貧乏で病弱な庶民が魔王の子に嫁ぎます
こむらともあさ
第1話
城下町から少し離れた場所にある、誰も寄りつかない魔物の住む森で、私は今、野花を摘んでいる。
ぐるると空腹を訴える自らを満たす食料を買うお金にする為だ。
でなければ、日の出ている朝だというのに薄暗く鬱蒼とした、こんな恐ろしい森になど来ない。
そんな場所だというのに、何故か草花はとても美しく咲き誇っているので、微々たるものだが売れるのだ。
身体が丈夫なら花売りなどせず、働きに出るのに。
私の貧弱な身体は、少し無理をするだけで貧血や発熱でぶっ倒れる。さらには両親も早くに亡くし、身寄りもない。
貧乏を極みに極めている。
…嘆いている場合ではなかった。
このバスケットいっぱいに詰めた花をさっさと売り捌かないと、今日も食いっぱぐれてしまう。
私はいそいそと、城下町の出店が立ち並ぶメインストリートへと戻り、街ゆく人々へ声を掛ける。
遠巻きに見てくる人、同情の目を向けてくる人──買ってくれよ。
そんな中でも花を買ってくれる人はいて、少しずつお金になっていくことに安堵していたら、大家である脂ぎった小太りの中年ガンドールが、おもむろに近寄ってきた。
「フィン、今日も花売りなんてしてるのか。そんなことしなくても、ワシとひと晩共寝してくれるだけで銀貨3枚はやると言っているだろう?」
彼は私の肩へ腕を回し、ベトベトの手のひらで撫で回してくる。
気持ち悪さしかない。こんなのと共寝とか絶対に無理。
虚無になりかけたが、この人の気分を害せば宿無しになってしまうと思い、なんとか笑みを作る。
「ガンドールさんには奥さんがいらっしゃるじゃないですか。私はお花を買ってくれるだけで充分です」
花を押し付けるふりをしてガンドールを引き剥がそうとしたが、彼の手は私の肌をなぞるように手の甲へと移動して、むちむちの指ですりすりと擦ってきた。
さらにはお尻まで触られて、ひくりと頬が引き攣る。
いや、本当に無理。
「花売りのお姉さん。そのお花、一輪ちょうだい」
どう対処したものかと考えを巡らせていたら、低すぎず高すぎない、耳触りの良い声に呼ばれた。
振り向くと、垂れた瞼が縁取るルビーの瞳の上を、真っ黒で艶やかな髪がさらりと流れる美形の青年が、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
はっきり言おう、ものすごく好きな顔だ。この辺りでは見ない人。
「おーい…お姉さん?」
はっ、いけない。私としたことが見惚れてしまっていた。
私の眼前で手を振る彼に口を開こうとしたが、ガンドールに腰を取られ身体が密着する。ブニブニとしていて、悪寒で鳥肌が立った。
「見てわからないのか、この若造が! 取り込み中だ!!」
こいつは花を買ってくれもしないくせに、何を言ってんだ。その怒鳴り声すらも気持ち悪くて無理。
お腹も減ってるし、貧血かな…目の前が歪んできたような。
せめて吐かないように口元を押さえていると、青年がこちらへ手を伸ばしてきて、ぶわっと突風が私とガンドールの間を割いた。
あ、こける──
衝撃でバランスを崩した私は、襲いくるであろう痛みにきつく目を閉じたが、かっちりとした硬い身体に抱きとめられた。
「大丈夫? 顔色悪いし、休んだ方が…」
私を受け止めて心配そうに覗き込んでくる青年にハッとして、彼の腕を掴んだ。
「まだパンも買えないの。休んでられないわ」
摘んだ花を全て売り切って、やっとパンひとつ買えるのだ。
今休んでも空腹は満たされないし、昨日から何も食べてない。無理をしてでも何かお腹に入れないと、病弱な私は早死にするかも。
幸せを感じずに、人生を終わらせたくない。
「その花を全部買ったら、休んでくれる?」
私の手元を指差して微笑む青年に、へ? と思ったときには銀貨3枚を握らされていて、バスケットに詰められていたはずの花は、彼の腕の中で揺れていた。
彼の動きが早すぎたのか、一瞬の出来事に、驚きで少し飛び跳ねてしまった。
いや、そんなことよりも──
「お、多いです! こんなに貰えませんっ」
突っ返す手は銀貨と共に握り込まれ、私の胸元へ押し返された。有無を言わせぬ美形の笑みが眼前に広がり、閉口する。
この人、ほんとに顔が良すぎる…っ。
「これだけあれば数日は働かなくて済むよね。お姉さん、痩せすぎだし…しっかり食べないと駄目だよ」
私の銀髪が一房掬われ、毛先にキスをされた。その動作はまるで王子様みたいだった。
よく見ると、彼が身に纏うものは品の良い高価そうな衣類や装飾品だ。
私とは別世界のお金持ち坊ちゃんに、お姫様みたいな扱いをされてしまった…?
これだけで、一生分の幸せを使い果たしてしまったのではと、喜びと哀しさがない混ぜになってきた。
今日はいろんなことがありすぎて、熱が出そう。
こちらへ手を振りながら雑踏の中へ消えていく背中さえも美しくて見惚れていたら、横にいたはずのガンドールのことを思い出し、辺りを見回した。
どこにも姿がないことにほっとしつつも、不思議な体験に私は首を傾げた。
身体のだるさと共に、少しずつ熱が上がっていくのを感じて、慌てて食べ物を買いに行く。
パンだけでなく、小麦や野菜、果物など、久しぶりの豪華食材に涙を流しながら帰宅した。
ありがとう、私の王子様。
それだけ買っても手元に銅貨が残り、ギュッと握りしめた。
数日は1日2食も食べられるという現実が夢のようで、崩しかけている体調の悪さも吹っ飛びそうだ。
できるだけ節約しながら長く食い繋げられるように頑張ろうと、この日はパンを齧って眠りについた。
予想通り、高熱にうなされる夜になったのだが──
「やっぱり体調崩してる。お姉さん、大丈夫?」
誰もいるはずのない真っ暗な部屋に、綺麗な赤い瞳が揺らめいて、柔らかくこちらを見つめている。
これは、夢だな。鍵もかけて誰も入ってこれないはずだもん。私は昼間見た美青年の夢を見てしまっているんだ。
それにしては、おでこに触れてくる彼の手はやけに現実的で、冷たくて気持ちがいい。
喉が乾けば青年が支えながら水を与えてくれ、果物を小さく切って口へ運んでくれた。
私、死の淵を彷徨っているのかな? こんな幸せな夢見るなんて…。
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