第63話 雲散霧生
悪魔。
この世界において、魔とは魔力に関連する何かを指す言葉だ。魔法を刻み込まれた魔道具然り、魔力によって凶暴化した魔物然り、魔力の法則を利用して特定の現象を発生させる魔法然り、それらには共通する名前の由来がある。
では、悪魔とは何か。魔力に通じ、そして悪と自らを呼称する彼らは何なのか。
俺にはそれがなにかわからない。わからないが――
「戦うなら望むところだ」
何を指して悪と呼ぶのかは一切わからないが、悪でないからといって、現在進行形で害意をもって俺に襲い掛かってくるプルソンと戦わない理由にはならない。
それに――コーサーとアルザールに居た多くの人間の命を奪ったのがこいつの仕業なのだとしたら、それは間違いなく悪だ。
だから俺は、その手に持った短剣を握りしめた――
『スキル〈重傷止まり〉が発動しました』
「がっ……!?」
その瞬間に脳裏に走ったアナウンスを、俺は驚愕をもって知覚する。このスキルが発動したということは、間違いなく俺が一度死んだということ。
しかし、それらしいことをプルソンは何もしていないはず――?
いや、そうか。
「き……り、か……」
まるで水の中にいるかのように呼吸がままならない。肺腑の中に、空気ではない何かが満たされる不快感だけが、何かをされたという証拠だ。
考えるまでもない。俺が吸った空気こそが、おそらくはプルソンだったのだ。
先ほどプルソンが霧散して見せたように――そして、ブルドラたちを操ったという話を聞く限り、推定される奴のスキルは、自らの肉体を霧にすることができるというものだ。
そんな無茶苦茶なスキルがあるものか――なんて文句を言いたくなるが、思い返せばバラムも〈
そんな相手に俺は何をできるのか――そう思いながら、俺は徐に短剣を胸部に突き刺した。
『痛っ!? き、君! 気でも狂ったのかね!?』
「人の体に不法侵入するような不埒な輩を成敗するためには、腹を切る覚悟で臨むべきだろう?」
体の内側から、いつも聞こえるスキルアナウンスとは別の声が聞こえて来たかと思えば、俺の口からするりと黒い霧がもくもくと吐き出された。
そしてそれは、慌てながらもどこか余裕な態度を見せるプルソンの姿へと変わる。
「そうか、この手段じゃあ僕が危ないのか……しかしその短剣、随分と厄介なものを持っている」
「そりゃどうも。愛すべきパートナーからのプレゼントだからな」
愛してるかどうかは別としても、ヴィネは俺の大切な仲間だ。そして、やはりこの短剣は霧となったプルソン相手でも有効らしい。
『スキル〈重傷止まり〉が発動しました』
……ちっ、奴を体から追い出すためとはいえ、無理をし過ぎたか。〈重傷止まり〉は傷を完治してくれるものではない以上、可能な限り負傷は避けるべきだ。
ブルドラとの戦いで相当な負傷を追っているとはいえ、流石に肺を貫いた傷は痛む。……痛みで動きに精彩を欠くことは無いほどに、凄惨な特訓を積んできてはいるが、呼吸に不足があると、肉体的な影響は免れないはずだ。
「ふむふむ……ならば手を変えようか――」
「待てよプルソン。一つだけ、お前に聞いておきたいことがあるんだが」
「……いいだろう。王とは寛大なものだ。敵となる君の申し分を聞くことだって、王の職務の範疇として捉えてあげよう」
随分と尊大な態度だなおい……まあいい。これで少しは傷を癒すための時間が取れるはずだ。
こっそりと回復魔法を使いながら、俺は会話を続けた。
「なぜコーサーを――そして、アルザールをこんな風にしたんだ?」
「……聞きたいことは一つではなかったっけ? いや、まあいい。宣言を覆すことは僕の王威に反する。その程度のことを許容してこそ、王というものだ」
……なんか引っかかるんだよなこいつの言葉。自らが王であるようにふるまいながら、しかし王であることに務めているような――いや、自称王であることには変わりないんだけどさ。
まるで、プルソンの言葉は自分自身に言い聞かせているようだ。
「簡単な話だよ。王とは国に君臨するものだ。となえれば、王の尻は玉座に据えられるべきだとは思わないか?」
「……つまり、この惨劇はお前が王になるためのものだと?」
「何を言っているのかわからないな。今僕は臣下と土地を確保しているだけであり、まだ僕は王ではない。そう、これから僕の王道が始まるのさ」
歪んだ世界の中に見える惨劇。確かな視力をもってすれば、空に並ぶ街並みの中で、未だ生存者を探しながら魔物や傀儡と化した冒険者たちと戦うナズベリーたちの姿が見える。
しかし、プルソンはこの惨劇を自らの王道のための前座にすら至らない、何でもないことのように語った。
まるでそれは、人の死などまったく気にしていないようで――いや、実際にそうなのだろう。こいつらは――悪魔は、人間の死などどうでもいいのだ。
「……それなコーサーだけでよかっただろ。どうして、アルザールまで襲ったんだ」
「んー? なんでもなにも、王都が二つあるなんて気持ちが悪いだろう? 王の御座は一つで十分だしね」
「なるほどな」
回復は不十分。やはり、魔法に秀でていない俺では十分な回復魔法は使えない。それでも俺は戦うのだろう。
だって俺は、こいつの考えにまったく賛同できないから。
「いいこと教えてやるよ、プルソン」
「なにかな?」
「ままごとに他人を巻き込むな――」
会話を断ち切り、不意打ちの形で俺の短剣が空を切った。斬りたいものだけを断つ斬撃が空気を裂き、その一撃はプルソンの霧の体を両断する。
「不必要に街を滅ぼして、住んでた人間を操り人形にして、ダンジョンで街を侵食する奴を、少なくとも人間は王とは呼ばねぇんだよ」
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