隣にマギサ 〈連作短編〉

やなぎ怜

1-1

 まったく、バカみたいに、クソほどに、ツイていない――。


 シバはイラ立ちを吐き出すように舌打ちをした。


 シバのあからさまな態度への反応は二者二様。


 二〇歳前後の準構成員の男はびくりと肩を揺らし、シバの機嫌をうかがうような目を向けた。


 マギサはニコニコと、この場では面白いことなどひとつもないのに、いつものように心の内がまったく読めない笑みを浮かべている。


 そんなふたりの様子を見て、シバはまた舌打ちをしたくなった。


「おいお前」


 準構成員の男の名前を、シバはきちんと覚えていた。


 育ちが悪ければ口も悪く、粗暴で粗雑なシバではあったが、こういうところはキッチリとしている。


 けれども今は男の名前を呼びたくなくて、わざと粗暴に「お前」などと語気を強めに呼びかける。


 効果はてき面で、準構成員の男は、組織の正式な構成員であるシバの物言いに、明らかに怯えた目を向けてくる。


 しかし男がこちらに恐怖を覚えているかどうかは、正直怪しいものだとシバは踏んでいた。


「こいつはな、チンコついてねーけどオンナじゃねえんだよ」

「は、はい……?」

「それにな、こいつはこう見えてもボスの気に入りだ。ヘタな目ぇ向けんじゃねえよ。わかったか?」

「は、はいっ!」


 シバがすごめば、男は居住まいを正してから何度もうなずいた。


 シバがこれほどまでにイラ立ちをあらわにしているのには、いくつか理由があった。


 ひとつ、組織のトラブルシューターとしてこの準構成員の男の「お悩み相談」を引き受けることになったこと。


 ――クソめんどくさい。


 シバの内心はそのひとことで言い表せる。


 ひとつ、男の「お悩み相談」の内容のせいで、マギサを呼び出すハメになったこと。


 ――まったく、ツイていない。


 マギサはことあるごとにシバを友達扱いし、友達であることを強調し、シバがなにをしても「友達ポイントが上がった」などと奇矯な物言いをする変人である。


 けれども先ほどシバが言ったように、マギサはシバと準構成員の男の頭に立つ、ボスの気に入りだ。無碍にはできない。


 フリーターを自称してはいるものの、働いているところをあまり見たことのないマギサは、シバの呼び出しに一も二もなく応じて飛んできた。


「友達が呼んだら飛んで行くものなんだよ」


 「暇人なのかよ」というシバの嫌味は当然のようにかわされて、代わりとばかりに返ってきたのが上記のセリフだ。


 そして、シバがイラ立つ理由の、最後のひとつ。


 マギサを伴って準構成員の男と落ちあえば、男はチラチラとマギサばかりを見やるのだ。


 シバは、マギサのことを美人だとは思っていない。


 明らかに胸はないし、尻も薄い。


 いつもニコニコと弧を描いている双眸は糸目だし、モデルみたいに背が高いどころかその逆で、ローティーンくらいの身長しかない。


 けれども、準構成員の男が鼻の下を伸ばしたくなる気持ちは、シバには少しだけ、ほんのちょびっと少しだけ、理解できる。


 品のいい所作だとか、纏う雰囲気だとか、そういうものから美しさが漂ってくるようで、近寄りがたさと征服欲、両方を刺激されるのだ。


 準構成員の男もそうなのだろう。


 「クソつまんねー」男の「お悩み相談」もシバをイラ立たせる要因のひとつであったが、シバにとって一番我慢ならなかったことは、それだった。


 ただし、シバは口が裂けてもそんなことは言わない。おくびにも出さない。


 恋愛感情のあるなしを置いておいても、マギサを特別に思っているだなんて、死んでも知られてはならないことだとシバは思っている。


 シバにとってはそれは墓場まで持っていくどころか、冥府まで行っても手放せそうにない秘密なのだ。


 それは単純に今まで散々無碍に扱ってきたのに、という気恥ずかしかったからでもあったし、マギサの複雑かつ曖昧な性別のせいでもあった。


 シバは未だにマギサが男か女かわかっていなかったし、恐らくマギサ自身もそうなのだ。


 男性器がついていないことは知っているが、乳房があるわけでもない。


 マギサは女かと聞かれれば否定するし、男かと聞かれても否定する。


 だからシバはマギサを女扱いもしなければ男扱いもしていなかった。


 けれども、準構成員の男には、あえて彼が誤解するような物言いをした。


 そしてシバが意図したとおりに準構成員の男は誤解したらしく、ようやくマギサにチラチラと視線を送るのをやめた。


「シバってばひどいよね。友達の秘密を勝手に暴露しちゃうなんてさ」


 準構成員の男を帰したあとにマギサはそう言ったが、その顔にはいつも通りにニコニコと笑みが浮かんでいる。


 そんなマギサの様子を見るたびに、シバはなぜ己はこの奇矯な人物を特別に思っているのかと舌打ちをしたくなるのであった。


「うるせえ。暴露されたくねえ秘密なら墓場まで持っていけ。ひとの口に戸は立てられねえんだよ」


 そのセリフはマギサへの言葉であり――シバ自身に向けた言葉でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る