第52話 ブルドラという男


 ブルドラ・ブーブルーは呪われている。


 あまりにも破壊的すぎるが、しかし冒険者としてはこの上なく強力な天賦スキル〈迫撃者〉のスキルを持った彼は、過去に低国ヴィネとは別の最高難易度ダンジョン――劇場ベレトへと立ち入った経験がある。


 悪霊に塗れたそこはまさに世界最高峰の難易度を誇るダンジョンの噂に違わぬ地獄であり、命からがら生き延びたブルドラは後遺症として一つの呪いを背負った。


 彼は、一週間と記憶を保つことができなくなってしまったのだ。


 しかも、それは月日が経つごとにとどめておくことができる記憶が少なくなっていくというおまけつき。


 その不安から彼は肉欲に走り、多くの女で寂しさを紛らわせた。しかし、それでもなお彼の精神は追い詰められる。


 自分の中に自分が居ない。積み上げてきたはずの記憶がない孤独は、次第に彼の精神を蝕んでいったのだ。


「でもなぁ、体は――頭ン中がからっぽになっちまってもぉ、体はしっかりと覚えてくれるんだよなぁ」


 そう言った彼は、徐に自らが身に着けていた衣服を〈迫撃王〉の爆発を使って内側から燃やした。今の今まで、スキルの自己防衛機能によって無傷を保っていた服が無くなり、露になったその体には、胸から背中にかけて大きなやけどの跡が残っていたのだ。


「これはな、コルウェットに初めて出会った時に付けられたもんだぁ。随分なことをされたが……俺にとっちゃ、これは救いの傷痕だったんだぁ」


 その痛ましい傷跡には、一つの思い出が――呪いによって消えてしまったはずの記憶があった。


 もちろん、それはいつも通りのブルドラと、すさんでいたころのコルウェットが出会ったことによって引き起こされた騒動の一つでしかない。


 彼がコルウェットにナンパを仕掛け、怒ったコルウェットに燃やされたのだ。


 ソロモンバイブルズの中ではちょっとした笑い話となっていて、今のコルウェットにこのことを聞けば、自分の黒歴史の一つとして恥ずかしながら、しかし今もなお徐にボディタッチを繰り返すブルドラ相手なら当然だと吐き捨てるだろう、過去に埋もれた一幕でしかない。


 しかし――


「これに触れるたびに、俺は思い出せるんだ。呪いで失われたはずの記憶をなぁ」


 ブルドラにとって、記憶とはどうやっても取り戻すことのできない宝であった。かつて所有していたはずなのに、どうやっても自分の元に置いて置くことができないもの。


 しかし、あの一幕だけは違った。


 騒動によって火傷が体に深く刻み込まれた影響だろうか、その傷に触れることで、朧気ながらもその一幕だけを彼は思い出すことができたのだ。


 だからこそ――記憶をとどめることができず、精神が蝕まれていた彼だからこそ、どんな形であれ思い出すことができる記憶があったことが救いだったのだ。


 それこそ、それを成したコルウェットを愛し執着してしまうほどには。


「俺はコルウェットを助けられなかったぁ。あいつの性格に問題があっても、俺は呪いのせいで記憶をとどめてられねぇからぁ、その問題に気付くことができなかったぁ……だから、あいつが居なくなったきっかけを止めることもできなかったし、あいつが居なくなったことにも気づけなかった」


 半年前から翌日の出来事しか記憶できなくなっていたブルドラには、遂にはコルウェットが抱えていた問題に気付くことも――そして、彼女がいつ居なくなってしまったのかすら確かめることすらできなくなってしまっていたのだ。


 ただ、居なくなってしまったコルウェットを思いながら、その傷に触れることしかできなかったのだ。


「だけど、コルウェットは戻って来たぁ……お前に連れられて、な?」


 これは、嫉妬だ。

 自分が救うことができなかったコルウェットを救い、そして共だって現れたルードに対する、浅はかな嫉妬でしかない。


 しかし、それでも――


「俺は俺であるうちに、その気持ちに正直になりたい。またこの気持ちを忘れてしまう前に――この因縁を、晴らしたいんだぁ」


 だからこそ、ブルドラはその体を操る靄の力が薄れている今となっても、握りこんだ拳を解くことは無かった。


 むしろ、その拳に渾身の魔力を乗せて、彼は構えるのだ。


 恋敵を討つために。呪いを解いてくれた恩を仇で返すことになっても、失われてきた自分のために――


「……俺、は……いや、いい。わかった。来いよ、ブルドラ。俺は絶対にお前を殺さない」

「俺はぁ……お前が嫌いだ。だから、殺す。殺すつもりで、全力でやる」


 かつてないほどの魔力の奔流がブルドラの右手に集まる。そして、それが限界に到達したその時――ブルドラが加速した。


「………………」


 おそらくは靄の影響だろう。平時とは比べ物にならないほどの力を獲得した彼は、その力をそのままに高速でルードの周囲を駆け抜ける。それは一見すれば無駄な動きで、無駄なことをしているように見えるが――彼は窺っているのだ。


 ルードの防御が緩む隙を。


 そして、それは――


 それは、動かないルードへ、死角からの一撃として振るわれた。


「――俺は斬る、お前のすべてを――」


 ただし、それはルードにはわかり切っていた一撃だった。なぜならばそれは――ザクロの攻撃とあまりにも酷似した一撃だったから。


 これもまた、靄の影響だろうか。呪いこそ断ち切った短剣の一撃だったが、ブルドラを操る靄は、靄であるがゆえにすべてを断ち切ることは叶わなかった。


 そして、その靄の命令が彼の行動に反映されたのが、ルードを翻弄するような高速移動なのだろう。しかし、ルードは学ぶ男だ。172層で、あらゆるサバイバル技術を身に着けたように、知った攻撃をタダで受けるルードではない。


 ザクロの時がそうであったように、死角からくるとわかっていれば対策は簡単だ。


 その攻撃を――望んだものを斬り裂く力を、その軌道に置くだけでいい。


 そしてルードの短剣は、向かい来るブルドラのすべてを斬り裂いた。


 その体に宿った魔力も、炸裂する直前のスキルも、彼にかかった呪いの残滓も、彼を操る黒い靄も――そのすべてを斬り裂いて、唯一体だけを無傷に残した。


「負け……かよぉ………………」


 斬り裂かれた思考は暗闇に落ちる。瞬きの間のその瞬間で敗北を悟ったブルドラは思った。


 次こそは――もし、この先でもこのことを覚えていられたのなら――


「今度は……負けねぇぞ……」

「ああ、何度だって受けて立ってやるよ」


 そうして、ブルドラは意識を失った。


「……生きてる、な。よし、流石はヴィネの作った魔道具ってとことろか。できるなら、ザクロも助けたかったが――ブルドラと違って、あいつは手遅れだったと考えるしかないか」


 なんとかブルドラを生きたまま傀儡から解放したルードは、救うことのできなかったザクロを思い出しながら息を吐いた。


 ほんの少しだけ呼吸を整えて、それから上を見る。崩れてしまった階段の先に居る黒幕を見据えて、まだ終わっていないのだと――


「あーあ、結構強いと思ってたんだけど僕の見込み違いだったかな」


 しかし、背後から聞こえてきたその声に、彼の意識は持っていかれた。


「誰だ?」

「さて、誰でしょうか。本当は謁見の間で待っていたかったんだけど、君を見つけたから降りてきちゃった」


 そこに現れたのは、他でもないこの王都陥落の黒幕――


「……それで、なんで悪魔が人間に手を貸しているのかな?」


 吹泡すいほうの悪魔プルソンであった。


 

 

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