第9話 アイス




 2時間ほどで、取材が終わる。

 久しぶりに吸血鬼以外の生き物(人間)と喋って、安心した反面、どっと精神的に気疲れした。もともと人とのコミュニケーションが得意じゃないけど、それは年齢を重ねれば重ねるほど不得意になっていく気がする。もはや吸血鬼のほうが気を遣わずに話せるから、楽なんじゃ……。


 そういえば、外に出たのはイヴェリスと会って以来だな。


 なんだかんだ、吸血鬼がいようがいまいが出不精は変わらないし。

 でも、一度外に出ちゃうと現実的な日常がうらやましく思うようになってしまう。 


 あー。あの家に帰ればイヴェリスがいる……。


 そう考えるだけで、家の最寄り駅へと向かう電車に乗るのをやめたくなる。

 私の家なのに、すべてが自分のものかのような態度で過ごしているあの男のもとに戻るのは気がひける。頭の中の整理もしたいし、せっかくならゆっくり遠回りして帰ろう……。


 一週間くらい家から出なくても平気な私にとって、こんなことはありえないんだけど。どうしてもあの吸血鬼が待っている家に帰りたくなくて、目的もなく街をブラブラしたり、カフェでボーッとしたり、洋服を見たりして時間をつぶしていた。

 気がつけば外は真っ暗で、すっかり夜だ。


「もう夜か……」

「きゅぴぃ」

「わかってるよ。お腹すいたし、もう帰るって」


“早く帰らないとイヴェリス様に怒られる”


 ハッキリとはわからないけど、そんな言葉がゴグから伝わってきた。

 無駄に歩きすぎて重くなった足をなんとか動かし、駅のすぐ近くのスーパーに寄る。あの日に買ったアイスや冷凍食品は全部溶けてダメになっちゃったから、また買いなおさないといけないし。


 そういえば、イヴェリスは食べなくても平気らしいけど、ゴグはどうなんだろう?


「ゴグはなにか食べたいモノない?」

「きゅっ」


 試しに聞いてみると、ゴグは一瞬姿を現してはまたすぐに消え、しばらくしてからなにかをガサッとカゴの中に入れた。


「……カニカマ?」

「きゅぴ!」


 ゴグは嬉しそうに鳴くと、また姿を消す。

 

「カニカマって……。添加物とか塩分とか、大丈夫なのかな。モモンガ用のおやつとかのがいいんじゃないの? 帰ったらイヴェリスに聞いてみよう」


 って、違う違う!

 イヴェリスに聞いてみよってなによ!

 人の適応力おそろしすぎるだろ。


 ゴグの姿があまりにもモモンガ過ぎて、感覚がおかしくなる……。

 このままじゃ、私は吸血鬼と魔獣との暮らしが当たり前になってしまいそう。


 その先に待っているのは、死でしかないのに――


「ちょっと買いすぎたな」


 次またいつ買い物に出るかわからないから、飲み物を多めに買ったけど、重い。

 こんなに買うなら、もっと家に近いスーパーで買えばよかった。なんて後悔しても遅いけど。


 日頃の運動不足をひしひしと感じるほど足が重く、痛くなってくる。

 エコバッグの取っ手が、重さで指に食い込むのに耐えきれなくて、少し歩いては持つ手を変え、また少し歩いては持つ手を変え。

 ふと朝から仕事してきたことを思い出すだけで、どっと疲れて家までの道のりが遠く感じた。


「きゅっ!」

 家まであと半分くらいのところまできたら、いきなりゴグが鳴き声をあげ、姿を現した。


「どうしたの?」


 次の瞬間、どこからともなく嗅いだことのある甘い香りがフワッと漂ってきて

 音もなく、急に目の前に人影が現れた。


「おそい」

「うわっ! びっくりした!」


 暗闇の中から亡霊のように現れたのは、イヴェリスだった。


「なにをしていた」

「なにって、別にいいでしょ! 少しは現実逃避くらいさせてよ」

「現実逃避? そんなものしても現実は変わらないぞ」

「だからするんでしょ!」

「理解に苦しむな」


 呆れた顔をすると、イヴェリスはまたスッと暗闇のなかに姿を消していく。


「ちょっと! なにしにきたの! 荷物くらい持って帰ってよ!」


 ――パチン


「え? あれ?」


 イヴェリスが魔力を使うときにやる指を弾いた音がしたと思ったら、手に持っていたはずの重いエコバッグがパッと消えていた。


「きゅきゅ」


 ゴグが私の肩に乗ったかと思うと、なんだか少し嬉しそうに『早く帰りましょう』って伝えてきた。


 重みから解放された手の平を見ると、さっきまで食い込んでいた痕だけが残っている。荷物がないだけで、急に足取りも軽くなった感じがする。


 いや、実際なんか軽いのかもしれない。


 そのあと、ハッとして辺りを見回したけど

 幸い人の気配はなく、誰にも見られている様子はなかった。


「ただいま」


 家に帰ると、何食わぬ顔でソファに座って、いつものようにテレビを見ているイヴェリスの姿。机の上には、さっき消えた買ってきた物が、エコバッグに入ったまま置かれていた。


「イヴェリス」

「なんだ」

「……荷物ありがとうございました」

「ふん」


 お礼を言うのはなんだか癪に障るけど

 「ありがとう」と「ごめんなさい」だけは言いなさいと、おばあちゃんに言われて育ってしまったので、仕方ない。


「そうだ! 聞きたいんだけど、ゴグってカニカマ食べさせて平気?」

「カニカマ? なんだそれは。知らん。」

「ほら、添加物とか塩分とかあるからさ。人間の食べ物って大丈夫なの?」

「なんでも食うから大丈夫だろ」

「普段はどんなもの食べてるの?」

「知らん」

「知らんって、あんたの子でしょ!」

「魔獣用の食べ物なんてものはない。そいつは人間の肉だって食うぞ」

「え」

「きゅ?」


 たびたび、この可愛さに私は騙されているのではないかと思う時がある。

 もしかして、イヴェリスが私の血を飲んだあとの体は、ゴグに食べられちゃうんじゃ……。まあ。死んだあとのことはどうでもいいか。


「じゃあ――少しならいいか。ゴグおいで」

「きゅー!」


 カニカマを開けて、一本を半分に割きゴグに差し出すと、ゴグは嬉しそうに小さな前足で持って、食べ始めた。


「かわい~ね~。今日はありがとうね、ご褒美だよ」


 その姿にメロメロになってしまう。

 とてもじゃないけど、人間の肉を食べる魔獣には思えない。


「イヴェリスは人間の食べ物を口にするとどうなるの?」

「どうもならないが」

「じゃあ食べれるの?」

「まあ、食べれんことはない。あまり口にしたことはないが」

「ふうん。これあげるよ」

「なんだこれは」

「アイスだよ」


 さっき買った物の中から、箱で買ってきたアイスを一本取り出す。バニラの中にパリパリのチョコが入ってるやつだ。ビニール袋を外し、イヴェリスに渡すと、まるでゲテモノでも見ているのかと思うくらいイヤそうな顔でアイスを見ていた。


「甘くて冷たくて美味しいよ」

「ふん。食なんてものは、魔力のない下民がするものだ」

「そうなの?」

「魔獣を食べれば、魔力が手に入るからな」

「へえ。じゃあアイス食べたらイヴェリスの魔力も戻るかもよ!」

「人間の食に魔力はない」

「いいから、食べてみって」

「んぐっ」


 俺はそんなもの食わん。みたいな澄ました顔をしているイヴェリスに腹がたって、持っていたアイスを無理やり口に突っ込んでやった。

 すると、イヴェリスは少し焦ったようなそぶりで、慌てて口からアイスを出した。


「きさまっ……なにをするんだ!」

「どう? 美味しい?」

「こんなものっ――」

 そう言いながら、眉間にシワを寄せる。今にも手に持ったアイスを投げつけそうな顔をしたかと思うと、急にふっと表情がゆるみ、唇についたアイスを舌で舐めとって、今度は自らの手でアイスを口に運んだ。


「まあ……悪くはない」

「ほら、美味しいでしょ」

「悪くはないだけだ」


 本当は美味しいと思ったくせに、素直じゃないんだから。


 悪くはないとか言いながら、イヴェリスはあげたアイスをあっという間に平らげてしまった。





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