第5話
「
ドクンドクンと心臓の音がめちゃめちゃ聞こえてくる。うわーやばいぞ、これは。
先輩のクールでかっこいい顔が至近距離まで迫ってきて……なんかよくわからないまま私は覚悟を決めた。そしたら、何ということでしょう! 先輩は私の顔には目もくれず、そのまましゃがみこんで私のカバンを見ていたのでした。キ……スじゃ……なかったってことですか。い、いやぁ! わかってましたとも!
ってのはさておき、先輩は私のカバンの何を見ているの?
「……これはどこで手に入れたんだ?」
先輩が指さしたのは、私の手作りの「サーシャちゃん」のぬいぐるみだった。手に入れたって言われても、それ自分の手作りなんですけど……。私が返事に困っていると、先輩が、
「よかったら、これの売っているお店を教えてくれないか」だって。
誰かにプレゼントしたいのかな……はっ! もしかして彼女へのプレゼントかも! だから二人だけの秘密って……なるほど、そういうことね。先輩も隅におけないじゃないの。だけど――。
「あの……すみません先輩。それ、売ってないんです」
「売ってない? 限定品なのか? 」
「それ……私が作ったんです。手作りのぬいぐるみなんです……」
黒崎カイ先輩はびっくりしてカバンにぶら下がっているサーシャちゃんのぬいぐるみと私とを交互に見る。
「本当に……小岩井くるみが作ったのか?」
「はい」
しばらくしゃがみこんだまま先輩は何かを考えて、それからスッと立ち上がった。
「小岩井くるみ、このぬいぐるみを譲ってくれないか。
予想外の言葉に私はまたまた驚いてしまった。せ、先輩が私の作ったぬいぐるみを欲しいって、どういうこと? 私は床に置いてあるカバンにぶら下がっているサーシャちゃんのぬいぐるみを見つめる。
「え、え、え……そんなにこのサーシャちゃんが気に入ったんですか?」
思わず私はそんなことを口に出していた。違う違う、先輩の彼女へのプレゼントかもしれないのに! クールで無口なK4の黒崎カイ先輩がこんなアニメの女の子のぬいぐるみを好きなわけ……ぎょっ!
ちらりと先輩を見ると、なんと顔を真っ赤にして立っているではありませんか! あれ、もしかして本当にサーシャちゃんを気に入って……自分用に欲しかったってこと? 黒崎カイ先輩は私の視線に気づくと、顔を背けて……ブンブンと数回顔を振って、咳払いを一つしてからこちらに向き直した。
「気に入ってなど……いない……のだが……」
あ、これ絶対気に入っているパターンのやつだ。先輩の反応がわかりやすくて、私は少し嬉しいような安心したような気持ちになった。だってそうじゃない? これまでみんなが近寄りがたい存在だった――だったっていうか、今でも近寄りがたいんだけど――K4の、みんなの憧れでもある黒崎カイ先輩にこんな一面があっただなんて! 先輩と話をする機会なんてこれが最初で最後だろうから、ちょっと言いたいことを言って帰ろう。何を言っても退学させられることもないってわかったしね。
「気に入っていないんですか……残念です。もし気に入っていたのなら、譲ってさしあげてもよかったんですけど……」
とちょっと意地悪な感じで言ってみたら、先輩は目を大きくしてこっちを見るじゃないの! そして、もう一つ。私は自分のスケッチブックにサーシャちゃんのイラストも描いていたことを思い出した。
私はしゃがみ込んでゴソゴソと、カバンの中のスケッチブックをまさぐる。えっと、サーシャちゃんを描いたのはどれだっけ……そうそう、これこれ。私はスケッチブックを開き、サーシャちゃんのイラストが書かれているページを先輩に見せてみた。
「もしこのイラストも気に入ってくださったのなら差し上げますが……」
「なんだと……それは最弱勇者第54話、月明かりの下で二人の勇者を見守るサーシャちゃんのイラストじゃないか……!」
先輩がイラストに食いついた! しかも
「先輩……そこまでわかってるってことは相当なサーシャちゃん推しです……よね?」
「お……推し? ぐっ、違う……違うんだ」
「違う? そんなこと言ったらサーシャちゃん……いえ、さーたんが悲しみますよ!」
私は持っているさーたんのイラストを先輩の目の前まで近づける。あ、ごめん。さーたんっていうのは作中でのサーシャちゃんのニックネームのことね。そして、似てないのは自分でわかっているけど、「ほっほっほ、もっと自分に正直になってみたらどうじゃ?」とアニメのサーシャちゃんのセリフのモノマネをしてみた。
「……」
先輩の反応はなかった。しまった、これはウケなかったか! 私は恐る恐るスケッチブックをどかして、先輩の様子を伺ってみた。すると――
先輩は笑顔のまま、鼻血を出して床に倒れていた。
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