第22話 前兆


 流砂の国アビルには王都が二つある。


 いや、二つあった、といった方が正しい。


 片方は、今も多くの冒険者たちが集う、低国ヴィネへの入り口を持つ王都コーサーだ。

 遡ること約140年前。低国ヴィネに下るためのインフラが整備されたことで、この国の繁栄の中心となることを予期した当時の国王が、王都をコーサーへと移したのだ。


 現在でも国王となる当代アビル王はコーサーの宮殿に居を構えており、コーサー西部の低国ヴィネの入り口とは真逆に位置するコーサー東部に、その宮殿はそびえ立っている。


 さて、ではもう片方――140年前、当時の王に見捨てられた都はどうなったのか、というと、別段大きな衰退を辿ることなく、コーサーに次ぐ大きさの都市として、アビル二番目の都になっていた。


 その名も旧都アルザール。


 現在でもアビルにおける大都市となるアルザールは、アビル王に連なる王家にとって重要な役割を持っていた。


「殿下。お食事の用意ができております」

「ああ、もうそんな時間か。まったくもってアルザールの古書館は広大で疲れてしまうよ」

「かつての国交の要となったアルザールは、古くより多くの書物の集まる場所でもありましたからね」

「知っているよ。本当に呆れるぐらいの本がある。僕が生まれて二十年も経つってのに、全然読み終わる気がしない」

「モアラ様も同じことをおっしゃられていました。まったく、ご兄妹そろって本の虫とは……いえ、アビルとは交流と算術の国。それこそが、この国を担う次代の在り方というモノなのでしょう」


 旧都アルザール。荒涼とした荒野と遥か彼方まで広がる砂漠の合間にできたオアシスに栄えたこの街が誇る大古書館。そこで一時の娯楽に余暇を費やしていたのは、褐色の肌を持った男だった。


 彼は、現アビル王に連なる王位継承権を持った王子の一人。数百年前より伝わる王家の血筋を色濃く映した褐色の肌に、真っ白な髪を携えた偉丈夫は、その体に似合わず読書家らしい。


 そんな彼の知識欲を褒めつつも、文武における武も、この時代には大事な要素ですぞと小言を語るのは、彼のお付きの人間だ。


 王子の名はガラディン。ガラディン・アルザール・アビル。

 お付きの人間の名はヘムウィグ。ヘムウィグ・オズワルド。


 二人の関係を語るとすれば、それはガラディンがまだ五つのころにまで時代をさかのぼらなければならない。それだけ、二人は長い時間を従者と主という関係で過ごしてきた。


 そう、ここアルザールは、王家に連なる王位継承者が、その教養を高める都としての役割を持つのだ。


 現在、アビルにおいて正当な王位継承権を持つ人間は六人。うち、未成人16歳未満の継承者が二人と、ガラディンを含めた三人がここアルザールで、王家に連なる人間としての教育を受けていた。


「兄さんたちとバルカレドからは何か届いてる?」

「あれからまだ一通も文は送られてきておりません。とはいえ、便りが無いのが良い便りとも言います」

「ああ、そうだね。忙しさで忙殺されているか、平和平穏で手紙にしてまで書くことがないか。どちらにせよ、兄弟として身を案じてしまうけれどね」


 ガラディンは兄弟の中で真ん中にあたる三男で、上には兄が二人、下には弟一人と妹が二人いる。とはいえ、上の妹はとある家に嫁ぐことになっているため、このまま縁談が上手くいけば、王位継承権は五人となり、また一段とアルザールの屋敷が寂しくなってしまう。


「ところで、モアラの様子はどう? サイシャが家を空けると、あの子は拗ねてしまうからね」

「えぇ、予想通りで。頑なに閉じた部屋を今も開けようとはしてくれません。例の小窓からお食事だけは頂いてもらえているようで」

「そうか。それはよかった。王家の姫君として、彼女は健康でいてもらわないといけないからね。しかし、サイシャが縁談に行ってから三日目。そろそろ機嫌を直してもらいたいところなんだけど――」

「こればっかりは、時間が解決してくれると祈るしかありますまい」


 一番下の妹であるモアラは今年で15歳だ。そんなモアラは姉であるサイシャによく懐いていたのだが、彼女が王族の女としての務めを果たそうと縁談を始めたことをきっかけに、モアラは次第に不機嫌な日が続くようになった。


 やはり、サイシャが日を跨いで屋敷を空ける日が多くなったのが原因だろう。縁談を受けるために、王族としての宮殿があるコーサーの方へと移動しなければならないからだ。


「さて、じゃあ食事に行こうか。気が付いたら、もうお腹ペコペコだ」

「まったく、先ほどまで本に夢中で空腹を忘れていたというのに……いえ、それもお体が健康な証拠、ですね。それでは、料理が殿下をお待ちしております」


 くぅとお腹を鳴らしたガラディンは、先ほどまで忘れていたはずの空腹に思考を支配されてしまう。そんな主にやれやれとヘムウィグは溜息を吐きながら、料理が待つ食堂へと案内をした。


「ああ、そうだ! 明日は豪華にケーキなんか作ってくれないかな? そうしたら、流石のモアラも好物のにおいにつられて部屋から出てきてくれるはず」

「どうでしょうか。いえ、そういえばモアラ様は大の甘党でしたね。となれば、殿下の目論見通りになる可能性も高いやもしれません」

「いいね、さっそく腹ごしらえが終わったら準備をしようか。砂糖も卵も倉庫に合っただろう?」

「ええ、ばっちりと」

「流石は王家の使用人だ。さて、明日は豪勢にいこうか。モアラは喜んでくれるかなぁ」

「きっと、喜んでくれますよ」

「だといいね」


 これが彼らの日常だ。


 旧都アルザールにおける、未婚独身の王族の日常だ。


 しかし、彼らはまだ知らない。


 ガラディンは知らない。


 自分の上に立つ二人の兄がすでに殺されていることも。


 この屋敷に愛するべき妹の一人であるモアラの姿がないことも。


 そして――


「解析、解明、理解、収束、破壊、実行――〈世界よ解けよプルソン〉発動」


 今日という日の終わりに、たった一夜にして旧都アルザールが地図から消え去ることを、彼らは知らない。


「さぁさ派手に行こうよ! こんな時に楽団があればよかったのだけれど――まあ、この際仕方がない話さ。とにもかくにも、僕が王となるストーリーの開幕だ! さぁ、ファンファーレよ鳴り響け! 僕こそが、新たに君臨する王――吹泡すいほうの悪魔プルソンだ!!!」


 旧都に存在する王族たちの屋敷を遥か上空から見下ろす二人の影は、その在り方を示威するためだけに、旧都へと降り立った。

 

 

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