◎4

 よもや原形を留めていない戦場と化した噴水広場。

 キンタロウは黒刀を握って佇んでいた。ちょうどそのタイミングで地下神殿から粘菌とともになんとかホコリが這い上がってくる。


「ドラのすけ、許すまじ」


 するとそこで突如、氷漬けにされていたティラノサウルスの氷河期時代が終わりを告げた。ティラノサウルスはいまだ半身を覆っている氷を力尽くで蹴り砕いてから、野太い咆哮を上げた。その噴水広場の全員が耳を塞ぐなか、ティラノサウルスと同じ目線の高さのツクモだけが微動だにせずにいた。


「うるさしね」


 ツクモがそう呟いて手を振り上げたのちサッと振り下ろした――瞬間、超巨大キノコ雲から青い火柱が立ち、ティラノサウルスの大きな脳天を貫いた。氷河期から一転、地獄の業火に包まれたティラノサウルスはあえなく撃沈される。骨格標本のように骨だけとなりその場にカラカラと乾いた音を立てて落ちた。その光景に目の見えないホコリが自らの目を疑っているとツクモはキンタロウを見下ろした。そして今度は左手でバッドサインを作る。


「燃えろよぉ~エロエロもえ~」


 次の瞬間、鉄槌のような青い火柱がキンタロウに襲いかかった。キンタロウは黒刀を構えて受けたが足が地面にめり込むほどの衝撃を喰らった。そこら辺の刀では受け止めきれなかっただろう。しかしそれも長くは続かない。黒刀が柄まで真っ赤に灼熱してキンタロウの手を焼き焦がそうとした――まさにそのとき、キンタロウの真上にビニール傘のように巨大な影が現れた。その透明な影の正体は竜だった。丸いリングの翼が生えており、その間には虹が架かっている。光学迷彩のように世界に溶け込みつつも圧倒的な存在感を放っていた。


「にゃにもんや?」


 鼻白むツクモ。

 それをよそに透明な竜の背中に見知った人物が乗っているのをキンタロウは発見した。


「お待たせしました、キンタロウ」


 それはアルコだった。キンタロウが度肝を抜かれているとアルコの乗っている透明竜は口先に青と茶と白のマーブル模様の自然エネルギーを球体に溜めて、それから一気に吐き出した。青い炎とマーブル模様のブレスがぶつかるとまばゆい光を発して小さな太陽となり、プトラプテス王国全土を照らした。


「先生、あんた何に乗ってんだ?」

「キンタロウ、わかりませんか?」


 アルコに問い返されてキンタロウは改めて透明竜の横顔を見やるとハッと思い当たる。


「もしかして、カビルなのか?」


 アルコが無言のまま肯定すると、キンタロウは感慨深そうにカビルを見つめた。すると世界竜の青い火柱とカビルのアースブレスの拮抗が破れ、カビルのアースブレスが押し始めた。その幻想的な光景を目の当たりにしながらキンタロウは思い出して呟く。


「『混沌の空に救世主出ずるとき、青き太陽が昇る』――か」

「なぜそれを……?」


 その伝承にツクモは過剰に反応する。

 するとあっけらかんとキンタロウは答えた。


「竜爺が言ってたんだよ」

「竜爺……? いや、まさかな」


 ツクモはブツブツ言いながら竜面のあごに手を当てて思考にふけっていた。

 とそこでアースブレスは青い炎を押し込めてさらに超巨大キノコ雲を貫通すると吸い込まれていく。もこもこの白い泡に高圧洗浄機を当てたかのように超巨大キノコ雲にぽっかりと穴が空いた。

 そしてその雲間からついにこの世界の病巣である世界竜が姿を現した。長い首から長い尻尾までは優に100メートルを超える。トカゲのような口からは鋭い牙が数え切れないほどのぞき、背中から生えた翼は標本のように骨しかなく翼膜はなかった。しかしそれは些細な問題だった。それよりも問題なのは世界竜が一頭ではなかったことである。それはこの世には存在しないような色の黒竜と白竜だったのだ。

 アルコはその事実に絶望した。


「世界竜は一頭じゃない……?」

「なに今さら言ってんの? ウケる~」


 ツクモは手を叩いて笑うがアルコは笑えなかった。


「まあでも本物の世界竜はもういないけどもね」

「それはどういう意味ですか?」

「そのまんまの意味だよ。パツキン」

「あなたもブロンドでしょう」


 アルコが眉をひそめると続けてツクモは驚きの真実を口にする。


「っつーのも、本物の世界竜は闇菌が喰っちゃったからサマンサ」

「なんですって?」


 よくよく世界竜の体表を見ればなにやら蠢いており微生物の集合体のようだった。まるで小魚の大群のようなベイト・ボールである。


「世界竜には尊い犠牲になってもらった。竜痘をばらまき人類を滅ぼすためのね」

「なぜそこまでして」


 アルコの究極の疑問には答えずにツクモは透明な竜をその目に映す。


「その幼竜も親子ともども闇菌漬けにしてやるつもりだったんだけどね。まさか落雷と一緒に地上に落とすとはね。竜は我が子を地獄に突き落とすらしい」


 ケタケタとツクモは笑う。


「それがまさか向こうから来てくれるとはね、探す手間が省けたっち」


 ツクモの話が本当だとすれば。

 アルコは竜騎乗から自らの乗っている地上が透けるほど透明な竜を見下ろした。それから闇菌のまとわりついている二頭の竜骨を仰ぎ見た。一頭は黒くカビてもう一頭は白くカビていた。


「あの世界竜はカビルのお父様とお母様ってことですか」


 すると突如アルコの胸元の竜呼びの笛が激しく反応し、青く発光した。この笛は竜の喉仏の骨で作られたものだ。お骨になってもなお竜は生きているのかもしれない。ならば目の前の世界竜も闇菌から一刻も早く解放してあげなければならない。そして何よりもカビルのカビパパとカビママなのだ。

 そんな人の情を垣間見せるアルコにツクモは冷たく突き放すような言葉を浴びせる。


「竜呼びの笛で幼竜を服従させていい気になっているかもしれねえが残念でした。このツガイの世界竜はもうすでに死んでいる。だからその竜呼びの笛で操れねえんだな、これが」

「別に私はこの笛でカビルを言いなりにさせているわけでは……」

「本当にそうかね?」


 すると空中でアルコと対峙するツクモは四次元の羽衣の端を引っ張った。


「ほんじゃまか、試してみるっぺ」


 そして羽衣は花蕾のように螺旋を描きながら一本の槍と変じた。その槍の形状は風変わりであり四つ叉に分かれた穂は先端に向かうにつれて捻れながらひとつに収束していた。まるで傘を閉じたかたちのようである。


「《展開・四次元の槍》」


 ツクモが四次元の槍を握った――刹那、槍はマジックステッキのように消失した。代わりにそのツクモの右手には正確に時を刻み、脈打つ心臓が握られていた。ドッキンバックンと今にも手足が生えて動き出しそうなほど活きのいい心臓だった。


「《収束・心臓》」


 ツクモがそう言い放った――次の瞬間、アルコの胸にぽっかりと間の抜けた痛みが走った。アルコはパニックに陥りそうになるのを必死に抑えながら、落ち着けと心で思う。

 あれ、でも思う心ってどこにあるんだっけ? あれ、ひょっとして私、心どころか心臓がない? えっと誰か知りませんか? 誰か盗みました? 大変これでは生きるのに困ります。あっ、犯人はあなたですね。ツクモさん。謎はすべて解けました。これはマジックショーなんですよね。冗談きついな。さあお願いですからどうか私に心臓を返してください。


 アルコが自身の胸をまさぐりながら懇願すると慣れない感触に気づく。それもそのはずでふと見やればアルコの胸を四次元の槍が竜呼びの笛ごと貫いていたのである。映画のように愛用の笛が心臓を守ってくれるということも特段なかった。


「なんですかこれ」


 アルコは突然自身に生えた槍に戸惑いながらも生理現象として口から血を吐く。あまりの一瞬の出来事に頭の理解が追いつかない。しかし不幸中の幸いとしては心臓というポンプがないために出血が少ないことだった。それは幸いと呼べるのかどうなのか、アルコはもはやどうでもよくなっていた。

 ツクモは瞬間ワープさせたアルコの心臓を人差し指の先で回転させて弄びつつ、満足げに眺めた。それからツクモは左手で指パッチンした瞬間、四次元の槍が左手に収められる。続けてスピアとアルコハートをンッ! と、合わせるとアルコの心臓は消失した。そして二度と持ち主の元に返ることはなかった。自分の心臓の行方をアルコは無感情に見届けてからカビルから落竜した。


「先生!」


 地上のキンタロウは黒刀をその場に突き刺したのち、叫びながら落下地点に滑り込んでポジショニングするとアルコを受け止めた。しかし心臓一個ぶん軽くなったアルコの胸部をキンタロウは押さえることしかできない。


「キン……タロウ」

「なんだ、俺はここにいるぞ!」


 虚空を見つめるアルコの意識を繋ぎ止めるためにキンタロウは必死に会話する。


「どうしてキンタロウは医者でもないのに……私を助けてくれたのですか?」

「こんなときになに言ってんだ?」

「いいから、答えてください」


 アルコは血圧が一時的に上がったのか血を吐いた。

 キンタロウは訳もわからないまま渋々というふうに言葉を繋ぎ合わせた。


「医者じゃなけりゃ人を助けちゃいけないわけじゃないだろう。あんただってそうだろ? 医者じゃなかったら目の前で傷ついている人がいても助けないのか?」

「ふふ。助けないかも、しれませんね」


 私の場合は純粋な善意ではない。医者だから助けているだけなのだ。子供の頃、ホワイトエース先生に憧れて軽い気持ちで志してしまったが、実際は失敗の許されない命の現場。医者とはある種の呪いなのかもしれない。でも人を救いたいと思ってしまった。命を救う喜びを知ってしまった。日進月歩の医術の尊びに気づいてしまった。


「いいや、先生は助けるよ」


 キンタロウは力強く断言した。

 アルコは鼓動の無くなった胸に置かれたキンタロウの手を握りながら母親の遺言を思い出していた。


 ――本当に大切な言葉は『あ』から始まるのです――


 私の本当に大切な言葉は何だろうか。しかしアルコには考えている時間もなさそうだった。そしてアルコは辞世の言葉を口にする。


「あ」


 それがちゃんと伝わったのかどうかアルコにはもはやわからなかったが、キンタロウの顔を見て安心したように目を閉じた。アルコのきめ細やかな肌に青く浮き出た血管が根を張り巡らせると、顔面の竜鱗のようなカサブタは剥がれ落ちた。疱瘡が潰れると化膿した体液と血液の混じったものがドロッと噴きこぼれて蒸発し、ついにはアルコの手は力なくだらんと落ちる。

 キンタロウは膝立ちのまま俯きながらアルコの亡骸の前から動けずにいた。そんななかアルコの遺体の胸部からポコンと青白い竜玉菌が生成される。よもや通過儀礼のように見慣れたそのアルコの竜玉菌は超巨大キノコ雲へと吸い込まれていこうとした。


 しかしそこでなんとキンタロウはそのトクントクンと脈打つ竜玉菌をパシッと掴んだ。そしてあろうことかパクッと喰らってしまったではないか。


「竜に魂を売るつもりかよ。高く付くぜ、それ」


 ツクモは低い声で言った。

 しかしキンタロウは躊躇なく青白い竜玉菌をゴクリとのど越しよく丸呑みにした。その次の瞬間――キンタロウの全身の毛穴や汗腺からおびただしい量の青黒い菌が溢れだして竜巻が起こった。禁断の菌に手を出した手前、もう後戻りはできないキンタロウはみるみるうちに体に変化が訪れる。

 左の瞳の白目部分が黒く染まり虹彩は深青に色づくと瞳孔が縦に収縮する。灰色の髪が逆立ったかと思えば左前頭部から一本の蜃気楼のような角が生えた。左手の鋭い爪の指先から腕にかけて灰色の鱗が覆い、まるで竜鱗の手袋のようである。キンタロウの体から発生した青黒い菌が群れをなし縄張りを広げると、周囲のイナゴやゴキブリやネズミたちが急速にカビてグジュグジュと腐り落ち、土に還る。菌の竜巻が霧散するとそこには変わり果てた姿のキンタロウが立っていた。


「魂への感染経路を圧倒的な菌の量で封じ込めやがったのら」


 ツクモは興味深そうに観察していた。

 魂の質量と重さ。

 菌の質量と重さ。

 ドックン! ドックン! ドックン!

 ドッキン! ドッキン! ドッキン!

 キンタロウの心臓と菌臓の鼓動が体内でシンクロする。


「俺の全部喰っていいからよ、その代わり力を貸してくれ」


 瞬間、キンタロウは肉体を蝕まれ苦しみもがくと大量の菌が体を包み込んだ。

 人と菌の共鳴。

 人と菌の共存。

 人と菌の共栄。

 獲得者じゃない一般人でも可視化出来るほどの菌量と半端ではない増殖力で周囲を圧倒していた。キンタロウはアルコの亡骸を祭壇のような瓦礫の上に移動させてから地面に突き刺していた黒刀を抜き取る。すると青黒い菌が黒刀の刀身を覆い包み、煌々と燃え盛った。おそらくオシリスの火焔菌がまだ残っており、焚べる菌種によって炎色反応が変わったのだろう。そしてキンタロウは黒刀の峰を左肩に担ぐようにして上空を睨みつけた。


「まさか竜化できる人間がいるとハネ」


 ツクモはキンタロウの視線を受け止めながらも飄々と答えた。

 とそこでキンタロウの隣に水の滴る透明な竜が舞い降りた。キンタロウが言わずとも理解したようにカビルの首筋をさらりと撫でてからその背中に飛び乗った。それと同時に二頭の世界竜は青い炎のブレスを放つが、しかしキンタロウは剣圧で青い炎を切り裂いて突破してからカビルとともに飛び立った。

 ツクモは一時世界竜の背後に隠れるようにして下がると、四次元の槍の持ち手に腰掛けた。


「さあて親子の竜殺しでも見物しちゃうぞい」


 世界竜はカビルよりも比べようもないほどに大きくさすがは大人の竜という体躯をしていた。たとえるなら家猫と獅子だった。しかし数でいえば見物中のツクモをのぞけば二対二である。それに所詮は本物の世界竜ではなく、竜骨に寄生した菌の寄せ集めに過ぎない。父竜と母竜はひとつの生物のように絡まり合いながら青い炎のブレスを放射した。熟練のコンビネーションに見えるがおそらく菌同士で緊密な連携をとっているのだろう。いわば二頭はひとつのコロニーのようなものだ。


 キンタロウを乗せたカビルはドブネズミのようにプトラプテスの建物と建物の間を飛行して螺旋を描く青い炎をかいくぐる。途中干してある洗濯物や電線に引っかかった靴が提灯のように青く燃えて炭化した。そのままカビルは急上昇すると両親竜の前に躍り出る。


「今、楽にしてやるからな」


 キンタロウはカビルの背に立ち上がり青黒い炎を纏った黒刀を両手で構えた。瞬間、麹菌がブッシューと蔓延ると黒刀の青黒い炎が薪を焚べたように燃え盛った。二頭の世界竜は青い炎のブレスを吐くがそれに真っ向からキンタロウを乗せたカビルは突っ込む。黒刀の青黒い炎が青炎ブレスを徐々に浸食し、焼き斬りながらキンタロウは二頭の世界竜に漸近する。そしてその二つの首めがけてついに一刀を浴びせた。


火焔麹菌かえんこうじきん――《アスペルギルス・アッシュ》!」


 青黒い炎の斬撃に触れた瞬間、山火事のように燃え広がりそのまま父竜と母竜の首はメラホメラホボトッと焼け落ちた。しかしその二つの頭は地面に落下する寸前に、二頭の首の切断面から伸びた菌糸によって捉えられた。のみならず二頭の世界竜は溶け合うように合体するとさらに巨大な双頭の竜として生まれ変わった。半分は白でもう半分は黒の新たな世界竜が誕生して双頭は雄叫びを上げる。

 それを見てツクモはくつくつと笑う。


「せっかくいい線いったのに再生しちゃったね」

「チッ、ドラゴンゾンビじゃねェか」


 キンタロウは悔しがるように吐き捨てた。

 その次の瞬間、世界竜は先ほどの二倍の速度でカビルとキンタロウに近づくと、一本にまとめられたモノクロの尻尾ではたき落とした。さらに追い打ちをかけるように先ほどよりも火力の増した青炎ブレスを放つ。キンタロウが上空を見上げると青い炎が目と鼻の先まで迫っていた。しかし落下途中のためさすがにカビルも回避行動が間に合わない。そして上空からのバックドラフトのような青い炎を透明な翼でもろに受けて押し潰されそうになり、そのまま地面に叩きつけられた。カビルの透明な翼の水は飛散して覆水盆に返らず縮小してしまっていた。

 そんなカビルとキンタロウを憐れむように見下ろしながらツクモは高みの見物を決め込む。


「所詮地球に蔓延る黴菌男ばいきんおとこだね。これだから人間は……」

「なぜそこまでして人間を目の敵にする? 竜痘まで作ってどうして人類を滅ぼそうとしやがる?」


 キンタロウの心から吐き出すような疑問にツクモは冷徹に答えた。


「それは人間が菌の蒐集の邪魔だからさ」

「菌の蒐集?」


 キンタロウは首をひねった。


「菌の蒐集なんか勝手にやればいいだろ。そこに人間の生死は関係ないはずだ」

「ツゥーックックック。それが関係あるんだよなぁ」


 それからツクモは衝撃的な告白をした。


「だってボク様が蒐集している菌っていうのは――この地球という惑星そのものだからだもん」

「……なんだそれ」


 キンタロウは一瞬ツクモの言っている意味を理解しかねた。しかし特段暗喩でもなく素直に額面通りに受け取っていいのだとすれば、もしやと馬鹿げた妄想に行き着く。


「地球それ自体が……菌ってことか?」

「ザッツライト」


 ツクモは両手の人差し指でキンタロウを指した。

 地球にまだ酸素のない時代、約三十八億年前に海底の熱水噴出孔から最初に産まれた原核生物は超好熱菌である古細菌アーキアだと考えられてきた。その超好熱菌はシアノバクテリアへと進化する。太陽の光を受けて光合成し、二酸化炭素を酸素へと変えて今の地球の大気の下地を作っていった。大気圏上空にはオゾン層が発生して有害な紫外線を遮り空は青くなった。つまり今の地球の環境を作ったのは菌と言えるし、真核生物ユーカリオタの祖先もまた原核生物プローカリオタである菌なのだ。菌には地球の環境を変えてしまうだけの力がある。


 しかしその地球自体が菌なのだとすれば?


 それでもキンタロウは納得できないことがひとつだけあった。自身のパーソナリティにも地味に関係のあることだ。


「俺は獲得者だ。地球の声なんてもっぱら聞いたことねェぞ」

「いんや、きみは聞いてるはずじゃぽーん」

「は?」

「たとえ獲得者でなくとも耳を澄ましてごらんよ。風に揺れる木々や海岸の押しては返す波の音。魚が滝を登る音。虫が羽をこすり合わせる音。獅子が兎の首に牙を立てる音。骨が砕ける音。血が噴き出す音。雨が洗い流す音。種から芽が出る音。卵が割れる音。肺が膨らむ音。光が満たされる音。心臓が止まる音。涙が涸れる音。影が焼け付く音。音がなくなる音。きみの人生を含めた周りで起こる出来事すべてが地球の声なんよ」


 ツクモは風のような声音で涼しげに言った。


「でも待てよ」


 地球菌問題の真偽はさておくとして、キンタロウは重要な問題について立ち返る。


「地球が菌だとして、だからってなんで人間を滅ぼさなきゃならねェんだよ」

「それは自明じょ。人間が唯一地球から宇宙に進出することができる生物だからさ」

「…………」

「重力という自然の虫かごから脱走する虫けらみたいなものだよね。実際そんな虫けらいたら困るだろ? だから地球から人間全員を閉じ込めるか、全員殺すかどちらかの処理が必要なのよさ。それでコスト面やその他の惑星汚染の可能性を考慮して選ばれた方法は後者だった。後々の禍根を残さないためにもつくも」

「なんだよそれ……随分と勝手じゃねェか」

「人間だって他の動物からしたらそうでしょ?」


 いつもはキンタロウが言うようなことを逆にツクモに言われてしまった。

 でもたしかに、人間を地球に閉じ込めておくのは無理というものだ。人間は好奇心や探究心には逆らえない。

 そしてツクモは地球侵略計画を淡々と続ける。


「そこで採られた方法が遺伝子操作で生み出した闇菌に世界竜を食らわせることによって突然変異を恣意的に引き起こし、竜痘菌を作って人類を撲滅ぼくめつする――という作戦だった。にゃんだけど、人類は存外しぶとかった。おまけにその竜使りんしの真の目的に気づいて対抗する勢力もあらわれてしまう始末でやんす。たしかハートハザードって言ったかな」

「なんだって」

「ボク様が取り逃がした世界竜の幼竜を探していたみたいっすな」


 本来の世界竜とは地球という菌の守り神だったのだ。ツクモのような侵略者から地球を守る人類の希望の星だったのだ。


「図らずも兄貴の計画を妹が成し遂げたってことかよ」


 キンタロウは今は亡き主治医を思った。

 これでツクモの目的は表面上は明らかになった。宇宙に蔓延った惑星地球という名の菌の蒐集だったのだ。


「原初の菌とはずばり星だ」


 ツクモは求道者のように言った。


「惑星・地球の増殖のためには衛星・月を食べさせなければならない。これを月食という。そして地球に太陽を食べさせる日食を行うことで超新星爆発が起こり星の胞子は飛散してさらに宇宙の彼方で蔓延る」


 新手の新興宗教のようでキンタロウはとても信じられなかった。だがどこか腑に落ちる自分に嫌気が差しながらも情報を吟味するために黙って耳を傾ける。


「そして星菌研究協会ほしきんけんきゅうきょうかい、略して星研の仮説によれば宇宙は巨大人キョトナの体内と言われているのだ。こちらの宇宙からすればさしずめ口はホワイトホール、肛門はブラックホールってとこか。巨大人には星の数ほどの穴があることになる。その巨大人は人間と同じようにさらに大きな惑星のようなものに居住しており、その惑星のようなものもまたひとつの菌のようなものに過ぎない」

「はっきりしねェな」

「宇宙の外の話だかんね。で、それが入れ子構造のように、ドロステ効果のように、連綿と、延々と、永遠と続いている」


 どうやら竜使たちは多元宇宙論マルチバースを信仰しているようだとキンタロウは理解した。もちろん一枚岩ではないかもしれないという注釈付きではあるが。

 ここまで壮大な話になれば科学も宗教も変わらない。


「要するにボク様は宇宙であり、宇宙とはボク様なんだ」

「なら俺も宇宙ってことか」

「そうすそうす」


 ツクモは同意してキンタロウと自身を交互に指さした。


「きみも宇宙で宇宙がきみで。畢竟ひっきょう、宇宙は外ではなくうちにあるもの」


 弱星強食。今ここに地球と竜と宇宙生命体による生態系の頂点争いが始まった。残念ながらそこに人類は入っていない。


「いまだ竜痘も克服できない人類はお払い箱ってわけけ」

「たしかに人間だけなら無理かもな」


 キンタロウは気だるげながらも確固たる意志を持って反論する。


「けどな、人と菌とが手を取り合えば竜痘は克服できるし、おめェらにも負けねェよ」


 反骨心剥き出しのキンタロウは目を三角にしてツクモを見据えた。当のツクモは相変わらず能面のまま、その人類と菌の挑戦に真っ向から受けて立つ。


「ほんじゃまか、これでフィナーレっつーことで」


 こうしてキンタロウとツクモの最終決戦が始まった。

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