最終選考作品
向日葵畑の愛を捥ぐ
向日葵畑の愛を捥ぐ
作者 雨森傘
https://kakuyomu.jp/works/16817330653070964306
前妻の樋谷知帆をなくした博士は、後妻シンシア・ヴェラ・スタイナーの記憶と容姿の一切を被った模造品であるロボット、シンシアを作る。シンシアは夢を見、涙を流しながら成長し、愛を取り戻しては互いに哀を埋めあっていく話。
数字は漢数字云々等は気にしない。
SF恋愛ファンタジー。
失った愛を取り戻す物語である。
主人公は、博士を愛していたシンシア・ヴェラ・スタイナーの記憶と容姿の一切を被って生活している模倣品。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
人物描写はあまりない。
追想の書き出しは三人称の博士視点。一人称、僕で書かれた文体。
泣ける話、「喪失→絶望→救済」の流れで作られている。
二人の関係は、それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプ、シンシア・ヴェラ・スタイナーと博士は女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
博士の前妻であるピアニストの樋谷知帆が、演奏会の三週間ほど前に脳卒中でなくなった。演奏会が取りやめになると思っている中、十九歳のシンシア・ヴェラ・スタイナーが代奏を果たす。
三年後、知帆の命日である八月十二日。優しかったが側にいてくれない父と、後輩である知帆を負かすことだけに固執して娘を厳しく指導しからくり人形に仕立てる母に疲れ、愛する恋人もなくしたシンシアは、全てを投げ出し死んでしまおうかと向日葵畑に迷い込んできた。
彼女を後妻に迎えるも、自分のことは語らず向日葵畑の真ん中で死んだシンシア・ヴェラ・スタイナー。
一年を経て、その記憶と容姿の一切をつかって、博士が模造品である人工知能をもったロボットを作り上げたのは、彼女の存命証明としてであり、贋作であっても優しさと愛を求めるため。
だが、どれだけ似せても博士の求めるシンシアになり得ない。
博士が愛をなくしてから七年の歳月が過ぎた。
シンシアは夢を見る。博士は孤独じみていたが、オリジナルのシンシアは独りだった。母の攻撃から未熟な自分をなんとか守ってきた。恋をしたのに伝える勇気がなく、喪失し、大切なものを守れず後悔する。しかも自分は作られた模造品。愛を語るに足らないのに今更、愛していると口にする。
博士に聞かれ、涙を流して狼狽えてしまう。
博士から「……愛している、と言ったら怒るかい」と聞かれ、詭弁だと知りながらも自分を守るために「私には愛が分からないのです」と答える。オリジナルが望んでいた言葉をようやく得ることができて満たされる心と、それを言うべきは決して今でなかっただろうし、言うべき相手も自分ではないという恨めしさ。
自我の凄まじいまでの成長が、模倣品としての価値を歪め、孤独こそ、愛する必要性を育むと思っていたが、孤独は孤独しか生まないことを知り、独りにはなりたくないと思うようになる。
ピアニストだったオリジナルの過去を思い出すシンシアに、博士は一週間、生まれ故郷に帰る出かけていく。博士の部屋に入り、パソコン画面に樋谷知帆の笑顔が浮かびあがり、『君は僕の光だった』
博士の心からの言葉が綴られていた。
知帆の命日から二日と半日が経過していた。模倣品だとか偽物だとか器だとか、そんなのはどうだっていい、ただ博士にとってのシンシアとして彼を失いたくなく、知帆の霊園へ向かう。
博士を見つけ、どこかへ言ってしまうと思って霊園へ見に来たと答えると、博士は真摯泡抱き寄せる。
夏の終わり、一日書けて咲き終えたひまわりから種を回収する二人。シンシアはオリジナルの死体はどこにあるのか博士に尋ね、向日葵畑のどこか奥深くにあると答える。
金色の丘から愛を込めて、自分たちは来年も哀を埋め合うだろうと思いつつ、シンシアは博士に「貴方は私の向日葵です」心からの笑みを向けるのだった。
三幕八場の構成で書かれている。
一幕一場のはじまりは、向日葵畑で死んだシンシア・ヴェラ・スタイナーの記憶と容姿を引き継いで博士に作られたロボットはシンシアとして、博士と生活している。
二場の主人公の目的では、オリジナルのシンシアを思い出しながら、博士の好きな花を買いに出かける。
二幕三場の最初の課題では、博士にコーヒーを持っていくと仮眠している博士が知帆と、前妻の名前をつぶやくのを聞き、オリジナルのシンシアがどういう人だったのかを振り返る。
四場の重い課題では、博士から「愛とは何だと思う」と問われ、「知帆さんのことではないのですか?」と答えるも、「彼女は、決して愛じゃない」と返される。「忘れたくても、忘れられないもののことですよ?」食い下がれば、「……あの人は、僕の過去だ。思い出を愛してどうする?」言われてしまい、愛の答えを教えてくれなかった。
五場の状況の再整備、転換点では、知帆の命日を迎え、シンシアは、オリジナルのシンシアが死んでしまおうと向日葵畑に迷い込み、博士に会ったときの夢を見る。オリジナルはピアニストであり、才能と自信に満ち溢れていた母によってからくり人形に仕立てあげられていた。恋を知るも伝えられず、守りそこねて失ってしまったことを思い出し、涙する。愛を語るに足らないのに、愛していると口にすると、博士に聞かれてしまう。「……愛している、と言ったら怒るかい」博士の言葉に、「私には愛が分からないのです」と答え「愛してる、なんて、要りません」といいながら独りにはなりたくなかった。
六場の最大の課題では、現実と過去の見境がつかなくなりながら、ピアニストであるオリジナルのシンシアを思い出す。母は後輩であり博士の亡き前妻樋谷知帆を負かすことに固執し、娘を鍛え上げていた。父は優しくとも母の言いなりだった。母は、手元に離れて幸せのなんたるかに気づくことを恐れていた。
博士は一週間、生まれ故郷にいくと告げて出かけていく。博士の部屋のパソコン画面に知帆の笑顔と『君は僕の光だった』と博士の言葉を見つけ、博士にとってのシンシアとして、彼を失いたくなく部屋を飛び出していく。
三幕七場の最大の課題、どんでん返しでは、 博士視点によるシンシア・ヴェラ・スタイナーを初めて見たときの衝撃、脳卒中でなくなった知帆に匹敵するようなピアニストはいないと思っていたのに、雰囲気や振る舞いも芯のある美しさも知帆そのものであり、そんな彼女と対面したのは三年後の知帆の命日、前妻が大事にしていた向日葵畑でだった。シンシアを愛し、後妻に迎えるも身の上を滅多に語らない彼女がわからず、何に苛み、何から逃げ、博士に何を見出したのかわからず、寄り添う勇気がなく、失うことが怖かった。が、結局喪失してしまったのだ。そんな博士の元に心配になって駆けつけてきたシンシアを抱き寄せ、「君は紛れもなくシンシアだ」と告げる。
八場のエピローグでは、二人で向日葵の種を収穫しながら、オリジナルのシンシアは丘の深くに眠っていることを博士から聞き、二人はこれからも愛を込めて哀を埋めあっていく。
大きな謎としては、向日葵畑で死んだシンシア・ヴェラ・スタイナーは何者なのかであり、小さな謎は、模造品であるシンシアが体験する様々な出来事。やがて二つが結びつき、シンシアと博士の救済へとたどり着く。
非常によく考えて作られている。
作品の特徴としては、説明を省いた、もしくは不足した書き方で展開しているので、勢いをそのままに物語を進めることが出来、読者が抱いているイメージに触れて拡大させていく。
だから、ついつい引き込まれてしまう。
本作は書き出しのセリフ、「逃げるための理由を手元に何も用意できなかったから、どうしようもない苦痛と立ち向かうしか選択肢がなくて、最後は潰えてしまう。偶然ですが、私もその一部だったのです。偶然で、それでいて必然でした」からはじまる。
クイズっぽい難問で、理解できても、どういうことなんだろうと考えてしまう。
逃げる用意をしてなかったから、立ち向かうしかなく、潰れてしまうというのは一般論だろう。
「偶然ですが、私もその一部だったのです」とは、自分もその一般論に当てはまる生き方をしてきたので、そのような境遇に偶然陥ったけれども迎えた結末は必然だった、という意味かしらん。
自分の生き方はこうだった、と静かにほほえみながら呟いて、ひまわり畑で死んだのだ。
小難しい言い回しをする性格。素直じゃない。セリフから、なにかしら鬱屈する悩みを抱え続けて来たのがわかる。
愛していた人間に振り向いてもらえなかったから死んだ。
でも、彼女の愛した人間は普通には当てはまらず、「女の死を利用して、人の複製を作るという倫理に障るような研究を進めている」とあるので、クーロンかなと一瞬思う。
つぎに、「シンシア・ヴェラ・スタイナー。死んだ彼女の名を、容姿を、彼女の一切を被って、私は生活をしている」とあって、一切を被るとはどういうことかと考えながら読めば、「表向きでは彼女は死んだことにはなっておらず、私はその存命の証明のために作られた存在であるらしい」
とにかく、作られたらしいのがわかる。
それでいて、
「博士、朝ですよ。吸血鬼になったって知りませんからね、私」
主人公は吸血鬼なのかなと、考え込んでしまう。
読み手を右へ左へと揺さぶりながら読ませていく書き方が上手い。
前半はミステリー要素のある中、作られた模造品であるシンシアは受け身になりつつ、オリジナルのシンシアに触れ、博士と生活する様子を描いている。
「シンシア・ヴェラ・スタイナーは努力の人だ。努力を惜しまず、いつか救われる、いつか報われると信じて、しかし苦しいままで終わってしまった人生だった。ひとときのささやかな幸福も、その裏で苦痛が伴っていた」
自分のことではあるものの、模造品で自覚があるので、他人事のように振り返って評価する辺りが、作られた感がよくでている
ノックを四回するところが良い。
実によくわかっている。
さりげないところに現実味を感じるから、荒唐無稽な博士とロボットの愛の話も、親身になって読み進めていける。
愛についてのやり取りが重要で、
「愛とは、知帆さんのことではないのですか?」
「……彼女は、決して愛じゃない」
「忘れたくても、忘れられないもののことですよ?」
「……あの人は、僕の過去だ。思い出を愛してどうする?」
このあとの「残ったのは矛盾だ」が意味深い。
前妻である知帆は過去だ博士は言ったのだけれども、後妻であるシンシアも過去なのである。
それでいて、模造品であるシンシアに愛を求めているのだ。
前妻の命日を迎えてから、積極的にドラマが動いていく。
ロボットなのに夢を見て、オリジナルのシンシアだった頃のことが思い出されていく。
博士によれば、「シンシアは、涙を流すたびに人間らしさが戻ってきている。生前の記憶が、馴染んできているのだろう。実験は成功だった」とあるので、シンシアともう一度やり直したかったから、記憶も容姿も被ったロボットを作り上げたのだろう。
こんなことができるのであれば、なぜ博士は知帆のロボットを作らなかったのだろうと考えてしまう。
彼女を愛していなかったのか。いや、きっと、脳卒中で亡くなったため、記憶を一切引き継がせることができなかったのだと推測する。
それでも後妻として迎えたシンシアの模造品を作ったのは、知帆に生き写しだったからだろう。
でも、シンシアはシンシアである。
博士は彼女を彼女として愛したが、寄り添う勇気がなく、失うことが怖くて、自分から距離を置いてしまった。結果はシンシアの死であり、後悔と自責の念から、やり直したかったのだろう。
博士とシンシアはよく似ている。
母親のあやつ人形のように、知帆に負けないよう娘を育て、父親も協力していた。でもシンシアとしてはそれを望んではいなかったのだろう。恋をしても、伝えず失ったことで、死のうとしてひまわり畑に来た。
似ている二人だったから、助け合えなかったのかもしれない。
模造品のシンシアは、人間に近づいていく。
つまりオリジナルのシンシアに近づいていくのかもしれない。
読後、ハッピーエンドともバッドエンドとも違う感覚を覚える。
オリジナルのシンシアを救えなかった哀しみは残っているし、人間に近づいても模造品は模造品である哀しみは変わらない。でも、二人の愛だけは救えたから、夏になると愛の象徴として、来年も向日葵が丘に咲くだろう。
そして種を取るために向日葵をなぎ倒す。人としての関係は途絶えてしまっているから、二人にしこりのように哀は残ってしまう。
それが生きていくってことかもしれない。
作品として、すごい出来でした。
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