第50話 次こそは


「出発前に、少しいいかルード」

「ん? どうしたヴィネ」

「172層を発つ前に渡しておきたいものがあってな。ほれ、我からのプレゼントだ」


 低国ヴィネから地上へと向かう出立前、準備をしていたルードの背中にヴィネが声をかけた。


 何かと思って声を返してみれば、彼女はプレゼントだと言って一本の短剣を渡してきたのだった。


「武器か……武器の扱いはちょっと自信ないんだよなぁ」


 琥珀色の刀身に、見たこともない紋様が刻まれた刃渡り二十センチと少しの短剣。みるからに魔道具――魔力によって特異な効果を発揮する道具に見えるそれを手渡されて、ルードは申し訳なさそうな声を漏らした。


 何しろ、ルードは武器の扱いに長けているとは、お世辞にも言うことができないのだ。


 もちろん、冒険者として最低限の技術は持っている。持っているが――ルールから外れる以前から、どれほどの技術を磨いても〈剣術〉や〈槍術〉といった武器を扱うことに補正を与えてくれるスキルを習得できず、迷走した結果あらゆる武器の扱いが中途半端な腕前となってしまっていた。


 その上、今となっては172層で磨き上げられた高い身体能力が足を引っ張っていることも否めない。172層の魔物やダンジョンボスを相手に戦ってきたルードの戦闘方法に武器を組み込むとなると、どうしても歪になってしまうのだ。


 だからこそ、武器と聞いて馴染みがないと思った彼は、ヴィネには申し訳ないとはいえ、好ましい返事を返すことができなかった。


 ただ、それを承知の上でヴィネはこの短剣を用意してくれていたようだ。


「安心しろルード。この短剣は軽く作っていて、激しく動いても落とさない様に、持ちやすくするためのしっかりと握りこめるような工夫が施されている。それに、短剣に求められる技術は、相手の武器を掻い潜って接近する間合い管理にある。徒手空拳を主とし、〈重傷止まり〉を使い危険を顧みず相手の懐に潜り込めるぬしの特性を考えれば、使いにくいということはないと思うぞ」

「確かに、そうか」


 もちろん、振り方から二撃目、三撃目と攻撃を繋げる技術が必要になってくるが――ルードが得意とする体術を阻害しすぎず、振るだけで脅威となるならば、案外悪いものではないのかもしれない。


「しかも、それには我によって特別な魔法がかけられておる」

「まあ、見た目ががっつり魔道具だからなー……」


 魔道具とは、魔力を流すことによって人間ではなく道具自体が魔法の効果を発揮する特別な道具のことを指している。


 それらは魔力を伝達しやすい魔導鉱石や、血や魔導鉱石の粉などの溶解液などの特殊なインクで描かれた紋様が使われていることが多く、ヴィネから渡された短剣もまた、それらわかりやすい特徴を備えていた。


「ちなみに、どんな効果なんだこれ」

「驚くがいい。とっても切れ味がいいのだ」

「……はい?」

「だから、すごい切れ味がいい短剣なのだ。それこそ、おぬしの望むがままに斬ることができるだろう」

「それって、魔法をかける必要があるのか……?」

「何を言う。我が丹精込めて作った魔剣を侮る出ないぞ」


 自慢げに鼻を鳴らす彼女に対して、ルードは魔剣をじっくりと見まわたしてから、その意味を理解できずにいた。


「ルード! こっちは準備できたわよー!」

「コルウェットの準備も終わったし、とりあえずこのプレゼントはありがたくもらっておくよ」

「うむ、貰っておくがよい」


 ヴィネの言葉を理解することはできなかったが、彼女から何かを貰ったこと自体は嬉しかったルードである。彼は腰の分かりやすい位置に短剣を装着してから、準備を終えたコルウェットの元へと向かった。


 ルードは、あとになってこの時の記憶を思い出すことになる。


 出発前にプレゼントとされた短剣に込められた魔法とは何か、と。


『お主が望むままに斬ることができるだろう』


 そう言ったヴィネの言葉の真意とは何だったのか、と。



 ◇◆



 あの時ヴィネは、俺の望むがままに斬ることができると言った。


 それを聞いたばかりの時は、その意味が分からなかったが――今は違う。あの時――俺がザクロの腕を絶った時、おかしな感触がしたからだ。


 それが何かはまだはっきりわからない。だけど、きっとこれがきっかけ。俺の中に渦巻く魔力を短剣に集め、その力を解放する。


 ザクロを助けることは叶わなかったけど――今度こそは。


「斬るぞ、ブルドラァ!!」


 集約された魔力が短剣に迸る。望むままに両断すると語られた力がその能力を発揮しているのか、琥珀色だった刀身が赤く輝いた。


 爆発に乗って再び加速するブルドラに、俺の言葉が届いた様子なんて微塵も感じられない。それでも、俺はあいつを――あの靄に操られるあいつを解放するために、その短剣を振った。


 望んだものを、望むままに斬るために。


「らぁあああ!!」


 咆哮。衝突。


『スキル〈重傷止まり〉が発動しました』


 衝撃。報せ。


「っ……ってやったぞオラぁ!!」


 世界が歪んでしまったのではないかという轟音の中で、俺は確かに手応えを感じていた。その手に持った短剣で、何かを斬り裂く感覚を――


 肉体ではない、何かを断ち切った感触を。


「あ、ああ……ああああああああ!!」


 俺と切り結んだブルドラが床に転がる。その体に傷痕は一つもないが――その体にまとわりつく靄には、欠けるように薄くなっている部分があった。


 おそらくは、その部分こそが俺が断ち切ったあの靄の傷跡。

 ザクロの時も、これができたからザクロを正気に戻すことができたのだろう。


 問題があるとすれば、この手ごたえはザクロの時と同じものだということ。


 それはつまり――


「あ、ころ、あ? いや、俺は――だれ、ころ―あああああ!!」


 まだ、ブルドラの体を覆いつくす黒い靄を断ち切ることに成功したわけじゃない。


「あああああ、ああ、ああ……」


 欠けた傷跡を埋めるように、黒い靄がその形を変えていく。しかし、その全体像は僅かながらに薄らいだ。


 そんな僅かばかりの手ごたえを噛みしめて、俺は再び短剣を構えた。

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