第3話
翌朝、目を覚ますと熱は下がっていて、昨日のことが全て夢だったかのように、誰もいなかった。
しかし、テーブルに置かれた銀貨と、ご飯いっぱい食べてねと書かれたメモが、現実だったことを教えてくれる。
このお金、返さないと。
助けてもらった上に、彼は私になんの義理もないのだから、お金なんて貰えない。
会えるかどうかわからないけど、銀貨をそっと布に包んで、花を入れるバスケットの底へと置いた。
食料はまだ尽きていないが、有限だ。今日も花を摘みに行き、少しでもお金にしないといけない。
そう思いながら森に踏み入ると、白い菫が昨日と同じように咲き誇っていた。
違うのは、ぽつんと一輪だけ、暗い奥の方でキラキラと白を浮かせて揺れていること。
誘われるように菫へ近づくと、その奥にも一輪、さらにその奥に一輪と、点々と奥へと白い菫が咲いている。
陽を遮る木々に囲まれているというのに、菫の花は自ら光っているかのように白さを際立たせていた。
何でだろう、奥に行かないといけない気がして──ふわふわと意識が緩んでいく。
いつの間に足を進めていたのか、昼間のはずが辺りは真っ暗で、足元に揺れる菫だけが白く浮かび上がっている。
見渡しても景色はどこも同じで、自分がどちらから来たのかもわからない。
私、こんな森の奥まで来て…どうしちゃったの?
胸元をキュッと握りしめると、大きな音と共に木の上からカラスが飛んで、心臓と身体がびくりと跳ねた。
魔物なんて、いないよね。でも、魔法使いは本当にいたし…。
最近、怖いことばっかりだな。
じわっと涙が滲んできて溢れる前に擦ると、目元がヒリヒリと傷んだ。
とにかく、帰らないと──
そう思って顔を上げると空から雨粒が落ちてきた。どんどんと私の銀髪は重くなって、寒気が襲う。
ああ、また熱で寝込んじゃうなぁ。それ以前に、ここで倒れて死んじゃうのかな。
誰にも愛されず、愛することもできずに……家族、欲しかったなぁ。
とうとう目尻から雫がこぼれ落ち、嗚咽を抑えるようにしゃがみ込んで肩を震わせる。
誰か、助けて。
どれくらい経ったか。
遠くで鳥の羽音と枝を踏む音がして、身を固くする。
こんな所にいるなんて、野盗か、魔物か──私、殺される?
どうか私に気づかないでと、草木の中で小さくうずくまる。
しかし、音は少しずつ近づいてきていて、腕をきつく握り込んだ。
「コッチニ人間ガイル。シディル坊チャンガ街デ助ケタ奴ダ!」
「こんな所にフィンがいるの? どうして…」
カタコトの見知らぬ声と、聞いたことのある耳触りの良い声に目を瞠った。
この声は──
「シディル?」
立ち上がり、キョロキョロと周囲を見回す。
木々の隙間から現れたルビーの瞳が、丸く見開かれていて、思わず駆け寄って抱きついた。
暖かくて、縋るように背を握ってしまう。
私、また助けられた。
「フィン? 何でこんなところに」
シディルが抱きしめ返してくれると、魔法のおかげか雨粒が肌に当たらなくなって、より安堵感が増す。嗚咽でうまく喋れない。
「ソウダ。人間ガコンナ所マデ来レルハズナイ! オ前、何者!?」
「カラスが喋った!?」
カラスが私の周りを飛び跳ねながら言葉を発した驚きから、シディルをより強く抱きしめてしまう。涙は簡単に引っ込んだ。
「ああ、彼は魔物のジルだよ。気にしないで。こんなに濡れてたら風邪をひいちゃうから、移動しよう」
「やっぱり、魔物もいるんだ…」
ボソッとした呟きは聞こえたのかはわからないけど、シディルは私の頬に張り付いた髪を払ってくれ、パチンッと指を鳴らした。
その瞬間、暗転する視界の隅で白い菫がゆらゆらと揺れていた。
瞬きのうちに私は暖かな部屋に移動していて、服も乾いていた。魔法って、便利…。
そんなことよりも、とても豪奢でシックな広いこの部屋は、とても庶民の住めるようなものではない。
ここは一体どこなんだろう。
大きな暖炉も初めて目にするもので、近付いてみようと足を踏み出すと、ふらりと眩暈がして、シディルが受け止めてくれた。
「身体、すごく冷えてるし震えてる。お風呂で一度温まった方がいいんだろうけど…ひとりにしたら倒れちゃいそうだな」
彼の言う通りだ。悪寒と頭痛が酷くなってきてるのは確実に風邪の前兆で、これ以上動いたら倒れそう。
助けられてばかりだな。
迷惑しかかけていないことに申し訳ないと思うのに、彼に縋っていないと立っていられない。
「ごめんなさい、私…」
「大丈夫だよ。乾かしはしたから、あったかくして寝ようね」
顳顬に柔らかな感触がしてゆっくりと抱き上げられ、今まで感じたことのない、ふわふわふかふかなベッドへと寝かせてくれる。
天蓋までついていて、本当にお姫様になったみたい。
私を暖める為か、抱きしめながら添い寝し、頭を撫でてくれるのが心地良い。
触れたところからじわじわと熱い何かを流し込まれていることに気付けないまま、微睡へと身を任せた。
「…もう2日も…を覚さない…だ…」
話し声にふと瞼を開くが、頭はガンガンして節々は痛いし身体が熱い。
ぼやけた視界の先には、2つの人影が何やら会話をしているようだった。
「この娘は身体が弱すぎる。お前が与えた魔力が馴染むまでは、熱は下がらないだろう」
低くて落ち着いた声は、知らない人。
ベッドの端、私の横に座っている見覚えのある人影の裾を握ると、こちらへ振り向いてくれる。
「あ、フィン。良かった…目が覚めた? お水飲める?」
熱い頬を撫でてくれる手と、この柔らかな声色は、シディル。
上体を起こそうとすると支えてくれて、水差しを唇へ差し込んでくれる。冷たい水が喉を通り、ホッとした。
「2日も眠ってたんだよ。何か食べれる?」
返事をする気力もなく、首を横に振るだけでも脳が揺れて気持ち悪くなって、嘔吐いてしまった。
身体の中で何かがグルグルと熱を持って、私を塗り替えているような…。
だらりと、シディルに寄りかかることしかできない。
「もう少し寝かせてやった方がいい」
「うん、そうする。ありがとう、父さん」
父さんと呼ばれた人は、部屋を出ていってしまった。
ゆっくりと寝かせようとしてくれるシディルの胸元を掴んで擦り寄る。こんなに酷く体調を崩すのは久しぶりで、少しでも人肌が離れていくのが心許ない。
「眠れない?」
小さく頷くと髪をすいてくれて、その指先の冷たさが心地良く、頭痛が楽になった気がする。
「…さっきの人は?」
想像以上にカッサカサの声に自分でも驚くが、シディルは気にした風もなく、微笑みかけてくれた。
「僕の父、魔王のバディウスだよ」
魔王まで存在するなんて、現実味がなさすぎる。ん? 魔王がお父さん…?
なんかとんでもない情報を知ってしまったような…ダメだ、頭がぼやけて回らない。
「身体の中で何か暴れてるみたいで…気持ち悪…」
意識したら本当に吐きそうになって、シディルの胸に頭を擦り付けると、肩へ腕を回してさすってくれた。
「僕の魔力だよ。馴染めば、フィンは魔女になる」
「魔女…?」
「魔王は人間に恋をしたら、その人に魔力を分け与えて魔女にして娶るんだ。そうしないと人間は魔界で生きられないからね」
「…娶る?」
なんだかよくわからなくてシディルを見上げるが、目を開けてられなくなってきて、表情がわからないほどぼやけてくる。
「そう、フィンは僕の花嫁だよ」
落ちていく意識の中でも、それははっきりと聞こえた。
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