悪役令嬢の弟、ブランリッシュ·アイレッド


 物心ついた頃から僕の後ろに姉がいた。まえにりょうしんがいて、馬鹿みたいに僕のことを甘やかして育てた。僕が何をしても怒らなかったし、小さなことでも大袈裟に褒め称えた。その分勉強や習い事は詰め込まれ厳しかったが貴族という身分を考えれば当然のことだった。

 そんな風に僕を猫可愛がりしながら両親は姉のことを視界にいれることすらしなかった。食事の時間ですら別々で僕は最初姉を姉とすら認識していなかった。僕に似た知らない女の子が何故か家にいるという認識で、使用人たちの話を聞いて姉を姉だと知っときは酷く驚いたものだ。

 そして興味を持った。話したいと思い話しかけようとして気付いたのは姉がとても冷たい目をして僕を見ていたこと。そして姉を何て呼んで良いのか知らないこと。

 今まで周りに姉のことを呼ぶ人は居らず、姉の名前を僕は知らなかった。

 それは、五歳の時の事。

 あの頃から既に僕らは家族であって家族でなかった。姉に何度か話しかけようとした。だけど見つめてくる冷たい目が怖くていつも言葉を飲み込んだ。周りにいる兄弟はみんな仲睦まじく共に遊んだりしているのをみるのに、僕らの間にはそんなものは存在しなかった。それが寂しかった。勇気を出して声をかけても姉がそれに振り向いてくれることはなかった。いっそう寂しさを感じた。どうして僕を見てくれないのと姉を酷い人だとも思った。

 姉がどんなに苦しい環境にいてどんな思いをしていたかも知らずに僕は一人姉を悪者にした。

 姉の辛さを知ったのは七年前。姉が九歳で僕が八歳の時。そう僕らの立場が、姉がセラフィード様との婚約したことによって入れ替わってしまった時からだった。

 姉がセラフィード様と婚約すると両親は今まで放ったらかしにしていた姉に関心を写し、僕にしていたのと同じように甘やかすようになった。何をやっても誉め称えねだればなんでも与える。そのかわりに僕は捨て置かれた。声をかけても無視され、傍によれば邪魔そうにしてあっちへいけと追い払われた。あの人たちから僕の名前を聞くこともなくなった。共に食事をしていたのもあの日から食堂に僕の席はなくなり、一人部屋で食べるように……。

 使用人たちも僕を遠巻きに見るようになり近づいてくるものは一人もいなかった。

 僕は広い屋敷のなかで一人ぼっちになった。

 この時になって僕はようやく姉が僕を見つめていた視線の意味に気付いた。姉は僕が憎かったのだ。両親に愛される僕が憎くて、そして寂しかったのだと。

 姉と同じ寂しさを味わって気づいた僕はだからこそ余計に姉の優しさを求めた。この寂しさを知っている姉ならば僕を助けてくれるのではないかと、話しかけて手をさしのべ優しくしてくれるのではないかとそう思ったのだった。

 今にして思えばそれはとても自分勝手な考えでお前何様だと云われてしまいそうなものであったが、あの頃の僕にはそんなことを考えることは出来なかった。兎に角寂しかった。

 それだけがすべてだった。

 助けてと願い姉を見ただが姉は僕を助けてくれようとはしなかった。当然だ僕も姉を助けようとしなかったのだから。でもあの頃の僕はそれを当然と思えなくて姉を憎しみ始めるようになっていた。あの頃、助けてと言うように何度も姉の元に近付いて声をかけた。姉は婚約が決まってからすぐに勉強やお稽古にせいを出すようになり一人部屋にこもってることの方が多かったのだけど、それでも隙を見ては姉に話しかけた。振り向く姉はいつも冷たい目をしていた。興味ないような瞳で僕をみて忙しいからと言って去っていてしまう。

 その背を見つめながら僕は僕からすべてを奪ったのは姉だと思うようになっていた。父や母の感心を奪い僕を一人にした最悪な人なのだと。だけどそれを誰かに言うことはできなかった。姉の悪口を言えば両親には殴られ、使用人には青ざめられ口を抑えられた。余計に姉が憎くなった。

 僕が姉を憎んでいるうちに姉はどんどん凄い人へとなっていていた。周囲から天才と呼ばれるようになり、この国一の才女、そしてこの国一、いや、世界一のご令嬢。まさに王妃となるために生まれた存在と様々な人から畏怖や尊敬をもって褒め称えられるように……。その影で僕はあの姉の弟なのに、弟君は姉と比べるとぱっとしませんなと言われるようになっていた。

 姉をますます嫌いになった。何もかもが姉のせいに思え姉がいることが苦しくなった。そんな頃セラフィード様たちが僕と同じように姉のことをうっとましく思い始めていることに気付いた。セラフィード様もその事に気付き僕はセラフィード様と仲良くなった。セラフィード様たちと姉の悪口を言いまくった。そうしたら心が楽になる気がした。

 僕らの世界で姉は歪み姉は最低最悪な人間へと成り下がっていた。そしてそれが本当の姉なのだと僕らは信じこむようになった。

 その事が間違いであったと突き付けられたのはあの学年度末のパーティーの日。姉の本性を暴いてやろうと歪んだ熱意を燃やしていた僕に冷や水が掛けられた。グリシーヌ。あの先生が言うことはどれも正しくだからこそ苦しく受け止めるのに時間がかかった。

 ちゃんと受け止められたのは姉がセラフィード様との婚約を解消してからの事だった。

 王子の婚約者でなくなった姉を両親は必要のなくなった駒として判断した。両親から姉への関心が消えた。姉は両親のなかで僕より下の地位に落ちたのだ。それにより姉は両親から話し掛けられることがなくなり、代わりに僕が話し掛けられるようになった。食事もまた共にするようになってその時始めて先生の言葉すべてを受け止めた。僕が間違っていたことを認めることができて、それからこいつらのせいだと思った。全部こいつらのせいだと両親をみて思うようになった。両親が嫌いになった。大嫌いになった。

 だけどどうしていいかわからなかった。何で今さら優しくするんだ。僕はお前らのせいで寂しかったんだと思いながらも、優しくされ、愛情ではないもののそれににたものを与えられてそれをとても嬉しいと思ってしまったのだ。振りほどけなかった。憎くても大嫌いでも振りほどけなくてどうしていいのか悩んでいたとき、気付いてしまったのだ。

 あのパーティーの日のことで一つだけ納得できないことがあってそれをずっと調べていた僕はある日気付いてしまったのだ。姉はあの日自分が悪者になるつもりだった。最初からそのつもりだった。僕らが何をするつもりか全部わかっていて事前に止める術も持ちながらあの場にやって来た。それがどうしてなのか、僕は何故か分かってしまった。

 姉は憎かったのかと納得してしまった。

 この家が、両親が僕が嫌いで嫌いで仕方なかったのだ。だから壊そうとした。自分を使ってでも僕らを全員殺そうとした。

 止めてしまったようだが今度は僕がそれをしようと思った。それで色々やってみた。本気で壊そうと思ってヤバイことにも色々手を出したけど、……でも本当は半分以上本気でなかったことに気付いてしまった。

 姉が僕の前に自分からやって来たとき僕はやっとかと思った。胸の奥が震えた。姉が自分から僕の前にやって来るのは始めてでそれがとても嬉しかった。喧嘩をしようと言われたときは驚いたけど、姉と声を張り上げ自分の思いを言い合うのには酷く高揚した。楽しかった。嬉しかった。こんな時間がもっと続けばいいと言い合いながらも思った。

 姉と会話をするのが楽しくて少しでも会話の時間を長く伸ばそうとしていた。

 話ながら僕は分かったのだ。僕は最初から姉が僕の前に来るのを待っていた。姉とちゃんと向き合って話せる日が来るのをずっと長いこと待っていたのだ。これを最後のチャンスだと思っていた。そして姉はやって来た。

 姉と話ながら僕はあのグリシーヌ先生のことを思い出していた。パーティーの日の後日、僕はあの先生に一度話し掛けられたことがある。シスコンも大概にしとけよと。そのときは何を言っているのだろう。頭は大丈夫かと思ったものだが、なるほどそれも今なら分かる。

 僕は姉が嫌いではなく姉が好きだったのだ。

 幼い日、姉に話しかけようと姉と話したいと思った気持ちを抱いたまま生きていたのだと。歪んでしまいながらもそれはちゃんと残っていたのだ。

 だから姉が望むなら本気で壊してもいいかなと思っていた。でもそうでないなら止めようとあっさりと思えた。葛藤はある。家は嫌いだ。これから何をしていけばいいかもわからない。でも姉と話せてきっとこれからは普通の兄弟のように過ごせるのだと思えばそれだけで満足だった。

 それに何をしていけばいいかは分からないが、やりたいことなら一つだけある。

 僕は姉が好きなのだ。好きなのだ。だからあんな屑と姉を結婚させるのだけは嫌なのだ。絶対に結婚を阻止して見せる。どうすればいいかわからないけれどきっとできるはずだ。

 だって僕はあの姉の弟。

 この国一の淑女であるトレーフルブラン・アイレッドの弟、ブランリッシュ・アイレッドなのだから


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