木漏れ日を浴びる

日永ネオン

嘘であれ

「も~い~くつ寝~る~と、な~つ~や~す~み~」

 セミの鳴き声をBGMに、上手とは言い難い歌声が教室内に響く。数人の男子生徒がゲラゲラと笑っていると、女子生徒たちの視線が段々と冷ややかになっていった。それが、たった三ヵ月と少しで決まりきった『いつもの光景』。深い男女の溝は、当たり前のものだった。

「すごいよなぁ……」

「だなぁ……」

 もちろん、その集まりに全員が所属しているわけではない。少し外れた場所に座っている三人組は、わざとらしく視線を逸らしながら会話をしていた。

「五十嵐には羞恥心ってものがないんだろうな」

「あいつの兄貴、クソ真面目の生徒会長さまだったからビビッてたのに。蓋を開けてみりゃアレって。やばくね? 」

 陰口を聞きながら、手元の本を指でペラペラとめくってぼんやりと男子たちを眺める。服装はいたって真面目、髪は長くもなく短くもなくの模範的生徒だ。真面目さがうかがえるというのに、笑い方はバカ丸出し。野球部にでもいそうな豪快さだ。

 うっとうしいほど長い自分の前髪をよけると、彼らの方から横の二人へ視線を戻す。

「ま、あぁいうような奴が文化祭を勝手に進めてくれるからいいんだけどさ」

 そう言うと片方は大きく頷き、もう片方は首を傾げた。

「どうせこの後のロングホームルームもあいつらが回してくれるだろ。寝ていようぜ」

 そう言って机に突っ伏すと、頭上から二人分の笑い声がする。

「一條さぁ、それで万が一にも女装メイド喫茶とかなったらどうするんだよ」

「お前らが阻止してくれ。多数決にあらがうんだ」

「圧倒的信頼をどうもありがとう」

 笑い声を聞いていると、不意に横からドサッとカバンが置かれる音がした。少し顔を上げると、立っていた二人が一條に近づいており、視界が男の尻で埋まっている。体を起こすと二人の隙間から美しい黒髪が見えていた。

「どいて、邪魔」

 黒髪が視界から消えると、そんな言葉が聞こえてくる。隙間が広くなると、ヘッドホンをつけてそっぽを向く女子生徒がいた。しばらくして小さな舌打ちが聞こえると、尻の壁が反対側へ移動する。それに合わせて視線を移動させると再び机に突っ伏して力を抜いた。

 突然、紺色だった視界が肌色になる。

「雰囲気変わったよな、二藤」

「去年は軽音楽部の女神莉世様だったのに」

 三人にしか聞こえないように話すも、後頭部何かが突き刺さる感覚が襲い掛かってきた。しかし今、彼女の方を向くことは不自然すぎるだろう。

 はねてしまった髪を整えるふりをしてそこに触れていると小さな舌打ちが聞こえてきた。肩が一瞬跳ね、そちらを向こうか悩んでいると、教室の前方からガラガラっと大きな音がする。静まり返った教室で、音の主が顔を赤くしていると、五十嵐が彼女の方へ歩いていった。

「三田ママどしたの? なにかトラブった? 」

「あ、えっとね。さっき六笠先生から伝言もらってて……次のホームルーム、多目的教室に移動って」

「ん、りょーかい。黒板に書いてたらいい感じ? 」

「うん、お願い」

 黒板にピンクの文字で『多目的室へGO』と書かれる。そして、黒板を叩くと全員がそこに注目した。

「総員、多目的室へいくぞ! 」

 それに、五十嵐の周りにいた男子生徒たちは「うぉぉぉぉぉ」と雄叫びをあげた。そして、勢いよく教室を出ていく。

「あ、待って、筆箱……なにか書けるもの……! 」

 三田の声が虚空をさまよい、どこに届くこともなく消えた。小さく息を吐き出すと、少し低い位置に白いチョークで文字が追加される。

 何人かの女子生徒が悪態をつきながらその場を離れた。一條の横からは、いつの間にか人が消えている。二藤の机には猫のシルエットが描かれた筆箱が残されていた。

「置いていくぞ」

 三田が入ってきたドアの方から声がする。取り残された筆箱に視線を向けるも、ポケットに最低限の筆記用具はあるのを確認してその場を離れた。

「ほんと、一條ってすぐぼんやりするよな。そのうちマジで置いていくぞ」

「悪い悪い。呼んでくれてありがとな」

「わかればよろしい」

 多目的室へ歩き出そうとしていると、一條の脇腹に重いものが勢いよくぶつかる。紺色のカバンが視界の隅に映った。あまりにも重い衝撃に、思わずつぶれたカエルのような声が出る。

「あ、おい。あぶねぇぞ四宮! 」

 すぐ隣からいらだちを含んだ声が聞こえてきた。しかし、カバンの持ち主は「マジか」とだけつぶやき同じ勢いで再びすれ違う。今度は腰に鈍い痛みが走った。

「大丈夫か、一條」

「くっそ四宮のやつ、イケメンだからって調子乗りやがって」

 痛みに耐えつつ立ち上がると一瞬明るい髪色の生徒が小走りで離れていくのが見えた。しかし、自分よりも怒っている様子の二人がいるため、謝罪を要求する気はとうに失っている。

「別に動けるから大丈夫だって」

「そうか? ならいいけど」

 困ったように眉を下げる彼に向け、一條は移動を促す。服についたホコリをはらうと一條も歩き出した。



「まぁ、察してるとは思うけど」

「文化祭の出し物っしょ。俺、メイド喫茶がいい! 」

 チャイムから一呼吸おいて担任が話し出すと、間髪入れず五十嵐を始めとする男子生徒たちが騒ぎ出した。文化祭という言葉のせいだろうか。ほかの生徒たちもそれを止めることなく喋り始める。口々に漫画やアニメでしか聞いたことのない単語を出していると二回ほどパンパンと音がした。

「はいはい騒がない。食べ物系は三年生優先だからダメ。その代わり、二年生はステージを使えるわよ」

 その言葉に再び教室内が沸き立つ。

「あぁもう、静かに。とりあえず付箋を配るから、それに出し物の案を書いてね。一つだけよ、五十嵐くん」

「なんでオレだけ名指しなんすか!? 」

 笑いが起こり、しばらくすると誰からか無言になり唸り声しか聞こえなくなった。

 できるだけ簡単に、自分が面倒な状況にならないこと。ボールペンを回しながら、一條はそんなことを考える。付箋を睨んでいると、机の端からトントンと音がした。その方向を見ると、妙にイライラした様子の二藤にジッと見つめられている。

「えっと、どした? 」

 声を抑えてそう言うと手を差し出される。

「筆箱、教室に忘れたから。貸してくれない? 」

 目を逸らすも、それに合わせて彼女も動く。仕方なく足元に視線を向けていると「すぐだから」と手が近づいてきた。

 唇をキュッと閉じると無言で胸ポケットからボールペンを取りそれを手渡す。彼女はそれを受け取ると、三文字ほど書いてすぐに返してきた。

「あ、ども」

 即座に付箋に向き直すも何も浮かばない。生徒たちの口から飛び出してきた女装メイド喫茶が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。しかし、それを書いて出すわけにはいかない。圧倒的に面倒だ。

「もう書けた? 六笠先生が回収するから、それまでに書いてね。白紙はダメよ」

 なぜだか視線を感じる。だが、一つだけいいものを思いついた。それならば軽音楽部にすべて押し付けられる。幸い、同じクラスには何故か楽器経験者が多い。

 勢いよくその三文字を書こうとすると紙がベリッと音を立てて半分になった。しかし、三文字くらいなら書ききることができる。

 真横からビニール袋の音がすると、それに向けて雑に入れた。あとは決定を待つだけ。机に突っ伏して時間経過を待とうとしていると、横から鋭い視線を感じる。落ち着かないため、仕方なく肘をついて黒板に目を向けた。

 ぼんやりとしていると自分が書いた文言も書かれる。すると、何やら教室がざわつき始めた。

「これ絶対決まった」

「票少ないけどありじゃん」

 何のことを話しているか目星をつけるべく文字列を凝視する。想像通り演劇や合唱、漫才など無難なものからコスプレコンテストのような変わり種まで。どんどん追加される文字の中に、とある単語を見つける。

「バンドだって」

「面白そうじゃん」

「軽音部まだ目立ちたいのか」

 それが、ざわめきの原因のようだ。集まっていないはずの視線が痛い。

「はい、これで全部ね。似てるなってものをまとめて、不可能なものは消していくけど……一人じゃ大変ね。六笠先生と、三田さん手伝ってくれる? 」

 そう言うと、三人の手により黒板の文字たちが消えていく。そのたびに落胆の声が聞こえてきた。中には銃で撃たれたかのような断末魔も聞こえてくる。しばらくすると黒板消しが置かれ、椅子の音がした。溜息をこぼすと担任は紙を見ながら話し始める。

「先生言い忘れてたわ。容姿を評価するものや食べ物を粗末にする可能性があるものは禁止なのよ」

 黒板にびっしり書かれていた文字は半分にも満たなくなっている。

「えー、なんでさ。盛り上がるだろ」

「そういうルールなんだよ、最近いろいろうるさいから。ほんっと、自由とは名ばかりだよね」

「先に言ってくれや」

 六笠と五十嵐をキッとにらみつけると、担任は黒板を指先で叩く。カラフルな紙を出すと、もう一度声を張り上げた。

「ほら、また付箋配るから。早く投票して、時間が」

 そう言いかけたところでチャイムが鳴る。音と同時に、担任は肩を落とした。

「あぁもう、早く書いて帰り際に袋の中に入れて。放課後開封して明日のショートホームルームで発表するから。実行委員は残って」

「起立。……礼」

 号令とほぼ同時にドアが開き、蜘蛛の子を散らすように生徒はいなくなった。ボールペンをポケットに入れて席を立つと、とっくに友人二人はいなくなっている。ドアへ向かう人の波に押し出されてしまったのだろうか。そう思いつつ歩き出そうとすると、不意に肩をつかまれる感覚がした。

「何? 」

 不機嫌を隠すことなく振り向くと。ヘアーワックスの香料が鼻に入ってくる。強い柑橘類の匂いに顔がゆがむのがわかった。

「一條、やっぱ忘れてんだろ」

 いたずらっ子のような笑みを浮かべている五十嵐は、一條の肩をグイッと自分の方へ引っ張ろうとしてくる。思考を巡らせていくうちに、どんどんドアから離れていった。

「お、五十嵐サンキュ。いやー、危なかったよ一條くん。あと少しで、放送呼び出しコースだったね」

 軽快な声で六笠がそう言うと、五十嵐はそれに応えるように笑う。ようやく肩から手が離れ、姿勢を直すと何とも言えない顔ぶれが並んでいた。そもそも何を忘れているのだろうか。

「委員会を決めたのは一学期だし仕方ないんじゃないかな。私と五十嵐くんが覚えていたのが奇跡だったのかも」

「二藤と四宮もオレが捕獲した」

「いやー、五十嵐に感謝感激雨あられ。先生の負担を減らしてくれてありがとう」

 ひょうひょうとした態度で六笠は二藤の頭をなでる。舌打ちが聞こえるも、手は離さずプリントを見ながらふぅっと息を吐き出した。

「んじゃ、改めて。文化祭実行委員はこの五人でよさそうだね。君たち忘れすぎじゃない? 何も考えずに委員会決めたでしょ。不人気には不人気の理由があるのだよ」

 その言葉に、一條は思わず目を逸らす。じゃんけんが面倒なあまり、誰も希望していなかったところに名前を書いた。体育委員会はクラスの中心にいるような男子、図書委員は真面目な女子ですぐに枠が埋まる。実際そうだったが、文化祭実行委員が不人気だったのは盲点だった。そもそも、自分がどこに名前を書いたかすら覚えていない。

 一瞬視線を上げると、二藤と四宮もうつむいているのが見えた。

「まぁ、五十嵐以外はラッキーと思うかもしれないね。合法的にステージに立つことを回避できるのだから」

 その言葉に二藤と四宮、そして一條の視線がパッと上がる。代わりに、五十嵐の表情が曇った。

「マジで? 」

「うん、合唱なら君らも参戦することになるけど、演劇なら全員の役職やら小道具、大道具の管理に材料購入などなどエトセトラ。とてもじゃないけど主役なんてできるわけないし、脇役すら難しいんじゃないかな」

 六笠がそう言っていくうちに、五十嵐の肩がどんどん下がっていく。暗雲を背負い始めた彼を、全員が見なかったことにする中、六笠はにやりと笑って指をパチンと鳴らした。

「じゃあ、みんなの反応が良かったバンド演奏になったら、実行委員でオリジナル曲を作るのはどうかな」

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木漏れ日を浴びる 日永ネオン @neon0829

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