永遠のエルドリン

さりさぱらりららりら

第1話

 生命の樹。それはこの世の始まりからある、この世で最も大きく、古く、偉大な樹であると、我々エルフの間で伝えられていた。

 遥か遠い、本当に遠くなってしまったあの日、私は恐ろしい守護者達の目を盗んで、なんとかその、生命の樹の足元にやってきたのだ。

 当然、巨大ではあるものの、ただの樹である。そこに何もなければ、私はただ生命の樹の、空の雲をも貫く威容に満足して、やがて侵入者に気付いた守護者たちに連行されていただろう。


 だが私は、頭上で光り輝く小さな木の実を見つけた。比喩だとかそう見えたとかではなく、本当に光っていたのだ。

 そしてそれを見た私の脳内に、あれを食べたい、と言う強い欲求が沸き起こった。いや、むしろ食べなければならない、とすら思った。

 おそらく生命の樹の実を食べてしまうなんて、守護者たちは激怒するだろうとはわかりつつも、私はほとんど、己に命令されるようにして魔法を使ってその実をもぎ取り、口に含んだ。

 

 その実を噛み砕いた瞬間、私の口内を、甘く芳醇な香りが広がった。その実はとても美味で、その味は、とても言い表せない程に素晴らしいものだったと思う。

 しかし私は、樹の実を飲み込んだその直後、絶叫した。体内にこれまで感知したことのない『力』が満ち、荒れ狂う濁流のように全身を巡り始めたのだ。私の体は、丁度食される前の樹の実と同じように強く光を放ち、しかし私の体は、『力』に蹂躙され、経験したことのない巨大な激痛に全身を襲われていた。

 私はただ絶叫し、幼子のように丸くなって、地面に這い蹲っていることしかできなかった。

 

 どれくらいそうしていたのかは、今でもよくわからない。しかし、やがて痛みは引き、体から光は失われた。私が何とか体を動かし、立ち上がった時、周囲にいくつもの人影があることに気づいた。

 私の叫びを聞き、侵入者に気づいた守護者が、私を排除するために集まったのだろう。私はそう思った。


 しかし、どうやらそうではない。何故なら彼らは、明らかにエルフではなかったから。

 私達に似ていて、しかし明確に異なる者達。

 それは私達エルフにとっては、神々を意味した。

 数十もの神々が、私を包囲していた。


「殺せ」


 筋骨隆々で、恐ろしい顔つきをしている神が私を指差し、ただそう言った。


「もう死にませんよ」


 背に鳥のような白い翼を生やし、優しげな顔つきをしている神は、微笑みを浮かべながら肩をすくめ、静かにそう言った。


「こんな、こんなことがあって良いのか。この小さなエルフが生命の樹の実を食ったと言うのか。何ということだ!」


 黄金の肌を持つ神が、今にも泣き出しそうな悲痛な表情で、そう言った。

 この時私は、何一つ状況を理解していなかった。神々の存在はそれこそ神話のものであったし、なぜ彼らがこの場に現れたのかも一切わからなかった。

 

「守護者はどこだ。何をしている」

「どうやら、邪神に誑かされたようですね」

「そんな馬鹿な。あんなエルフたった一人ぽっちのために、本当に生命の樹の実は消えてしまったのですか」

「わかっているでしょう。もうどこにも存在しません」

「馬鹿どもめ。だからあれほど、我々自らが守るべきだと言っただろうが!」


 やがて神々は、戦々恐々としている私を無視して口々に何事かを話し合い、沈痛な雰囲気を醸し出し始めた。

 彼ら神々にとって、あの樹の実はとても大事な物のようだった。

 どうやら私は殺される。私はすぐにそう思ったが、しかし神の一つが私に「もう死なない」と言った事が、私を更に混乱させていた。


「とにかく、あれを囚えろ。我々に対する明確な……明確すぎる攻撃だ。すぐにでもこの手で殺したいほどに腹立たしい」

「その通りですな。腹立たしいかはともかく、未来永劫、牢に入れておくしかあるまいよ」

「ではそうしましょう。反対の者はいますか」


 背に翼を生やしている神が周囲にそう呼びかけると、その場を沈黙が支配した。

 神々は、どれも明らかに激怒していた。


「エルフ。君は天上の牢獄に入り、この世が終わるその時まで出ることはできません。そうなります」


 私は一方的にそう宣告され、神々に雲の上まで連行され、牢獄に入れられるまで、何一つ頭が追いついていなかった。

 樹の実一つ食べただけで神々の怒りを買い、世界の終わりまで牢から出れないなんて、余りにもおかしなことだった。

 私はそのまま牢獄の中で少しの間放心していたが、やがて冷静になってきた。

 

 本当にこのまま世界の終わりまで、いや、その前に自分は寿命が尽きるだろうから、死ぬまでここで過ごすしかないのか。そう思うと、途轍もない絶望に襲われた。

 私は叫んだ。どうか弁解させてくれと。神々を害するつもりは欠片もなかったと。牢屋の格子から見える、青い空と白い雲だけが広がる風景に向かって。やがては無様に涙を流し、何度も何度も叫び続けた。

 そうしていたのは、一時間にも満たなかっただろう。単純に無駄だとわかったからだ。この叫びを聞いている者すら誰もいないのだろうと、わかってしまった。

 雲の上にぽつんと置かれた私の牢の外には、白い雲と青い空だけが広がっていた。

 

 それからの私は、真に孤独だった。

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