第37話 迷宮から帰還してみた

 結局、その後は何も起こらない。

 死霊術師が復活することはなく、謎の声もやはり聞こえなかった。

 俺は廃墟の只中に取り残されていた。


 とりあえず戦いで受けた傷の応急処置を行うことにする。

 気を取られて忘れていたが、俺は瀕死の重傷を負っているのだ。

 残っていた治療道具で傷を塞いで、増血用の丸薬をまとめて噛み砕く。


 ある程度の処置が済むと、俺はなんとか動けるようになった。

 これで最低限の自衛はできると思う。

 死霊術師がいなくなっても、通常の魔物と遭遇するかもしれないのだ。

 消耗した冒険者が魔物に殺されるのは、非常にありふれた話である。


 俺は死霊術師の遺品を調べる。

 ローブや鞄や杖が残されていた。

 あいつの実力を考えると、それなりの上質な装備だと思う。


 俺は遺品を闇魔術の収納に放り込んだ。

 どのみちギルドでの報告の際、討伐証明に必要だった。

 これがないと、死霊術師を倒したことを信じてもらえない。

 装備の詳細に関しては、後ほど鑑定術師に見てもらうつもりである。

 俺やビビに合う物があれば使いたいところだ。


 手頃な廃墟に入った俺は、埃を被った椅子に腰かける。

 ぎしり、と軋んで少し焦るも、壊れることなく支えてくれた。

 少しだけ休んでからビビのもとへ向かいたい。

 今の疲弊した状態では足手まといになる。

 とにかく心を落ち着かせて、最低でも魔力を回復させねばならなかった。

 瞑想の途中、俺は穴の開いた天井を仰いで呟く。


「生き延びたんだ……」


 手が小刻みに震えている。

 恐怖がなかったと言えば嘘になる。

 死ぬのは嫌だ。

 ビビのためなら犠牲になる覚悟はあったが、それでも恐怖が消え去るわけではない。

 ただ気力で誤魔化しているだけだった。


 俺は凡人である。

 英雄のように高潔な生き方はできない。

 泥臭く必死に這いつくばって、どうにか生きているような有様なのだ。

 今回は奇跡的に勝利したが、本来ならあっけなく殺される立場にあるはずであった。

 間違ってはいないものの、自分でそこまで考えて情けなくなる。


 自己嫌悪に苛まれながらも、時間経過で体力と魔力が回復した。

 俺は立ち上がってビビの捜索を開始する。

 今は戦闘音が聞こえない。

 魔力感知を使えない俺は五感で居場所を探すしかなかった。


 そうして歩くこと暫し。

 前方の曲がり角からビビが現れた。

 彼女は泣きそうな顔になると、勢いよく抱き付いてくる。

 衝撃で全身に痛みが走るも、そこは気合で我慢した。

 俺の胸に顔をうずめるビビは、涙で濡れた顔で見上げてきた。


「ご主人、大丈夫?」


「俺は平気だ。そっちはどうなんだ」


「グールが一気に死んで助かった。ご主人のおかげ」


 ビビは無数の細かな傷を負っていた。

 本人に経緯を聞くと、グールの爪に引っ掻かれた痕らしい。

 彼女は風魔術で逃げ回りながら、グールの大群を相手に生き残ったのである。

 何度も殺されかけたそうだが、手持ちの能力と機転で切り返したという。

 最後はグールが一斉に動かなくなり、その場から離脱できたそうだ。

 おそらく俺が死霊術師を倒したのが起因となったのだろう。


 俺はさっそくビビの手当てを始めた。

 小さな傷からグール化する恐れがあるからだ。

 回復した魔力も総動員して念入りに処置を施す。

 この場で可能な治療を済ませたところで、俺はビビに提案をした。


「一旦、地上に戻るか。これ以上の探索は危険だ」


「そうだね」


 金稼ぎが目的だったのに、死霊術師に襲撃された。

 下手をすれば死んでいたのだ。

 さすがにこのまま迷宮探索を続けられるほど肝は据わっていない。

 消耗した道具類や装備も補充しなくてはいけなかった。

 万全ではないのだから帰還するに限る。

 あの謎の声の正体が気になるも、今は究明する余裕もなかった。


 慎重に帰路を辿った俺達は、地上に出てすぐギルドに向かう。

 そこで此度の死霊術師の討伐について報告した。

 担当の人間は半信半疑だったが、遺品を見せると血相を変えた。

 俺達は別室へと通されて金貨百七十枚という多額の報酬を受け取る。

 さらに今後はギルドによる特典の進呈と、いくつかの優遇を約束された。

 それだけ死霊術師が厄介な存在だったのだろう。


 報酬を受け取る際、俺はギルド側に「誰が死霊術師を倒したか公にしないこと」を要求する。

 個人的にはあまり噂が広がってほしくなかった。

 今回は短剣に救われただけで、死霊術師の討伐は実力に見合わない評価なのだ。

 余計な嫉妬を買いたくないのもある。

 平穏に暮らすなら、変な武功など不要なのだった。

 ギルド側は俺の要求を承諾したので、これで問題が起きることはないはずだ。


 その後、俺達は治療術師のもとで一発ずつ殴られて傷を治してもらった。

 無償でいいとのことだったが、貰ったばかりの報酬のうち金貨百枚を渡しておく。

 彼女の技能は軽々しく扱われるべきではない。

 だから可能な範囲でしっかりと代金を払いたいのである。


 そう伝えると、感動した治療術師から無料券の束を押し付けられた。

 帰り際には「特に用がなくとも訪問してほしい」といった旨を告げられる。

 よほど気に入られてしまったらしい。

 俺とビビは近日中の再訪を約束すると、嬉しそうな治療術師と別れたのだった。

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