第5話 路地裏の追走

 影は路地裏を必死に逃げる。フードをかぶり、黒いマントを翻して必死に逃げた。

 

 違和感を感じたのは団長フレデリックが街の人達に呼び止められたときだった。ずっと一定の距離をとって尾行けてきている奴がいる。

 フレデリックは最初から気づいていたのかも知れない。チェスカとの馬鹿なやり取りをしながら、そういえば歩調を時々変えていたな――と走りながらホークは振り返る。

 街角で立ち止まって飲み始めてから、違和感はより大きくなった。ワイワイ騒いでいる街の人をよそに遠巻きに見られている視線を感じた。ホークの戦士としての野生の勘がそう感じさせたのかも知れない。

 即席のお立ち台に上がってどでかいエールを飲みながら目の端で視線を送る主を探した。その気配を察知して、その場を離れる影をホークは見逃さなかった。


 逃げる、ということはやはり俺たちを監視していたのだろうか。

 俺に思い当たることはないが、団長は色々とヤバいこともしていそうだからな。

 「それにしても…」

 相手の足が速い。制服に胸甲のみの軽装とはいえ、鎧を着ていることには変わりない。

 全速力で追いかけるのも楽じゃないな。

 第一、さっき飲んだビールで腹がタプタプだ。


 そんなホークをよそに、影はそちらの角を折れ、あちらの角を入りと縦横無尽に逃げ回る。

 路地を一本入ればそこは庶民の暮らす下町だ。

 路地の往来にテーブルを引き出して昼間からエール片手にチェスを打つ爺さんたちがいる。

 「待った!その手はいかん」

 「なんじゃ、これで五回目じゃぞ」

 「待った、待った、とにかく待ったじゃ」

 爺さんたちが睨み合うチェス盤の上を踏み越え、影が逃げる。

 テーブルが倒れ、駒が飛び散った。

 「コリャ!もう少しでワシの勝ちじゃったのに!!」

 ホークも怒る爺さんたちの間を飛び越え、尚も追う。


「お前か!ホーク!!何やっとるんじゃ!!」

「悪ぃ、悪ぃ、取り込み中なんだ。またな!」

 いつの間にか下町に入り込んでいた。この辺りは士官学校時代にホークが寄宿していた場所だ。三年住んだ聖都の下町は庭みたいなものであった。


 相手の取り乱し具合でこの辺に土地勘がないのが丸わかり。

 ってことで…

 「そら、いきどまり」

 逃走者は目の前にそびえ立つ高い壁に途方に暮れていた。

 「なんで俺たちの様子を伺っていた?狙いは団長か?」

 ゆっくりと、用心深く相手の出方を伺う。


 カチリ


 静かな路地裏に金属の音が短く響いた。

 相手は背中を見せているが、どうやら剣を持っているらしい。

 さっきの音は鞘から刀身を引き上げた音だろう。

 ホークは警戒感を強めると、自らの剣に手を添える。

 相手をこれ以上警戒させないよう、音を立てずに――


 「もう一回聞くぞ。それともこちらの言葉がわからないか?」

 外国人――という線もあるか。辺境で他国からの野盗を追い払うことも少なくはない。その線の恨みということもあるだろう。


 一歩、一歩とゆっくりと近づいていく。


 チャリ……


 こちらからは見えないが、剣を抜きやすいように横にしたのだろう。

 上手く体で隠して初手を悟らせないようにしている。

 腕に覚えがある――そんな所作だ。


 「なぁ、俺は話が聞きたいだけなんだ。物騒なことは止めに…」


 ガチン


 刹那、硬い金属同士がぶつかりあう音が響く。薄暗い路地に火花が散った。

 相手は振り向きざまにこちらの足元に飛び込み、剣を切り上げてきた。

 咄嗟に鞘から半身を抜いてそれを受け止め、そのまま振り払う。

 相手は元の位置に下がり、剣を構えている。


 「やり合うってか…?いいぜ相手になってやる」


 剣を構える。相手は背の割に思ったよりも小柄だ。斬撃が軽かった。

 だが、その分、動きは素早い。


 ガンッ


 また、相手から仕掛けてきた。

 弾き返すと、その反動を使って鋭い斬撃が何度も繰り出される。

 避けつつ、こちらも斬りつけるが、相手は受けず何度も斬りつけてくる。

 やたらめったら剣を振り回しているように感じるが確実に急所を狙ってきている。

 斬撃が軽くても、腱や血管を切り裂くのには十分だ。

 何度も剣同士がぶつかり合い、鋭い金属音が響いた。


 『なんだ……コイツ……』

 俺は違和感を感じた。

 急所を狙う割には殺意があまり感じられない。

 俺を倒そう、というよりもスキを見て逃げよう、という意思を感じる。

 であれば、俺の敵じゃないな。


 殺意がないのなら大げさに避けてやる必要はない。

 斬撃をいなしながら、ジリジリと壁際に追い込んでいく。

 それに焦ったのか、雑な斬撃が目立つようになった。

 そこを俺は見逃さない。剣を弾くと相手の剣は弧を描いて俺の後ろに飛んでいった。


 ドンッ


 相手の襟首を掴むと壁に押し付ける。

 ぎりぎりと腕を首に押し当てて締め上げた。

 「さぁ、なんで俺たちを監視してた?」

 思った以上に軽い。

 「……っ……ひ、姫様は……どこ……に?」

 苦しそうに言葉を紡ぐ。

 「姫?姫って何だ?……ってか、お前、女か?」

 乱暴にフードをはぎ取るとそこには見事な銀髪の少女が現れた。

 壁に押し付けられ、足は地面から数センチ離れている。パタパタと足を泳がして地面を探していた。

 恨めしそうな目でこちらを睨んでいる。


 青い――透き通るほどに青い目をしている。

 一瞬、我を忘れて見入ってしまった。

 「……」

 少女は黙ったままこちらを睨み返すだけだった。

 吸い込まれそうなほどに、透き通った瞳で――


 その時、だった。

 けたたましく街中の鐘が打ち鳴らされる。

 聖都には無数の鐘楼がある。教会や騎士団の施設に塔が設置されており、遠目から聖都を見ると針山のような景観である。

 日常では一日三回、朝と正午、夕刻を告げる鐘が打ち鳴らされるが、この時の鐘の音は違った。

 トンカチで鐘をガンガン打ち付けるような短い警鐘が街中に響いている。


 「……っ、先手を打たれたか……」

 少女は吐き捨てるように言った。

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