物
夕陽が沈む。
釣瓶落としという形容など比にならない。自然落下などよりも数段速い勢いで、夕陽は山並みの中に落ちていく。
「真っ暗だなあ」
山の中には当然灯りとなるものはなく、瞬時に視界がブラックアウトする。その中でも九曜の声は聞こえてくるので、まだ切り株の上に座っているのだろう。
「秋沙くんの顔を見たかったのだが、残念だ」
ごとり、と重い音を立てて、秋沙の手の中から鉄仮面が落ちる。そのまま斜面へと転がっていき、山の下のほうへ転がっていく。
「私、は……」
自分は、十七年間、あの鉄仮面を身に着け続けていた――のだろうか。秋沙にははっきりとしたことがわからない。今さっき、自分の顔から鉄仮面を外して、手に持って、落とした――その過程の記述がない。まるでシーンが切り替わるカットを利用して描写をカットしたかのように。
「この認識皮膜は破らなくてもいい。そもそも気にする必要がないからね。秋沙くんが鉄仮面に顔を奪われてきたのか、それとも青ヤギの幻惑によってそんな妄想に取り憑かれてしまったのか。両方の状態が共存していると考えればよろしいのではないかな。例の箱だにゃーん」
なにを言っているのだこいつは。
「いくら私でも夜の山中を歩き回るような無茶はできないのでしばらくはここで足止めということになる。暇つぶしもかねて、君に協力を仰いだ『冠位計画』について少し話しておこうか」
秋沙もその場から動かず、九曜の言葉を聞き続ける。夜の山の恐ろしさは誰よりも知っている。
「『冠位計画』というのは、簡単に言えば、妖怪の存在狂度を高める策謀のことだ」
なぜかはっきりとわかった。九曜は「強度」ではなく、「狂度」と言った。
「妖怪の実在が証明されてからけっこうな年数が経ったが、妖怪という存在の定義づけは曖昧なままだ。あれもこれもと妖怪認定するのが好きな者、瑞兆が確認されるたびに改元しようとする者などはまだかわいいほうで、私たちがいま相手にしているのは、妖怪の存在基盤そのものを書き換えようとする手合いということになる。奴らは様々な狂った妖怪の実在を証明することで、冠位を意味する最悪の妖怪の存在証明を行おうとしている。それこそがGRAND――」
九曜はそこで言葉を切る。
秋沙も瞬時に身構える。
いる。
火の玉か河童か怪人かはわからないが、ふたりを狙って襲ってくる怪異が、周囲を取り囲んでいる。
「闇討ちとは情緒がないなあ。仕方ないか。あまり人前で見せるつもりはない芸当なのだが、まあ秋沙くんならばいいだろう」
九曜が切り株から立ち上がる。
「見開け――〝
視界が白く染まる。
一瞬で真昼に戻ったかのような強烈な光が山を照らしていた。
あまりの明るさに目が機能しない秋沙は、瞼を閉じながらも周囲の気配を探っていた。怪異がふたりの周囲に集まっていた以上、この機に乗じて攻め込んでくる可能性は高い。
「ふーむ。秋沙くん、目は慣れたかい。見てみるといい。今回の怪異はまた頓狂なものだよ」
目を開くと、昼の山中よりもまばゆい光で一帯が照らされていた。
灰色の甲冑騎士を思わせる、物々しい装甲で全身を覆った人型の影がおよそ十体、ふたりを取り囲んでいた。顔には当然、鉄仮面をはめている。
「なんだ、こいつら――」
「パワードスーツとか強化外骨格みたいなものの
「そうか、よっ!」
秋沙は瞬時に視線の先のいた鉄仮面の懐に潜り込み、その装甲に拳をめりこませる。
べこん、となんだか安っぽい音を上げて、装甲に亀裂が入り鉄仮面をした騎士が大きく後ろに吹き飛ぶ。
「――痛ってぇ……!」
これまでの鉄仮面怪異たちと同じく、間違いなく有効打を与えた感覚はあったが、代償に秋沙の拳は激しく痛む。フルプレートの甲冑を殴るという行為の無謀さを考えれば、まだ安い痛みであるとも言えた。九曜の言う通り見かけ倒しの部分も大きいが、腐っても装甲は装甲だ。あと一発打ち込むのが限界だろう。
「君の怖いもの知らずには恐れ入る。ただし今回は注意をひとつ入れさせてもらうよ。ひとまずこの場は私に預けてもらおうか。せっかく久方ぶりに
九曜は右手と左手の指を絡ませ合い、その隙間に穴を形作って覗き込む。
狐の窓――妖怪の正体を見抜くとされる初歩的な呪術。九曜ほどの手練れが使うには疑問が浮かぶレベルの技術だが、鉄仮面怪異はすでに像を成して現れている。つまり目的は相手の正体を見抜くことではなく――照準を合わせるためのスコープ。
ジュッ――と大気ごと焦がすような音がして、九曜が狐の窓で捉えた鉄仮面甲冑騎士が燃え上がる。火だるまと化す相手には目もくれず、九曜は次の標的に照準を合わせる。
瞬く間に、ふたりの周囲を取り囲んでいた鉄仮面たちが燃えかすとなって散っていった。
「私の魑解――〝
「なんでわざわざ説明する」
「秋沙くんへの信頼の証明と思ってくれたまえ。まあ実際は、そのからくりを知っている相手がいることで存在強度を上げておくことができるからなんだが。けっこう消耗が激しいから、秋沙くんが把握した上で知覚してくれるだけでかなり維持が楽になる。というわけで、ここからはスピード勝負だ。青ヤギは私たちが行動できない夜へと移行させた。つまり向こうも相当焦っている。ここを私の魑解でごり押しして、青ヤギ本体を叩く」
九曜は光で照らされた山の中を歩き出す。
そういえば――秋沙の顔を、九曜は見たのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます