第60話 揺り籠に手を伸ばして


 その少女の最初の記憶は、仄暗い地下室から始まった。


 自分が何者なのかわからないなんて言うに及ばず、そこがどこなのかも、そしてなぜここに居るのかなんてこともわからない。


 ただ一つだけ確かなのは――


「おはようアイリス。寝起きの調子はどうだい? もし寝具に問題があったなら、ある程度なら融通できるから何でも言ってほしいな」


 どうやら、この男は自分の監視役らしいということだけだ。


 白衣に眼鏡を掛けた如何にもな男は、この地下室の出入り口――少女から見た鉄格子の向こう側で、そんなことを言いながら微笑んだ。


「寝具?」

「ああ、出来るのならば太陽の下で生活させてあげたいんだけど……流石に許可が下りなかったんだ。だから、寝る時だけでも安らげるようにってね」

「安寧……寝具、不要」

「いやいやいや、人間だれしも寝る時だけは快適でいたいもんでしょう」

「疑問。必要、友人」

「……そうか。なら、もう少しここに居ようかな。外の話をもう少しだけしてあげよう」

「要求。海洋。秘話、逸話」

「あははは……僕が伝承学者だったらどれだけよかったことか」


 苦笑いを浮かべながら少女に――アイリスに語りかける男の顔だけが、彼女の記憶に残る思い出。


 薄暗い地下室。冷たい鉄格子。それでも彼女は満足していた。自分の境遇を不幸だとは思わなかった。


 なぜなら――



 ◇◆



 遠くから音が聞こえる。


 炎が揺らめく音。空気が凍てつく音。敵の鼓動と、敵意の躍動。


 白光魔法を基盤に作られた魔道具が熱をもって背中を焼いている。もし痛覚が存在していたら、いや、どれほどの大やけどに至っていただろうか。


 いや、そんなことはどうでもいいか。


 どちらにせよ、ここが正念場。


「第二機能――解放……!!」


 相手は消耗した魔法使いと、戦場に出たこともない未熟な姫様の二人だけ。対するこちらも相当な消耗を強いられている。


 あちらの攻撃を受けた覚えはないが、背中の魔道具はオーバーヒート寸前で、動力炉から供給される魔力も枯渇寸前。


 流石は創成に名を刻んだ魔法の力。その威力はさることながら、大食漢の如き燃費の悪さで、アイリスが持つリソースをドカ食いしていっている。


 でも、アイリスに退くという選択肢はなかった。


 この戦いを潜り抜け、目的の品である〈アビルの宝剣〉を手に入れることができなければ、あの日々は戻ってこないから。


 あの微笑みが、永遠に失われてしまうから――


 だから、彼女はここで負けるわけにはいかないのだ。


「コード〈蹂躙〉……ッ!」


 火を噴いたかのように魔道具が熱くなり、アイリスを中心として世界が白く染まっていく。


 途端、体の内側にあったはずの魔力が、見る見るうちに消えていく。


 これこそが創成四属性が一つ、白光魔法が誇る〈極光〉の力。我ここにありと謳う光は、須らくを蹂躙してそこに立つ。


 並ぶものなど、誰一人として存在しない――


「まともに戦うわけがないでしょ!」


 魔道具から出力された白光魔法をアイリスが纏ったその瞬間、コルウェットは召喚した花騎士に飛び乗ってその場を飛び去った。


 モアラの姿は――どこにもなくなっていた。


(不覚――!)


 まさかコルウェットが飛べるとは。ここに来て新たに提示された一手に驚きつつも、冷静に思考するアイリスは、第一機能を解放した。


 第一機能〈飛翔〉


 白光魔法を搭載したこの魔道具の弱点は、自らを中心として最大半径四メートルまでしか、その光の効果で蹂躙できないことだ。


 それを埋めるために取り付けられたのが、第一機能にして〈飛翔〉の力。無論、こちらもバカにならない魔力を消費するが――それでも、何もできずに負けるわけにはいかない彼女にとって、その程度の魔力など気にも留めない。


 命を削ってでも、この場を制するのだ――


「あぁああああああ!!」


 冷淡にして冷静。無表情にして無感情。


 その仮面が崩れた今、なりふりなんて構っていられない。ドームのように崩れた地下の中で、彼女の咆哮は轟いだ。


 地から足が離れる。〈飛翔〉の力の言葉通り、空へ空へと彼女は飛ぶ。あの魔法使いを殺すために――そして、モアラを探し出し、手に持った〈アビルの宝剣〉を奪い取るために――


「〈冰界コキュートス〉」


 だが、その目論見は阻まれた。


 永久凍土と化した空間が、世界の時を止めるように地下世界を凍てつかせたのだ。


「がぁ……あ?」


 凍り付いていく体を見て、アイリスは疑問を感じる。〈極光〉はその威光を振りまく破壊兵器。ただその場にいるだけで、炎だろうと凍りだろうと、魔力諸共塵にして消し去ってしまう恐るべき魔法である。


 だというのに、なぜ自分は水魔法の影響を受けてるのか。疑問は尽きず、しかして答えは出ない。


 だからこそ、だからこそ――


「心は熱く、芯は冷淡に――それが私が契約した悪魔の言葉よ」


 空から降り注いだその声がよく聞こえた。


「貴方の魔道具は恐るべき力を持っていた。其処に在るだけですべてを消し去るなんて、チートもいいところだわ。だけど――何の影響も受けないわけじゃない。例えば重力。例えば酸素。例えば――とかね。消し去ってしまえば、活動できなくなってしまうモノを、貴方の魔法は排除できない。だから、私たちは手を打った。あなたを凍らせるのではなく、この地下世界そのものを氷結しようってね」


 あらゆる影響を消してしまう恐るべき白光魔法〈極光〉であるが、その実はあらゆる影響を無力化できるというわけではない。重力が無くなれば立つこともままならず、酸素を断ってしまえば生存に関わるし、空調を断つことができないとなれば温度変化も受け入れなければならない。


 もちろん、害意のある魔法は防ぐが――それは、意識外で次第に変わっていく温度に気づけたら、の話だ。


 その事実に気づいたコルウェットは一計を企てた。あからさまに自分が前に出て、モアラを隠す。そして、隠れたモアラがこの地下世界全体の温度を下げていくのだ。


 水属性の術者であるモアラと、炎そのものである花騎士に連れそうコルウェットに、氷点下を超えて下回る温度は苦にならない。しかし、ただの光に包まれただけのアイリスは違う。


 しかも、背負っていたオーバーヒート寸前の魔道具の影響もあって、活動限界を超えて下がり続ける気温にアイリスは気づくことができなかった。


 次第に凍っていく体を見て、アイリスは思うのだ。


 敗北した、と。


 世界が凍てついていく。光よりも白い霜が、視界を覆っていく。恐るべき影響力――これが、1000年続く大国を作り上げた王の力か、と。


 ああ、これほどまでのスキルともなれば、凶行に走ってまでが手にしたいのも納得だ。


 ただ――


「承認……不可」


 だからと言って、納得できないこともある。


 自分がここで負けて、あの人の笑顔が永遠に消える。二度とあの日々が戻ってこなくなる。あの牢獄にも似た地下のひと時が――なににも代えがたい揺り籠が、永遠に失われてしまう。


 それだけは、絶対に嫌だった。


 だから――


「〈世界よ解けよプルソン〉発動――」


 その力を使った。


 頼るまいと思っていたはずのその力。悪魔と契約したことで得た、新たなる力を――


 世界が解ける。自分と世界の境界線があやふやになっていくのがわかる。次第に、自分が何者でもなくなり――そして、体に至る。


 重力も、熱も、冷気も、なにもかもが、自分に至ることなくすり抜けていく。


 だから、あとは、この手を伸ばして、あの女を滅して、この世界を――


「ごめんなさい。私もあなたの同類なの――〈世界よ従えバラム〉」


 重力からも解き放たれたアイリスの吶喊。〈極光〉を纏いし致死の突進は確かにコルウェットの体を捉えた。


 光に触れた端からコルウェットの体は消えていき、彼女を抱えていた花騎士諸共塵となってこの世から消えていく。


 ああ、ああ。


 


「魔力の消費が激しいし、乱用しちゃいけないってくぎ刺されてるけど――こんな時こそ使わないとね」


 消滅したはずのコルウェットが、アイリスの通り過ぎた道に存在した。まるで、自分が消えた未来自体をそのまま消し去ってしまったかのように。


「疑、問……」

「悪魔の契約者。あなたなら、その言葉でわかると思ってる」

「納……――」


 その言葉は続かない。


 なぜならば、アイリスを動かしていた魔力のすべてが無くなってしまったから。


「そうよね。あんな無茶苦茶な魔法を乱用して、その上で悪魔のスキルまで発動した手前、魔力なんて残ってるわけがない」


 落ちていくアイリスを見下ろして、コルウェットは戦いの終わりを見送った。


 自分と同じ契約者が一人、この戦いから脱落したことを理解して――いつか訪れるかもしれない、自分の未来を予期しながら。

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