涙の数だけ強くなれ

紫田 夏来

涙の数だけ強くなれ

 手が震える、心臓がドキドキする。やっぱり、私は授業に出られない。早く逃げたい、ここから出たい。

  

 両親にも一緒に診察室に入ってもらい、自分の症状を伝える。両親から見た私の様子も主治医に伝える。私の主観だけでは、説明が不十分な場合があるから。

「結城さん、結城更紗ゆうきさらささん、診察室にお入りください。」

 主治医の声だ。私と両親の三人は椅子から立ち上がり、いつもの小部屋に向かった。

 ドアを開けると、いつもどおりの微笑みを浮かべ、こんばんはと互いに挨拶した。

「1週間、どうでしたか?」

 主治医は私に問いかける。

「前と変わらず、授業にはほとんど行けてなくて。昨日の1限だけは一応出席したんですけど、手が震えて、心臓がバクバク音を立てていて、もう講義室から逃げ出すことしか頭で考えられなくなって、講義が終わったらすぐにトイレに逃げ込んだんですけど、それでもすぐには落ち着かなくて。2限以降は欠席しました。」

 うーむ、と主治医は言うと、少し考えるそぶりをしてから、口を開いた。

「ご自身ではどうしたいですか? 大学に行きたいけど身体がついてこなくて行けないのか、そもそも行きたくないと思っているのか。それによって方針はずいぶん違ってくるんですよ。」

「正直、わからないです。」

 私は、自分でも私の気持ちがわからない。

「今の状態ですと、コンディションが悪いから学校に行けないのだとすると、まずはそれを整えないことには治らないんですよ。前回の診察で言ってらしたように頓服が効かなくなっているなら、入院も視野に入れなければなりません。またはただ単に行きたくなくて行けないのであれば、カウンセリングなどで気持ちを整える必要があります。

 更紗さんは今どういう気持ち? やっぱりわからない?」

「わからないです。」

「学校で勉強する以外に、何かやりたいことがあるとかも、ない?」

「何もないです。本当に、ただ人が怖いだけ。」

 母が口を開く。

「更紗には、ゆっくり休む時間が必要なのでしょうか? この子、学校にもどこにも行かずに家でずっとだらだらしてるから、そんなこと思っちゃいけないのかもしれないですけど、どうしても見ててイライラしてしまって……」

「お母さんがそう思ってしまうのも仕方ないですよ。親とはそういうものです。

 そうですねえ、まず必要なのは自分探しかもしれませんね。

 本当に、本当に、やりたいことはない?」

 執拗に私のやりたいことを訊かれると、どうしても責められているような気分になってしまう。私の顔を正面から見つめている主治医は、そっとティッシュ箱を差し出してくれた。

「更紗、今は、そういう、変なことを考えたりしないのか?」

「……」

 主治医が父の発言に乗っかる。

「ない?」

「もう出てってよ……」

「なんて言った?」

「出てって。」

「え?」

「出ていけ!」

 声を荒らげた私を見て、両親は慌てて診察室から逃げていく。足音が聞こえないのを確しかめて、私は自分の膝を見つめながら話しだした。

「私、自分の気持ちがないんです。私には何もないんですよ。昔から、なんにも。」

「趣味とかないの?」

「趣味……?

 ないです。好きとか嫌いとか。」

「そうかあ、よっぽど嫌な思いしてきたんだね。」

「……」

「学校は、行きたくない?」

「別に、どっちでも、行かなきゃいけないんだからやるしかないじゃないですか。」

「そんなことはないよ。」

「?」

「がんばってきたんだね」

 主治医と話すあいだ、いくつもの感情の雫が零れ落ちた。理由は、わからない。

「大丈夫。大丈夫、更紗さん。」

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涙の数だけ強くなれ 紫田 夏来 @Natsuki_Shida

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