あなたがいてくれるから
桔梗 浬
気持ちに素直になることは難しい
「あのね。私好きな人が出来たの。だからね。もう
「えっ?」
レトロな喫茶店で、私は
私の大好きな
「今、何て言ったの?」
「ごめん…」
「ごめんじゃなくて」
「もうね、会えないって言ったの。ごめん、行くね」
それだけ伝えたかったの。と言って私は喫茶店をあとにした。本当はもっと話たい。今まで本当にありがとうって言いたい。でもそれはできないのだ。そう決めたから。
私は目にいっぱい涙を溜めてひたすら歩いた。すれ違う人たちが不思議そうな顔で私を見ていても構わない。
どうせ私はもうじき死ぬのだから。
* * *
『レベル4ですね。大学病院を紹介するので…』
先日の先生とのやり取りが頭から離れない。私は手術をすることになる。もしかしたら長期の闘病生活が待っているかもしれない。もしかしたら来年の桜は見れないかもしれない。もしかしたら…。悪い事ばかりが頭の中で繰り返される。だって、私は余命を宣告されたも同然だったから。
帰り道、カップルが楽しそうに手を繋いで歩いているのに出くわした。すごく幸せそうだ。私も
でも、すごく幸せだった。
そして、こんなことになった原因と病名を、ネットで検索する。どれもこれも辛いことばかり。私には症状が該当しないから、大丈夫だよ! でも…こっちは私の症状と同じ…と、気持ちはジェットコースターの様にアップダウンを繰り返す。キリがない。だからとっても疲れるのだ。
気を取り直し、スマホの電源を切る。そして誰もいない部屋で一人、部屋の片づけを真剣に行う。だって、もし病院から戻ってくることがなかったら、見られたくない物は山ほどある。捨てられるものは捨てる。そう決めたのだ。
「これで、よし」
仕事もとりあえず2週間休む手続きをしたし、入院の準備もある程度できている。私は奇麗になった部屋のベッドの上で目をつぶる。興奮して眠れない。
どうして私が? 何がよくなかったの? 健康には人一倍気を付けてきたのに、
「会いたいよぉ…。ごめんね
私を忘れないでねって思うのに、早く忘れて違う子と幸せになってね、なんて矛盾した思いが交差する。もうぐちゃぐちゃだ。
涙がツーっと流れ落ちる。涙って暖かい。
* * *
入院当日、スーツケースをガラガラいわせながら、入院棟で手続きを行った。手術前の検査入院。ベルトコンベアに乗せられた商品のように、淡々と検査が行われる。
そして病室には、とっかえひっかえ担当医の先生たちが手術について説明をしに来てくれた。どの話も難しくてよく分からない。そしていろいろな書類にサインさせられた。
「疲れた…」
「疲れたでしょ~。大丈夫ですか? もう今日は何もないのでゆっくり体を休ませてあげてくださいね。あと爪。爪を短く切っておいてくださいね。せっかく奇麗に伸ばしてるけど…、またすぐ伸びるから、潔くね!」
「はぁ~い」
私はしぶしぶ、看護師さんから爪切りをうけとる。私が爪切りを受け取ったのを確認して、看護師さんは嬉しそうに今度は隣の患者さんのところにお薬を届けに去って行った。
『奇麗な指をしているね』
ダメだ…、気持ちが落ち込む。
私は持ってきた本を読んで時間を潰すことにした。そろそろお見舞いの人たちが帰る時間だ。明日母がこっちに来ると言っていたけど、会うのが辛い。何でもないフリをするのはとっても疲れるのだ。
「
幻聴だ。
「
「えっ?
幻覚なんだろうか? 病室に
「なんで…ここにいるの?」
「LINEしても連絡が取れなかったからさ、小雪ちゃんに聞いたんだ。小雪ちゃん、すごく心配してた。
「あ…、ごめん。」
気まずい空気が流れてる。お隣さんはきっと耳をダンボにしているに違いない。
「
「あ、あぁ。起きて大丈夫なの?」
「うん。大丈夫だから」
談話室は誰もいなかった。窓からは都内の夜景が見える素晴らしい環境だった。ここが病院じゃなくて、病気でもなくて、
何て言えばいいんだろう? 私の嘘はバレてるのかな? 本当は素直に「ありがとう」って言えばいい? でもそんなことをしたら、別れると決めた私の心が揺らいでしまう。泣いてすがってしまう。私を忘れないでって。そんな重たい女にはなりたくない。
「
「
「
「私は大丈夫だから」
全然大丈夫じゃない。不安で怖くて叫びだしたい。でも心配かけたくないの。わかって。だから…私の心が折れる前に帰って…お願い。
「
それなのに、私は
「俺が側にいる。
「
ダメだ…
私はボロボロ涙を流していた。そして嗚咽しながら泣いた。
「私、わたし…、本当は怖いの…」
「うん」
「私、死んじゃうかもしれない」
「うん、人はね、誰でも死ぬときは死ぬんだよ」
「髪の毛もまつ毛も全部抜けちゃうかもしれないよ。むくんで今以上にブスになっちゃうんだよ」
私は不安に思っていること、
「
「でも、もうえっちもできなくなるかもしれないんだよ」
「うん?」
「ほら…やっぱり嫌でしょ?」
私はやっぱり一緒にいちゃいけないんだって思う。後で悲しい思いをするくらいなら、今別れてしまった方がいい。
「それに…
だって
「あのね、怒るよ。そんなのどうでもいいじゃない。一緒にいれたらどうにでもなるもんだよ」
「でも…」
「俺が一緒にいたいって思ってるんだよ。そんな理由だけじゃダメなのかい? 辛い時も何かに怒りたくなった時も、全部俺にぶつければいい。そうして欲しいんだよ」
「本気で言ってる?
あ~もぉ、何て言えばわかってくれるんだい?って、
「
「
そう、私は
「ね。俺といると、良いことがいっぱいあるよ。信じて」
何処から来る自信なのかさっぱりわからないけど、私は泣いて笑う。
「笑うか泣くか、どっちかにしたら?」
※ ※ ※
「宮崎
「えぇ、まぁ、婚約者です」
「よかった。手術は無事終了しましたので、病室にもう少ししたら戻ると思います。まだ麻酔が効いていますが」
担当医の先生らしき人が早口でまくし立てる。
「あの…」
「あぁ~、大丈夫ですよ。細胞壁の検査をしてからでないと最終の判断は難しいですが、癌のステージとしては2もしくは3の前半といったところでしょう。なので治療も本人が心配していたものより軽くすみそうです」
「えっ? あ、でもレベル4って…」
「えっ? あぁ~ちゃんと説明したんだけどな」
先生は白衣のポケットに手を突っ込んで、少し困った顔をしている。恐らくパニクった患者によくある話なのだろう。
「今後の治療方針はまた2週間後に。では。よかったですね」
「あ、ありがとうございました」
そう言うと先生は部屋を出ていった。この後も手術が立て込んでいるのだろう。
そして…あの日渡せなかったモノを、渡そう。
END
あなたがいてくれるから 桔梗 浬 @hareruya0126
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