闇の淵から(三)

 ソウシは俺を真っ直ぐに見た。もう睨んでいなかった。


「自分の一番大切なものを守れたんだ。他に何を望む?」


 更に奴は続けた。言ってはいけないことを。


「エナミ、おまえに大切なものは無いのか?」


 俺は歯ぎしりした。


「……有った。居たさ! だがおまえの仲間達が奪った。俺の母を! 父を! そして姉を!!」

「……………………」

「おまえがシキを大切に思うように、俺にだって大切な家族が居たんだよ!」


 ソウシは目を伏せた。


「すまない……」


 すまない、だと?


「さっきも言ったが、俺のことは好きにしてくれ。気が済むまでいたぶるといい」


 ソウシのこの言葉は本心だろう。奴は自殺せずに骨を砕かれた激痛を耐えている。俺に身体を差し出していたぶられる為に。

 何だよ、何で追い詰めれているおまえが精神的優位に立っているんだよ?


「エナミ」


 見かねたのかマサオミ様が口を挟んだ。


「そいつは楽にしてやれ。長引けばおまえさんの方がつらくなるぞ?」

「嫌です!」


 解っている、俺はムキになっている。でも許せない、許す訳にはいかない。


「母を殺して、姉をさらい、それだけじゃない、国も何もかも捨てた父さんを奴らはまだ追って来た! やっと静かに暮らせるようになったのに、奴らは俺の最後の家族まで奪ったんだ!!」


 俺はソウシの右肩に狙いを定めた。


「身体を分解してやるよ。父さんがしたように。もう追って来られないように。まずは右手だ」


 ソウシは静かに目を閉じて俺の裁きを待った。


(エナミ)

 

 誰かの声が聞こえた気がして、俺の指から力が抜けた。放たれた矢は的中させるつもりだったのに、ソウシの肩を少し掠めただけで大地に刺さった。

 俺が狙いを外したことに仲間達は驚いていた。ソウシも瞼を開けて不思議そうに俺を見上げた。

 俺は次の矢をつがえようと矢筒に腕を伸ばした。しかし指先に矢が触れない。おかしい、矢はまだ有ったはずなのに。

 俺は弓を投げ捨てて腰の解体ナイフを取り出した。そうだ、最初からこれを使えば良かったんだ。父さんから受け継いだ獲物を解体する為のナイフ。イザーカ国からの舶来品だ。

 しかし俺がナイフをソウシに振り下ろそうとした時、


「エナミぃ~~~っ!!」


 馬鹿でかい声が後ろから響いた。


「セイヤ!?」


 俺よりも先にミズキがそちらを見ていぶかしんだ。俺も後方へ視線を移した。セイヤが猛スピードでこちらへ駆けて来る。やや遅れてアオイも。


「エナミ、駄目だ! その人をおまえが殺しちゃ駄目だ!!」


 何でセイヤが草原に居る? そして離れていたのにどうして事情を知っている?

 さっき矢を射る前に聞こえた声もこいつか?

 ……いや、あれは女の声だった。


(エナミ)


 また聞こえた。確実に女だ。それももう居ないはずの彼女の声だ。


(エナミ、周りをよく見て)

「エナミ!!」


 セイヤが俺に抱き付いて俺の腕を押さえた。


「放せ、セイヤ!」


 がっちり抑え込まれてしまった。このままではナイフが使えない。


「駄目だエナミ、駄目なんだ!」

「どうしてここに居るんだよ! ……アオイも! おまえ達は丘で待つ手筈だっただろう!?」


 遅れて到着したアオイが息を切らしながら説明した。


「セイヤがっ……急に走り出したのっ。ランをモリヤに……任せてっ、私はセイヤを追い掛けてっ……」

「トオコが行けって言ったんだ!!」


 セイヤが耳元でがなった。


「このままじゃエナミが壊れちゃうから、傍に行ってやれって!」

「そんな訳有るか! セイヤ、トオコは……」


 言い掛けた俺の頭にハッキリと彼女の声が届いた。


(エナミ、アナタは独りじゃないよ)


 どうしてだ。何であんたが。トオコ……!

 俺の腕から力が抜けていく。いけない、しっかりしろ。俺は家族の仇を討つんだ。

 セイヤを離して、ナイフを構えて、あいつを……。


「セイヤ!? 血が!」


 解体ナイフは抜き身の状態だ。刃先がセイヤの腕を傷付けていた。


「離れろ! 深く切れるぞ!?」

「離れるもんか! おまえが壊れるなんて絶対に嫌だ!! おまえは俺の親友なんだ!」


 俺はナイフの向きに気を付けて手から捨てた。これで丸腰になってしまった。


(何が起きても友達だから)


 やめろトオコ。やめろセイヤ。俺から憎しみを削ぐな。

 ソウシと目が合い、既に殺意が消えていた自分に驚愕きょうがくした。

 俺はどうすればいい? 俺はどうしたいんだ?

 頭の中でグルグルと、二歳のあの日の出来事が巡っていた。姉の誕生日。俺の心が壊れかけた日。


(アナタの幸せをずっと祈ってる)


 俺は叫んでいた。


「ミズキ、頼む! そいつを楽にしてやってくれ!!」


 ミズキは即座に懐刀を取り出してソウシの頸動脈を切った。彼の首から噴き出した血は俺の黒い心なのか? そう錯覚してしまった。ソウシは穏やかな表情で最期を迎えた。


「エナミ……」


 俺を拘束していたセイヤの腕からも力が抜けた。


「エナミ……戻って来たのか?」


 戻って来た? 何処から?

 俺は空を仰いだ。

 いつもより青空が多くて明るい。それとも、俺の心がそう見せているのだろうか?


(見くびらないでね? アタシ、アナタが思ってる以上にアナタのことが大好きなんだよ?)


 さっきよりもトオコの声がよく聞こえた。俺が聞こうとしたからか?

 そうだな、憎しみに囚われて俺は見ようとも知ろうともしなかった。

 自分で自分に呪いをかけていた。


(それだけ、忘れないで)


 身体が軽くなっていく。みんなが闇の淵から俺を引っ張り上げてくれた。見捨てずに、精一杯の力で。


「大丈夫だ、セイヤ」

「エナミ……」

「ごめんな、ありがとう」

「エナミ……!」


 礼を言えた。本心から。

 セイヤの表情が緩んだ。周りを見渡すと、他の仲間達もセイヤと同じ顔をしていた。

 俺、本当にみんなに心配をかけていたんだな。

 もう頭に声は届かない。トオコの気配は消えていた。俺の悪夢と共に。


 俺は戻って来たんだ。みんなの元へ。

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