌である酒精菌は木乃伊菌を半ば仕方なく受け入れざるを得なかったのでしょうね」
あるいは私のことをただ助けたかっただけなのかもしれないと考えるのはいささか
「サンキュー。私の魂の友よ」
そうして胸をまさぐったところでアルコは砕け散ってしまった王室の証である竜呼びの笛を失ったことを嫌でも再認識する。先祖代々受け継いできた大切な家宝の笛なのに今や吹き込み口はひとつしか残っていない。
「あああああああああああああああああああああ――オーマイガッ!」
アルコは慟哭した。
そんなアルコの様子にホコリはびっくりする。
「ちょっ、急にどうしたのです?」
「いえね、とっても大切な青い笛が壊れてしまって」
「青い……それって綺麗なのです?」
「はい。見た目もさることながら音色も素敵なんです」
「そうなのです。それはぜひとも聴きたかったのです」
しかし二人して落ち込んでいる暇もなく、獣のような咆哮が聞こえた。かと思えばパチャンッと水のはじけるような音がする。そちらを振り向くと、カビルが吹っ飛ばされているところだった。それを行ったのがツクモではなかったことにアルコは衝撃を受ける。
もしやあれは……。
「キンタロウ……?」
その見覚えのない変わり果てた姿にアルコの心拍数というか菌拍数はドッと上がった。どうにかして正気を取り戻させなければと瞬時に思う。
しかしどうやって?
病気でも怪我でもない者の治し方などわかるはずもない。教科書には載っていない。
アルコが頭を抱えていると突然空からコテンととあるものが降ってきた。地面に落ちたそれを見てアルコは驚愕する。なぜならそれはアタッシュケースの中に収められており、教会とともに消し炭になったはずのものだからだ。それは蒼い竜面だった。アルコは不気味に思いながらも目の合ってしまった蒼い竜面をおっかなびっくり拾い上げる。
カビルが持ってきたのか?
いやそんな素振りはなかった。それとも鳥の類いか? もしくは神風か?
あるいは――
「……竜お爺さま」
アルコは空を見上げてから思いを受け取ったように長い足を上げて走り出した。制止するホコリの声も振り切って全力疾走する。
そしてボロ雑巾のようなツクモに青黒球を放射しようとしているキンタロウのおぞましい顔面凶器に向けて、アルコは蒼い竜面を思いっきり押しつけた。
「人に戻ってきて。あなたは人よ――キンタロウ」
その瞬間、キンタロウはツクモの天パから手を離して必死に苦しみもがき始めた。竜面を取ろうと暴れ狂い、のたうち回った。しかし完全にキンタロウの顔面と竜面が癒着しているために取ることは叶わない。ついにはキンタロウは自らの顔面ごと竜面を打ち砕こうと自分で自分の顔を殴り始めた。そして蒼い竜面にビキビキとひびが入り始める。
「もう自分で自分を傷つけるのはやめてください!」
それを見かねてアルコがキンタロウを強く抱きしめると、キンタロウは動きを止めて呆然としたのち脱力した。それからアルコにもたれかかるように体重を預ける。するとキンタロウの顔から蒼い竜面は外れてカランと地面に転がり真っ二つに割れた。そして肝心のキンタロウは元の人間らしい顔つきに戻っていた。
「ツゥーックックック。
ツクモは
「ったくよぉ、やってくれるぜ。おもんなすぎてカビ生えるっつーの」
しかしどこか晴れやかな表情のツクモだった。
そして一転陰湿に続ける。
「ボク様を殺したところで無駄さ。だってボク様は一個の菌に過ぎないのだから。一人を殺しただけでは人類を絶滅させたことにはならないのと同じ理屈なのさ。ひとつ摘み取り損ねたらまた蔓延るでしょうが」
個で見るか種で見るか。
それはミクロとマクロの差であり視点の違いなのだろう。
「圧倒的な数の前では個なんて無意味だ。世界の
「そんなことありません」
アルコはキンタロウをツクモの隣に寝かせながらゆっくりと首を横に振った。
「この星であなたと出会ったことに意味があります。だからどうか生きることを諦めないでください。ツクモさん」
アルコはツクモをひとりの怪我人として扱った。はじめてひとりの人として扱われたことにツクモは素直に驚いた。
「馬鹿だねぇ、人間ってヤツはどうも……」
朗らかにツクモが言ったところでキンタロウが意識を取り戻す。
「俺、どうなってた……? 先生がいるってこたァ……ここはあの世か?」
周りの状況を飲み込めないキンタロウを馬鹿にしたようにツクモは見る。
「おみゃーのことを村人Aだと思ってたのが、ボク様の敗因なのだ。菌にもひとつひとつ
「それはどういう……」
アルコは首をかしげる。菌の真名とは学名と何が違うのだろう。
もしも我々人間と同様に菌一個一個にも固有名詞があるのだとすれば?
それはなんというか雪の結晶のようでいて……とても宇宙的だ。
実は私たちのごく身近に宇宙は存在しているのかもしれない。
「おみゃーにこの病んだ世界が救えるかい?」
ツクモはひとりの医者の菌に問うた。
「生きとし生けるもの、死にゆき死ふるもの。それがおみゃーに決められるんかい?」
「…………」
「答えは否さ。生きるか死ぬかをひとりの手で操ることなんてできないんだ」
「……ツクモさん」
ツクモは胸の辺りをごっそり欠損しており普通の人間ならば生きているわけがない状態だった。しかし
「ボク様のことは諦めな」
ツクモは言う。
「死ぬ権利があって、初めて生きることができるんだからよ」
「それでも生きなければ、生きなければなりません。
「ツゥーックックック。だからさ、ボク様は生きるために死ぬことにするよ」
そんな今際の際のツクモはアルコの手を慈愛を込めてやさしく包むと微笑む。
「さようなら
ツクモは最後の力を振り絞り、羽衣で朱い竜面をカランと外した。薄い羽衣の隙間からのぞくその素顔は端正で麗しい。隠しておくのがもったいないほどだった。しかし、そのご尊顔も玉手箱を開けたようにすぐにシワシワに年老いてしまう。
そのままツクモは永眠した。
「この竜面が生命維持装置の役割を担っていたんです」
地球外生命体であるツクモの肉体は地球の大気に適応していなかったのだろう。
アルコはまた救えなかった。
悔しさを噛みしめながらアルコは白衣をツクモにかけて弔った。
キンタロウもまた新たな名前をその胸に刻んだ。
「命のやりとりをした仲だ。おまえのことは忘れねェよ。ツクモ」
アルコから見てもこの竜使は終始つかみどころがなかった。
ツクモさん、竜使という肩書き云々ではなくあなた個人はどういう気持ちで地球を侵略していたのですか。世界竜を殺して竜痘まで作って。
ツクモはキンタロウに自分のことを殺せと言っていたが本当のところは止めて欲しかったのではないだろうか。いっそのこと自分を殺させて計画を水の泡にしたかったのでは?
そこまでしないと止まれなかったのかもしれない。竜使とは自由に見えて不自由を抱えた生命体なのかもしれない。
しかしそのアルコの問いに答えることができる者はもういない。
かくして竜使との血で血を洗い、菌で菌を冒す死闘は終わりを告げた。
キンタロウは固い地面に寝そべったままアルコを見つめて笑う。
「あんたもしぶといな」
「褒めてもアルコールと防腐剤しか出ませんよ?」
「皮肉だよなァ」
お互いに胸に風穴が空くほどの死線をくぐり抜けたのだ。といってもキンタロウの右胸は完全竜化の際に塞がり、アルコの左胸のほうも木乃伊菌によって塞がりつつあった。
「でもそれを言ったらお互い様じゃないですか」
本当お互いに運というか菌がよかったとアルコは思った。
「まあ俺はあんたの竜玉菌喰っただけだけどな」
「え!? だけだけどなぁ!?」
それで済ませるのか、この男。
心臓だけでは飽き足らず竜玉菌までなくしてしまったアルコだった。一度死んで竜玉菌が抜けるとともに竜痘が寛解したのは怪我の功名というものだったが、いざ寛解すると本当に死んだみたいでショックだった。人間の気持ちというのは複雑怪奇なものだ。今の私は魂の抜け殻で病気にもなれず余命もある意味底知れない。
「私の竜玉菌かえしてください」
「無茶言うな」
「そもそもどうして何でもかんでも口に入れちゃうんですか! 子供じゃないんですから!」
「ごもっともすぎてなにも言えねェわ」
とそこで、ドックンとキンタロウの胃袋の中で奇妙に蠢く感覚があった。せり上がる気持ち悪さを感じてキンタロウは毛玉を吐き出す猫のように四つん這いの態勢になる。胃液と唾液の交じった酸っぱいものが口内に広がる。
「キンタロウ、どうかしたんですか!?」
アルコは慌てたように心配げな声を上げた。
「まだ終わってねェ」
そう言ってキンタロウはツクモを見やる。その気持ち悪さの正体、それは赫く光った竜の指輪の人差し指がツンツンとキンタロウの胃壁をつつく感触だった。
その人差し指は白衣のかけられたツクモの遺体を指差していた。
「え? でもツクモさんは完全に亡くなっていますよ」
「ああ。ツクモはな」
キンタロウはツクモの遺体の下腹部に目を滑らせた。
「だがツクモだけじゃなかったんだ」
「まさか」
アルコもツクモの遺体を白衣の外から検分した。するとツクモの腹部が白衣越しに膨らみ蠢いているのが見て取れる。
「これはいったい」
アルコが恐る恐る白衣を剥ぎ取る。すると驚くべきことに拘束衣に締め付けられていたツクモの腹部がパンパンに張っているではないか。アルコは慌てて懐から取り出したメスで拘束衣の黒いベルトを切り裂くと、青い血管が透けるほどに張り詰めた腹部が露出した。
ツクモのおなかに聴診器を当てると小さくもビッグバンのような心音がたしかに聞こえる。
「妊娠……している?」
しかもこれはおなかの大きさから見て
アルコはレオポルド触診法でツクモのおなかをしきりに触って胎児の胎位や胎向を推測する。まさにそのときだった。満月のようなおなかが大きくうねり二翼を形作ってアルコの手を鋭いクチバシが啄んだ。
「キャッ!」
アルコは反射的に手を離した。しかし、その次の瞬間には真っ赤な嘘のリンゴのようにすべすべとしたおなかに戻っていた。
めちゃくちゃ不気味だが迷っている時間はない。
このままでは死産になる。
「本当に産ませていいのかよ?」
横合いからそんな疑問がアルコに投げかけられた。
たしかにキンタロウの言わんとしていることはわかる。死んだとはいえツクモは超超危険人物でこの地球外から来た侵略者だ。
その子供を助けていいものか。
助ける? 助けない? 助ける? 助けない? 助けない? 助けない?
助けない……なんてない!
「私は医者です」
目の前の命に対してしてあげられることは全部やる。私はもう死んでいる。黒タグをつけられても文句は言えない。でももうすでに死んでいるのだから既存のモラルなど知ったことではない。ただただ生きようとしている命の前で正直でありたかった。だってこの世に罪を背負って生を
「ただいまより緊急帝王切開術を始めます。キンタロウ、目覚めたところ悪いですが手伝ってくれますか?」
「きひひ。あたぼーよ」
キンタロウは笑顔で答えた。
「ではさっそくキンタロウ、大量のお湯を沸かして清潔なタオルを集めてきてください」
アルコがそう指示を飛ばしたところでカビルが現れると、その透明な口には白いタオルが咥えられていた。
「カビル」
キンタロウはカビルの顔を撫でると自身のおでこを合わせた。
「よし、じゃああとは大量のお湯だな」
キンタロウが言うとカビルは今度は自分を使えと言わんばかりに小突く。キンタロウはその思いをいち早く汲み取る。近くの民家から鍋を借りると、カビルの透明な体に侵襲してチャプンとカビルの血液とも言える水を汲んだ。そして戦火の火を焚きつけとして使い、その辺の石片を組み合わせて作った即席の
「いちおうこっちの準備はOKだぜ、先生」
「ありがとうございます。あとは私に任せてください」
アルコは自身の酒精菌で医療道具をアルコール消毒したのち、医療用手袋を嵌め直した。実は医師免許も持ってはおらず産婦人科医でもない自分に救えるのかどうかは正直わからなかったし、自信もない。けれどここでツクモの赤ちゃんを取り上げなければならないのは自分なのだと強く宿命づけられている気がアルコはした。
それにこう言っちゃツクモに悪いが、母体への負担を考えなくていいのは助かった。必ず赤ちゃんは助けるのでこんな未熟な私をどうか許して欲しい。
「今回の施術は横切開でいきます」
アルコはなめらかなツクモの下腹部にメスをやさしく押し当てると、横にスゥーッと滑らせた。真っ赤な血液が滲み出てるなか
「――ッ!」
同時にアルコの体も一気に黒い炎に包まれた。
「先生!」
「私の体が燃えるくらいどうってことありません! それよりも今は赤ちゃんの身の安全が最優先事項です!」
鬼気迫るアルコにキンタロウは気後れする。しかしそれに構わず、アルコは身が
それは二度と経験することはないだろうこと請け合いの衝撃的なお産だった。取り上げる際アルコはひどい火傷を負ったが木乃伊菌のおかげで大事には至らない。
それよりも今は炎に包まれた赤ん坊が問題だ。まだ泣いていない。つまり息をしていないということだ。それも当然。火の中で呼吸できるはずがない。
「キンタロウ、産湯!
「お、おう」
ものすごい形相のアルコに言われてキンタロウは産湯を準備した。その産湯にアルコは燃える自分の手ごと取り上げた赤ん坊を浸けると、ジューッと熱した鉄のような音が鳴り鎮火した。赤ん坊の頭や顔にもお湯をかけて様子を見る。
すると一拍置いてから――
「オンギャーッオンギャーオンーギャーンオンッギャーオンギャーッウン!」
戦場に赤子の泣き声が木霊した。
それはマントラのようでありお経のようでもあった。不思議と心が落ち着くような響きで太陽が祝福するように赤子を照らした。
アルコは清潔な純白のタオルで産着をこさえ、燃えるように赤く小さな体をやさしく包むと、赤ん坊はパッと泣き止んだ。
「ツクモさん、あなたの赤ちゃん無事に産まれましたよ」
返事こそなかったものの遠い空から見ているだろうとアルコは思った。
とそこで思いがけず気づいたことをアルコは口にする。
「この子、男の子です」
「ふーん。おめでとさん」
キンタロウは感慨深く言った。
しかしアルコは冴えない顔で困惑したように続ける。
「いや赤ちゃんのほうじゃなくて……この妊婦のほうが性染色体XYなんです」
「もっとわかりやすく言えよ」
「ですからツクモさんは遺伝子的には男性なんです」
「なんだって?」
キンタロウは逡巡するようにツクモの遺体に手を合わせたのち、黒炎の残り火で燃える局部をためつすがめつ確認する。
たしかにアルコの言っていることは間違っていなかった。
「つーか今さら気づいたんか? ゾンビ先生?」
「ゾンビじゃなくてミイラですから」
アルコは即座に訂正した。
このふたつは似て非なるものだ。
ゾンビは腐っているがミイラは防腐処理されているので清潔なのだ。
アルコの自己弁護終わり。
「いや、私も帝王切開する前から気づいてましたから。ただ……」
「ただ?」
「実際に見たことがないので自信が持てなかっただけで……」
アルコは赤ん坊よりも頬を赤らめる。
「こりゃ医者への道のりはまだまだ長げェな」
キンタロウは肩をすくめてそうまとめた。
それから透き通るように近寄ってきたカビルにキンタロウは礼を言う。
「ありがとうな。カビルのおかげで誰かさんみたいにゾンビにならずにすんだぜ」
「ですからゾンビじゃないですって!」
ゾンビのように腐った目を向けるアルコだった。
姿形は変わってもカビルはカビルだった。気配りができて清い心を持っている。
アルコはカビルともっと一緒にいたかったし、キンタロウもきっと同じ気持ちだろう。むしろキンタロウのほうが過ごした時間は長い家族である。
しかし別れはいつも突然だ。
突如、何の前触れもなくカビルの横腹を食い破るように巨大な影がさらった。それはアルコも見覚えのある艦だった。ハートハザードの所有するタツノオトシ号である。カビルは風鈴のような声を発しながらタツノオトシ号の艦首のおちょぼ口につままれた。
「カビル!」
キンタロウは叫び、アルコは反射的に身を挺すように赤ん坊と艦との間に半身を入れる。
長い龍のようなタツノオトシ号の艦体が駆け抜けた。刹那、丸い覗き窓の中にはハートハザードの面々が立っていた。
そしてその中にはキンタロウの妹のセツがいた。
「セツ」
目を見開いたキンタロウとセツは約一ヶ月ぶりに目が合った。
コマ送りのようにスローモーションに見えて、この時間が一生続くかに思われた。当然セツも気づいていたはずだったが、兄とは対照的にその口許はほころんでいる。
「バイバイ。おにぃ」
そう一言だけ別れを告げていた。
一方のリューリのほうは赤子を抱いたアルコを一瞥したのみだった。
それはまさしく刹那の邂逅であると同時に、永遠の惜別も暗示していた。
「セツナヒ――」
キンタロウが呼びかけようとした次の瞬間、カビルを中心に水の竜巻が立ち上がった。タツノオトシ号とは水壁によって分断された。そのまま水は巻き上げられると、空に大海が広がりまるで空と海がひっくり返るような光景である。その空海に昇り潜ったカビルを追って竜巻の螺旋を描きながらタツノオトシ号もザブーンと青い海に消えた。
キンタロウと赤子を抱いたままのアルコは心の行き場を見失っていた。
そんな二人を明日へ導くように、あとの空にはひときわ大きな虹が架かっていた。
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