図書館前転倒事件

そうざ

Falling down Accident in front of the Library

「じゃあ……文庫本の背の部分で眉間をっ、ガンッ!!」

「イッテ~ッ」

「しかも京極夏彦の分厚い奴。はい、お前の番」

「じゃあ、じゃあね……転んだタップダンサーの踵が小鼻にっ、ガンッ!!」

「ギャ~ッ」

「うるっさい!」

 部長が机の向こうから

「人が一人、怪我を負った事件だ。不謹慎だぞ」

「ちぇっ、さっさとお題を消化しようとしただけじゃんか」

「毎回大変なんだよ、三つもさ」

「訳の分かんない事を言ってないで、もっと真面目にやってくれますか?」

 紅一点の副部長が澄まし顔で部長にくみする。


 事件は市営図書館の敷地内で起きた。

 国道から脇道に逸れ、そこから本館エントランスまで続く全長十メートルばかりの緩やかなスロープ。その中程辺りに常連の男性利用者(78歳)が俯せの状態で倒れていた。

 雨上がりの昼下りとあって目撃者は居なかったが、被害者はほんの数分前まで図書館を利用しており、その帰り道に発生した事件である事は間違いなかった。

 右の掌、右前腕部から右肘に掛けて擦過傷が認められ――。

「部長。左です。左手、左前腕部、左肘です」

「あぁ、そうか」

 左半身からコンクリートの地面に転倒したものと思われる。何者かに襲われたと仮定しても、被害者に防御創が見受けられない事から、単に突き転ばされた可能性もある。

 幸い、何れの傷も大事には至らずに済んだ。現在、被害者は入院中で――。

「部長。入院はしていません。レントゲン検査の結果、骨にも異常はないとの事で、その日の内に帰宅しています」

「あぁ、そうか」

 精神的ショックゆえか、自宅療養中の被害者は黙して語らず――。

「部長。もう元気ですよ」

「……あっそう」

 立て続けの突っ込みに部長が黙して語らなくなった隙に、冒頭の二人組が口を挟む。

「やっぱ死人が出なきゃ盛り上がりに欠けるよな」

「だよな~って、そんな事を言ったらまた怒られるぞぉ」

 部長が気を取り直して続ける。

「副部長。君はあの日、偶然にも図書館を利用してたんだね?」

 副部長は起立し、姿勢を正したまま手帳を捲った。

「はい、戦前の探偵小説の書架で物色していた時です。外が騒がしいので見に行くと、既に人集ひとだかりが出来ていて、被害者が介抱されていました」

 程なく救急車が到着。担架に乗せられる最中、被害者は呻きながら呟いた。

「ダンサー……確かにダンサーと言ったんだな?」

「急に出たっ、ダンサー!」

「それから、もう一つ気になる点が。被害者は文庫本を一冊借りていたんですが――」

「出た出たっ、文庫本!」

「その行方が判らないんです。所持していた鞄の中にもありませんでした」

「犯人が持ち去った可能性があるな……ダンサーの謎、文庫本の謎、これは難問だぞっ」

 静まり返る部屋。

 部長が三人の顔を見回す。

 三人も互いの顔を見回す。

 副部長が堪り兼ねて口火を切る。

「部長……やっぱりいつものように最新ミステリーの読書会をしませんか?」

「そうだそうだ、副部長ひとの祖父ちゃんの不幸にかこつけて捜査会議ごっこなんて不謹慎だ~っ、わ~っ」

「もう単なる事故って事で解決してんじゃ~ん、わ~っ」

 口を尖らせる部長。


 あの日、副部長は祖父と一緒に図書館を訪れた。その際、先に帰宅しようとした祖父はスロープで転倒し、軽傷を負った。それ以上でも、それ以下でもない、単なる事故である。

「それにしても、やっぱ三題噺は辛いよ」

「俺なんて思い余って、中国からやって来ました文庫本ブン・コボンです、って書き掛けたよ」

「お前等、さっきから何の話だよ!」

 という事で、ミステリー愛好部恒例の週末企画会議はお開きになった。


 因みに、気になる人は気になるかも知れない文庫本の行方だが、後日、清掃業者が庭木の中から発見した事で、すってんころりんした拍子にすっ飛んで行った事が判明した。

 一方の『ダンサー』という呟きだが、勝手に被害者にさせられた祖父とうにんへの聴き取り調査の結果、『段差~っ』の聞き間違いだった事が明らかになっている。この事故がきっかけで、スロープのちょっとした段差の改修工事が行われた事は言うまでもない。

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