流寓人《リュウグウビト》 ~地獄の第一階層で兵士達は再起を図る~

水無月礼人

現世

地の底へ落ちるまで(一)

 矢をつがえて、弓を構える。


 いつもの作業だ。

 村に居た頃は獣を狩った。生きる為に。

 戦場に立つ今は人を討つ。生きる為に。


 場所や立場が変わっても、俺がやることは変わらない。

 狩りの技術。死んだ父親が遺してくれた、唯一のものがそれだったから。

 そうだ。だから敵が見えたら弓を構えろ。決して迷わずに。


「うわっ」

「痛っ」


 行軍中、そこかしこで小さな悲鳴が度々上がっていた。大きな木の根に足を取られるのだろう。

 空から陽が射し込みそれなりに明るい森林地帯だが、狩人の俺とは違って、森歩きに慣れていない人間には悪路となるようだ。


「なぁエナミ、なぁ……」


 隣を歩く幼馴染みが、小声で俺の名を呼んだ。


「どうした」

「俺達さぁ、本当に戦うのかな……?」


 俺はうんざりした。この質問は今日で何度目だ。

 当たり前だろうに。俺とおまえを含めた二千五百人余りの歩兵師団が、てくてく二つも峠を越えて、いったい何処へ向かっていると思うんだ。


「出征前に説明されただろ? 我が国の西方に位置するカザシロ平原を、敵軍に占拠されてしまったって。そこを奪還しろと命令されたんだから、戦うに決まっているさ」


 俺が丁寧に説明してやったというのに、幼馴染みは尚も愚痴た。


「そうだけどさぁ、戦いたくねぇよぉ。敵がさぁ、俺達がカザシロに着く前に、拠点を放棄して国に帰ってくれればなぁ」


 幼馴染みの名前はセイヤ。歳は俺と同じ十七で、先祖代々ずっと土を耕してきた、由緒正しい農耕民族だ。大きな身体のわりに気の弱い男でもある。


「そんな甘い展開にはならないよ」


 素っ気なく答えた俺に、セイヤは憤慨した。


「どうしておまえは平気でいられるんだよ! 俺達これから、州央スオウの兵と殺し合うんだぞ!?」


 おまえこそ、どうしてそんなに諦めが悪いんだ。徴兵されて戦場に連れてこられた以上、もう戦うしか道は残されていないじゃないか。

 文句が有るなら国に言え。我らが国王と廷臣ていしん達が無能だったから、隣国に攻め込まれるハメになったんだ。戦争になったのは俺のせいじゃない。

 俺はセイヤに溜息混じりに聞いた。


「そんなに嫌なら何で軍に入った。おまえの家には、父ちゃんも兄ちゃんも居るじゃないか」


 徴兵の条件は、一戸につき一人の成人男性だ。俺達の国、桜里オウリでは十六歳以上が成人と見なされる。

 天涯孤独の俺は自分が来るしかなかったが、家族持ちはたいてい、父親か長兄が徴兵に応じていた。


「だって、父ちゃん膝が悪くてまともに走れねぇんだもん。敵に囲まれたら逃げられねぇだろ? 兄ちゃんだって子供が生まれたばっかなんだぜ?」


 ああもう、こいつは。ガキの頃から馬鹿が付く程のお人好しなのである。

 ならおまえは死んでもいいのか? そんなに怖がっていて、まともに戦えるのか?

 こいつの家族は、どうしてこいつの志願を許したんだ。お人好しが戦場でどんな目に遭うか容易く想像できただろうに。


「おいおまえ、士気が下がるようなことを口にするな」


 前を歩くベテラン兵らしき男が、振り返ってセイヤに釘を刺した。注意はその一言だけだったが、セイヤは明らかにしょげ返ってしまった。

 俺はセイヤに近付き、彼以外には聞こえないように囁いた。


「おまえは戦わなくてもいい。戦いが始まったら、俺の後ろに付いてくるだけでいい」


 セイヤは驚いた顔をしたが、


「おまえの弓の腕は素人レベルだ。下手に撃っても味方に当たる。何もしない方がいい」


 続けた俺の言葉に彼は納得したようだった。


「わかった。その代わり後ろは任せてくれ。このデケェ身体を使って、おまえの盾になってやるよ」


 身体を使って盾か……。馬鹿野郎が。それをさせたくないから、俺はおまえに弓を教えたんだよ。


 徴兵の通知が来てから兵団の詰め所に行くまで、わずかな準備期間しか許されなかったから、教えると言ってもほんの手ほどき程度だった。

 それでもセイヤは、動かないまとの端に矢を当てられるくらいの腕前になった。元々運動神経が良い男だから。

 軍では役立つスキルを持つ者は優遇される。逆を言えばスキルを持たない者は最前列に配置され、戦える者の盾とされる。


 文字通りの、肉の壁だ。


 俺はセイヤを死なせたくなかった。馬鹿で気弱な暑苦しい男だが、心優しい幼馴染みだ。

 流れ者としていつの間にか村に居着いた、不審な俺達父子を真っ先に受け入れてくれたのがセイヤとその家族だった。

 だからこそ俺は、家族の元にセイヤを生きて帰したかった。


「おい、くれぐれも……」


 無茶をするなよと俺が言いかけた時、前方から狼煙のろしが上がった。


「合図だ……」


 声を震わせてセイヤが呟いた。

 先行していた我が軍の斥候せっこう達が、敵兵と接触した合図。

 そしてそれは、敵を森へおびき寄せる罠でもあった。


 カザシロ平原で戦ったら、万に一つも俺達に勝ち目は無い。

 敵は既に簡素な砦を築いているそうだし、塹壕ざんごうも掘ってあるとの情報だ。見通しの良い平原に我が軍がノコノコ出て行ったら、雨となった矢がその身を貫くだろう。

 なんと言っても隣国・州央スオウの国には、島最強とうたわれる騎馬隊が存在するのだ。平地での戦いは相手に利が有る。


「皆、散開しろ!」


 隊長達がそれぞれの部下に短く指示を出した。全兵士は木や岩の陰にその身を隠した。俺もセイヤと共に、少し高台にある木の後ろに隠れた。




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