最終話 夢の果て

彼は小さい頃から色々な夢を考えるのが好きだった。幼稚園生の頃は自分がヒーローになって沢山の人を救っている夢を考えていた。おそらく本気でヒーローになりたいと思っていたんだろう。映画に出てくる正義の味方――おおよそ怪獣が地球や人々を壊しにやってきて、好き勝手暴れてる最中にヒーローが遅れて登場し、見事撃退して世界に平和をもたらす。ありふれた話だがその圧倒的な強さとロマンに心惹かれる子供も少なくはないはずだ。彼は親にこう言った。


「ぼく、こんなかっこいいヒーローになりたい!!」


それに対し親は言った。


「おぉヒーローになりたいのか!かっこいいもんなぁ!きっとなれるぞ!!」


彼はその反応に満足した。


そして小学生の頃は自分がサッカー選手になって世界と戦っている夢、ないしは自分がキャプテンとなり優勝を目指すという夢を考えていた。これもまた、おそらくテレビなどで中継されてるワールドカップなどに心を打たれたのだろう。その白熱した試合を見終わった後に目を輝かせて、彼は親にこう言った。


「ぼく、将来はサッカー選手になりたい!!」


そして親はこう言った。


「おぉサッカー選手になりたいのか!いいなぁ、お父さん応援するぞ!」


彼はまた、その反応に満足した。


また彼は中学生の頃に自分が億万長者になって欲しいものを全部手に入れている夢を考えていた。自分が宝くじで一等が当たり億万長者になり、豪邸に住み召使いを雇って世界のありとあらゆるご馳走を食べ尽くす。南国の海辺に別荘を建てそこでバカンスを過ごす。豪華客船で世界一周、いや宇宙旅行まで考えていたかもしれない。彼はある日親に言った。


「ぼく、大人になったら億万長者になりたい!!」


すると親は神妙な面持ちでこう言った。


「億万長者になるにはな、事業で成功しないとまず無理だな。それはものすごく大変なことで、誰でもできるわけではない。父さんも出来なかったうちの一人だった」


「へぇ、そんなに難しいことなの?」


「ああ、だが本気でそれに挑戦したいというなら、その時は全力でサポートするぞ」


「うーん、まあ、そこまでじゃないからいいや。」


彼自身そこまでして本気でやりたいことではなかったのかもしれない。思い返せば夢で見るだけで満足出来るものが大半だった。


「自分が本当にやりたいと思えることってなんだろうなぁ~」


「何かに夢中になれるものだろうな。努力をしているという感覚すら芽生えない、時間を忘れるくらいに。お前はまずそれを探したほうが良い」


息子にそう言うと、満足したのか親は二階に上がっていってしまった。


彼は高校生になり、親に言った


「俺、絵描きになるわ」


「...絵描きは売れなかったら生活できないし、全く安定していない。正直生きていくのさえ大変だと思うぞ?」


親は酷く現実的なことを言った。


「でも、それが俺の、本気でやりたい夢なんだ」


「生活を犠牲にしてでも?行動するのは考えることよりも大変だぞ。考えるだけで満足してしまう人間なんていくらでもいるくらいにな」


「もう決めたんだ。安定なんていらない、どうしてもやりたいことなんだよ」


彼自身、幼い頃から絵を書くのが好きで、特に幻想的な風景画を好んで描いていた。だが上には上がいるし、賞にも選ばれたことはなかったのでいつしか自信を失っていた。そう、彼がその日以来絵を書かなくなったのは飽きたからではなく、自分が傷つくのが怖かっただけである。それでも、どれだけこの夢を頭の片隅に追いやって限りなく小さくさせても、ついに忘れることは出来ず再び書こうと思い立った。本当の夢というのは、どれだけそれを欲して傷つこうとも、どうしても手に入らないようなものだからこそ己の人生をかけて手に入れたくなる。彼が今まで考えてきた夢というのは、まさに寝た後に見る夢のようなものだったのだ。それはとても心地良いものだが、単に、それだけである。


「そうか...。お前も、ようやく地に足が付いたようだな」


大学生になり、彼は絵描きになっていた。もちろん、売れるほどのものではないし、まだまだ修行中だがそれでもやりたいからやっている。親元を離れ都会に出て、生活は苦しくアルバイトをしながらなんとか日々を過ごしている。


「これで良いんだよな…」


おそらく経済的には死んでいるが、最初は何も考えずやりたい事をやれていたので不思議と心は生き生きとしていた。しかし親はやはり経済的な面をどうしても気にしてしまうらしく、三年経っても物にならなかったらちゃんと就職して、結婚や老後、つまりこの先の生活を考えるようにと言った。人に好かれやすいお前の性格なら運良く上司に気に入られて通常よりも早く出世できるかもしれない、とも言われた。確かに結婚したくなった時、子供が生まれた時に貧しかったら日々生きていくのさえ難しい。そうなれば自分の好きなことをやるどころではない。一人ならまだしも家族がいる。責任が伴うのだ。そう考えると、やはり好きなことをして生きていくというのは所詮、夢物語に過ぎないのか。


「気にしないといけないものが多すぎるな…」


気付けば、彼はこれからどうすれば良いのか、何が正しいのか分からなくなってしまっていた。親の言うことも一理あるし、でも絵描きをしてるほうが彼は幸せだろう。ただこの先もしかしたらやりたいことのためにお金が足りないから出来ないということもあるかもしれない。その時はどうすればいいのだ。後悔はしたくない――。


それから十数年が経ち、彼は久しぶりに印象的な夢を見たのである。幼い頃に叶えたいと思っていた夢で、ひたすら自分の描きたいことを描きたいだけ描き、それが結果的に多くの人に影響を与えている世界。まさに芸術家にとってこれほどの理想はないだろう。


「当時の俺が今の俺を見たらどう思うんだろう」


彼は起きたばかりの瞼の重い目を擦ると、机に置かれた自分宛てに届いた手紙の山を見ながら、嬉しそうにそう呟いた。

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夢物語 のなめ @nonamen_1030

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