7-1

「幽霊が出るんですよ」


 組織の構成員であるその男はそう語った。


 語った、が、それ以上はなにも言いはせず、暗い表情で顔をうつむけるばかりだった。


 シバは、そんな男の姿に今はもういない、かつてシバに「自分は呪われている」と語った男を思い出す。


 その呪われていた男は、呪いとは関係のないところで死んだが――。


 シバには感傷などなく、「そんなやつもいたな」くらいの感想しか抱かなかった。


 シバは、一応は組織のトラブルシューターということになっている。


 シバの兄貴分よりも偉いボスが決めたので、そういうことになっている。


 そんなシバを頼って悩みを持ちかけてきたのが、この構成員の男であった。


 その構成員の男は組織の中では新顔のほうであったが、シバの耳にはすこぶる悪い噂しか入ってきていない。


 組織の正式な構成員になれたのも、金を稼ぐ――金を巻き上げる――手腕を買われてだとか聞いているが、シバはまだよく知らない。


 細面の優男といった風情で、女の印象はいいだろうとシバは他人事に思う。


 けれども優しそうなのは上っ面だけで、子供が相手だろうと躊躇なく暴力を振るえるだとか、仲間と女を輪姦まわして笑っているような男だとか、とにかくすこぶる評判が悪い。


 こんな裏社会に身を浸して久しいシバには、とうてい正義感などないわけだが、そんなシバでもさすがにこの目の前の男の評判の悪さには、しかめ面を作りたくはなる。


 どこでだれが泣きを見ようが知ったこっちゃない――というのがシバであったが、それでも自分よりも確実に弱い者ばかりを狙う性根の持ち主を、わざわざ救ってやろうという気持ちも湧かないのであった。


 しかしいずれにせよ、シバは一応、トラブルシューターの看板を掲げて――掲げさせられて――いるのだ。


 頼まれれば一応、解決に向けて動き出さねば、シバをトラブルシューターに任命した、ほかでもないボスの機嫌を損ねる可能性もあった。


「だから、どんな幽霊だって聞いてんだよ」


 シバはイラ立ちを隠さない声で、おどしつけるようにして問うが、それでも男は居心地悪そうな顔をしてまで、黙ったままであった。


 男は二〇代中盤で、シバよりも年上だったが、シバのほうが組織に身を置いて長い。


 なので自分よりも年下の、少年を脱したばかりのシバに責め立てられるように問われても、男が怒り出す資格はない。


 男はすこぶる評判が悪いわりに、そういう上下関係にはきちんと気を払うのか……それとも、また別の理由があるのか。


「行けばわかりますよ」


 男は細面を青白くして、いかにも不健康そうな顔色でそう言うばかりだった。


 シバはこれ以上の情報を男からは引き出せそうにないと考え、大きな舌打ちをした。


 男はそれに反応することなく、うつむいて自分の膝小僧を見ていた。


「……わかった。じゃあ最後に会って欲しいやつがいる」


 相談を持ちかけてきたくせに、帰りたそうにしている男を見てため息をつきそうになりながらも、シバはそう言いつける。


 男は、今は友人の家を転々としているらしい。


 シバは男から部屋の鍵を受け取ったあと、電話をかけるために退室する。


「シバの友達?」

「ちげーよ」


 事務所の応接室から外に出て、テキトーな喫茶店へと男を連れて行き、シバはマギサと落ち合う。


 マギサの開口一番のセリフが例によって例によるものだったので、シバは食い気味に否定した。


 シバはちらりと男の様子を見やる。


 男は、女に見えるマギサを前にしても反応が薄く、困惑している様子もなく、憔悴しているように見えた。


 シバは、その部屋にどんな恐ろしい幽霊が出るのやら気になった。


「――で、なんかか?」

「『なんか』って?」

「……『怪異』だよ」


 マギサはすっとぼけているのか、本気でシバがお茶に誘ってくれたと思っているのか、きょとんとした顔をする。


 なんとなく、四人掛けのシートで男の隣に座るのが嫌だったシバは、テーブルを挟んで男の向かい側に腰を下ろしていた。


 なので今、マギサはシバの隣に当然のような顔をして座っている。


 シバは一応、声をひそめてマギサの耳に口元を寄せる。


 マギサが少しだけくすぐったそうにして身をよじったのを見て、シバは複雑な気分に陥った。


「なにも見えないし、感じないけど」


 マギサの返答に、シバは予想が外れたと思った。


 シバに相談を持ち掛けた男は、どうにも方々ほうぼうで恨みを買っているらしいことはわかっている。


 だから、男が幽霊と呼ぶものが仮に存在するとすれば、それは部屋に憑いているものではなく、男自身に憑いているのではないかと思ったのだ。


 だがどうやらシバの推測は、残念ながらハズレらしかった。


 もし男自身に「怪異」が憑いていたのであれば、この場でマギサに「食って」もらい、それでこの仕事は終わり……となるはずだったが、どうもそう簡単には行かないようだ。


 シバはため息をついてから、頑なに同行を拒否する男を一度帰し、マギサと共にその幽霊とやらが出る部屋を訪れることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る