破茶滅茶(浮葉三夏)




…ある夫婦がいた。

それはちょっとだけ歳の差が大きい男女の夫婦。元々の職種というか関係もあり、周りの目も良いものとはあまり言えず。それでも、愛の前にはそんなものは関係ない、と乗り越えて。そうして愛を育んでいたある夫婦。


片方は生徒で、片方は教師。

本当に色々どうかという目で見られることも多かったが、当人たちには配偶者以外が見えていなかったので正味どうでもよかった。


妻が、教師。夫が生徒。

歪な関係のようだったが、しかし二人は至極穏やかでそれでいて平穏な暮らしを続けていた。どちらもが勤勉で真面目であるということも大きかったが、まあ結局のところ、二人が二人、互いに所謂バカップルに近かったというのが最も大きい要因だったのかもしれない。



「三夏、こっちに置いておくな」


「あらありがと。すぐ行くわね。

…あれ?集さん、雑巾どこに仕舞ったっけ?」


「あ。ごめん俺が持ってっちゃった。

それも今持ってくよ」



マスクをつけて、そんな夫婦がぱたぱたと家の中を慌ただしく綺麗にして回っている。


それは大掃除の日。

リビングや風呂場などのよく使う場所、よく洗う場所こそ綺麗なままではあるが、気合いを入れなければ掃除の出来ない換気扇やらそもそも目に入りにくい場所の掃除をしてしまおう、と。二人が長期の休みを取れた時に一念発起をして行ったのだ。


そうして、休日に似つかわしくないほど早起きをして、よおしと気合を入れて割烹着を着、色々なところを細やかに拘りすぎるくらいに拭き掃き掃除を繰り返して、そうして高まった掃除欲は棚の中や物置にも達する。


そうして、埃のかぶっていた諸々に手を出された。

それに、この騒動は起因する。

まあ、騒動と言うほどのものですらないが。



「?おーい、そっち終わったのか?

随分静かだけど…」



妙に物音が静かである妻の方を訝しみ、そうして顔を見せてみる。そうするとそこで、(旧姓)浮葉三夏は卒業アルバムを見ていた。

それも勿論、自分のものではない。夫の、古賀集のものであった。高校時代の時の、彼の姿のアルバム。


ああ、懐かしいなと。

彼らが出逢ったのは、その時期。

ただそれ以外の意味でも、とてもとても印象深い時期だった。だから、そういう思い出に浸っているのだろうと後ろから覗いて。



「……あ゛っ」



…集の動きが止まる。

妻の目が留まっている所を、彼も見た故に。



「…ねえ、ねえねえ。

これ何!?何これ、ねえねえ!!」


「うわー、うわー…」



問い詰めるようにアルバムを突きつける女と、それに頭を抱える男。この様子だけを見るならまるで、浮気の証拠を見つけた人間とそれらによる修羅場のようであった。

だが、それと決定的に違うのは、三夏の眼は寧ろきらきらと輝いていた。聞きたくて仕方がないというように楽しみに。



指を指してある場所は、2年時の学園祭の写真。

3年時にはもう本当に無理だ嫌だと拒否したために着ることはなかったものの写真。それ故に三夏が見ることはなかったもの。とんでもない格好の青年の姿。

執事服の、古賀集の写真だった。

彼の、いわゆる黒歴史に近い。



「…ねえ、集くん。これまだ持ってる?」


「嫌だ!!」



言われるだろう事は殆どもうわかっていた故に、拒否はまあ迅速だった。声もかなり大きくなっていたが、しかしまるで怯まない。むしろぐいとさらに距離を詰めていく。



「えー、見たい見たい!」


「『見たい見たい』って…そんなキャラじゃないだろお前!落ち着…落ち着けって!」


「落ち着いてるわよ!」


「どこがだ!?」



ぜえ、ぜえと互いの制止の後に二人が息をついて息を呑む。

そうして二人が静かになった後にもう一度口火を切ったのは、それでもまだ三夏の方。



「だってえ…集くんのそれ、私見たことないし…」



「…う」



「他の子が見たことあるのに、私だけ無いのが悔しくて…」



「う、うーん…」



悩んだ様に困った様に頬を掻く青年。

その、一瞬言いくるめられそうな態度を見逃さなかった。めざとく、チャンスとそれを見た。



「そんな期待した顔されても…!

ほら!もう持ってないから!」


「嘘ね」



「ぐっ…な、なんで…!」



「今回に限らずだけど、集くんは嘘吐くの下手すぎ。

誰かを傷つけない為の嘘なら上手だけど、こういう保身の嘘とかはほんとどこからどう見てもわかるもの」


「…そういうとこが好きなんだけど」



「あー…はは、ありがとうな」


「うふふ」



二人が笑い合って、ほっこりとした空気が間に流れる。柔らかく、照れ臭いけどそれでいて幸せな空間と暖かな空気だった。



「ところで話は戻すけど」



「あー畜生うやむやで終わらなかった…

いいだろ!ほっこりとしたまま終わろうよ!」



「ダメです。私にとっては最重要命題なの。

これはとても大事な話なの。持ってはいるの?」



「……

………確かに持っては、いる」



「!!」



「でも、着ないから!

すっごい恥ずかしいんだぞ、あれ!

言われたんだよ3年の時も着たら?って。

それでもマジでちょっと嫌だったの!」



今までに見たことのない、本気の拒否。

そうする姿を見て、あら珍しいと微笑ましく、それでいて珍しい姿を見ることができたと喜ぶ反面。

そんなに嫌がるのならば無理して着せるのも、あんまりかとも思ってしまう(旧)浮葉。


だから、最後に。

最後に一つ、切り札だけを出して。

それも嫌だと言われたら諦めよう。



「…………交換条件にしましょう」


「…何?」



「集くん、前のその…あれ以降、私になんだか色々着せたがってるでしょ。その度にイヤってしてるけど」



前の、あれ。

抽象的であまりにもあやふやな発言はしかし、彼にはすぐに思い当たること。それほど、妻の年甲斐の無いあの制服姿は衝撃的で、彼の脳のどこそこを破壊する様な出来事だったのだ。



「……なにが、言いたいんだ」



「…もし。集くんがその服を着てくれるなら。

私は貴方の要求を1つだけ、なんでも呑みます」




落雷。

…無論即物的に雷が落ちたわけではない。

ただ、両者の間に、電光が走った。

片や、衝撃的に美味しい提案による驚愕。

片や、あー言ってしまったという羞恥。


喉から手が出んばかりのその欲求を、それでも一瞬蓋をして、冷静でいることができたのはしかし、古賀集の狂人じみた精神力があってこそ出来たものだったのかもしれない。



「……ぐぅ…だ、ダメだ!」


「ほら、三夏。冷静に考えるんだ。

ぶっちゃけた話、そういう話になったら、だ!

俺はぜったい遠慮とか容赦とかしないぞ!

つまるところ…凄く恥ずかしい事になるぞ」



「……!」



「…いいか。よく考えて判断するんだ。

俺のそれはそんな思いをしてまで見たいものか。

そんな、先の恥に耐える価値がある程のものか?」



どくん、どくん。

互いの心音が一つになって空間に鳴り響く。

逡巡の間でありながら、しかしそれは互いにとって、決断の時間でもあった。

決断までにかかった時間、という意味合いではなく。もはや決まっていた決断を口にすると、そう決めるまでの時間。それを尽きる為の時間。




「……見たい!着ます!」


「正気か!?」



「わかんない!でももう決めた!

私、どうしても見たくってしょうがないのー!」




9年。

二人の年齢にはそれだけの差がある。

そしてそれだけ、彼女は頼れて、それでいて包容力のある女性だった。彼女自身は自虐しながらも、彼にとっては非常に頼りがいのある、大人の優しい女性だったのだ。だからこそ、こうまでに惚れたのだから。

そんな彼女が、まるで子供の様に見たい見たいと駄々をこねている。びっくりするほど、キャラの違う容態で騒いでいる。


それを見て、彼は、何を思ったろうか。

彼女の様子を、どのように感じたろうか。




(まあ可愛いからいいか)



彼は色ボケていた。





「そんなにか…そこまでかあ…

うーん…そこまで力強く言われたらなあ…」



よく考えろ、とまで言った。

きっと彼女なりに冷静に考えた。

その上でこれならばもうきっと拒むことはできやしないと、彼は白旗を挙げた。これから先ずっと求められるかもしれない事を、ずっと断り続けることだって出来ないのだから、もういっそ今やってしまおうと。



「……わかった。

1回、ほんと1回だけだからな三夏。

それ以上はほんっとに着ないから!な!」



「…え、今すぐに着れるの?」



「あー…うん。俺の部屋で捨てれなくて取っておいてあるんだよ…だってあんなん捨てたら祟られそうだろ、もったいないお化けに」



幾年も経ったのにも、関わらず。

あの服は未だに質を保っている。それをただ恥ずかしいからと捨てたら何やら申し訳ないと、ずっと手元に置いてあるのだった。



「あ、待って!

…その…今すぐ、じゃなくていいわ。

というよりその、もう少し待ってくれないかしら」



「ん?待つって、何を」



「折角着てくれるならこの片眼鏡も用意したいの。

あと、トーションとかもちょっといいかしら」



「………

お前俺の番になったら覚悟して貰うからな……」







……



これ以上、語るべくもないだろうが。

結局この互いの密約は1回だけで済まされることは無かった。

それ以降もしばしば、古賀集はその呪われた服に袖を通すことになり、そしてその対価として(旧)浮葉三夏は何度も何度も顔から火が吹き出そうな思いをした。


その度に、二人は口を揃えて言うのだ。

「「もう二度と着ないから」」

と。



そしてまた。

それは最後にならないことを、互いは判っている。



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